柳沢敦(富山第一 富山県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
卓越したオフ・ザ・ボールの動き出しと秀でた戦術眼、確かな技術でディフェンスラインを破り続けた超高校級ストライカー。1977年5月27日、富山県射水郡小杉町(現・射水市)に生まれ、小杉SSC、FCひがしジュニアユースを経て富山第一高校へ進学した。中学時代からU-15日本代表に名を連ねるなど全国区の注目を集めていた。
高校時代は1年時からチームの主軸となり、3年連続でインターハイおよび国民体育大会に出場を果たした。3年時の第74回全国高校サッカー選手権(1995年度)では大会屈指の注目選手として牽引。2回戦で守山北を2-1で下すと、3回戦ではその大会で両校優勝を果たすことになる強力な静岡学園と対戦した。柳沢は華麗なアウトサイドシュートを決めるなど奮闘し、2-2の同点から突入した激闘のPK戦(6-7)の末に惜敗したものの、その卓越したプレーは全国に強烈なインパクトを残した。
卒業後は13クラブにおよぶ大争奪戦の末に鹿島アントラーズへ入団。ルーキーイヤーから活躍して新人王やベストイレブンを獲得し、数々の国内タイトル獲得に貢献した。その後イタリア・セリエAのサンプドリアやメッシーナでもプレーし、日本代表として2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯と2大会連続で出場した。J1通算108得点を記録し、引退後は鹿島アントラーズユース監督など後進の指導に当たっている。
所属
富山第一高等学校(富山県)
生年月日
1977年5月27日
サイズ(身長・体重)
177cm / 75kg
ポジション
FW(センターフォワード)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):FCひがしジュニアユース(小杉町立小杉中学校)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):小杉SSC(小杉町立小杉小学校)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1993年度・第72回大会):1回戦敗退。徳島市立に0-1で敗れた。
- 2年時(1994年度・第73回大会):富山県予選敗退(富山県代表は伏木高校)。
- 3年時(1995年度・第74回大会):3回戦(ベスト16)敗退。初戦となる2回戦で守山北に2-1で勝利。3回戦で優勝した静岡学園と対戦し、柳沢の得点などで2-2と渡り合いPK戦(6-7)で惜敗した。
- 個人表彰:大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1993年):富山第一として全国大会に出場(初戦敗退)。
- 2年時(1994年):富山第一として全国大会に出場(富山県代表)。
- 3年時(1995年):富山第一として3年連続全国大会出場。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1993年)〜3年時(1995年):確認できた出場記録なし。
- 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
- 1年時(1993年・東四国国体):少年男子富山県選抜として出場。
- 2年時(1994年・わかしゃち国体):少年男子富山県選抜として出場。
- 3年時(1995年・ふくしま国体):少年男子富山県選抜として3年連続出場。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:U-18日本代表(1995年・SBSカップ等)、富山県選抜(国体少年男子・1993年〜1995年)、U-15日本代表(中学時)。
【高校時代の代表歴について】
中学時代からFCひがしジュニアユースで台頭し、U-15日本代表に選出されていた柳沢は、富山第一高校進学後も世代を代表するストライカーとして常に注目された。富山県選抜の中心として1年時から3年時まで3年連続で国民体育大会に出場。
高校3年時の1995年にはU-18日本代表に選出され、8月に開催されたSBSカップ国際ユースサッカー大会に出場して世界各国の強豪ユースチームと対戦した。高校生離れした状況判断能力とスペースへの飛び出しはプロスカウトから絶賛され、高校卒業時には当時のJリーグ記録となる13クラブから獲得オファーが殺到する事態となった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(1996年〜2003年)
- UCサンプドリア(2003年〜2004年):イタリア・セリエA
- FCメッシーナ(2004年〜2006年):イタリア・セリエA
- 鹿島アントラーズ(2006年〜2007年)
- 京都サンガF.C.(2008年〜2010年)
- ベガルタ仙台(2011年〜2014年):2014シーズンをもって現役引退を発表。
- 通算成績:J1リーグ通算371試合108得点(セリエA通算44試合0得点)。
- タイトル:Jリーグ年間王者(1996年、1998年、2000年、2001年、2007年)、Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝(1997年、2000年、2002年)、天皇杯優勝(1997年、2000年、2007年)。
- 個人表彰:Jリーグ新人王(1997年)、Jリーグベストイレブン(1998年、2001年、2008年)、Jリーグフェアプレー個人賞(2008年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ58試合17得点(1998年〜2006年)。1998年2月15日のオーストラリア戦でA代表デビュー。2000年シドニーオリンピック(U-23日本代表としてベスト8進出)、2002年FIFAワールドカップ日韓大会(ベスト16)、2006年FIFAワールドカップドイツ大会に出場。1997年FIFAワールドユース選手権(現U-20W杯)ベスト8。
引退後の活動・指導歴・役職
2015年〜2018年:鹿島アントラーズトップチーム コーチ、2019年〜2020年:鹿島アントラーズユース コーチ、2021年〜現在:鹿島アントラーズユース 監督。
【卒業後のキャリアの総評】
高校卒業後、大争奪戦を経て加入した鹿島アントラーズで瞬く間に頭角を現した柳沢は、1997年のJリーグ新人王に輝き、鹿島の数々の黄金期を最前線で支えた。得点感覚のみならず、味方を生かす巧みなポストプレーやスペースメイクは当時の日本サッカー界において革命的であり、FWのプレースタイルを一変させた。
2003年からは念願であったイタリア・セリエAへ挑戦し、サンプドリアやメッシーナでプレー。帰国後は再び鹿島、そして京都サンガF.C.、ベガルタ仙台へと渡り歩き、2008年には京都でJリーグベストイレブンに返り咲くなど長年にわたりトップレベルで活躍を続け、J1通算108得点の金字塔を打ち立てた。日本代表でもフィリップ・トルシエ監督やジーコ監督から絶大な信頼を寄せられ、日韓大会・ドイツ大会と2度のワールドカップに出場した。
引退後は鹿島アントラーズで指導者としての道を歩み、トップチームコーチを経てユースチームの指導に情熱を注いでいる。高校時代から培われた高いサッカー知性と戦術眼は、次世代を担う若手選手の育成という新たな舞台で大きく発揮されている。




















