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斉藤俊秀(清水東)高校サッカーヒーロー列伝

斉藤俊秀_清水東

斉藤俊秀(清水東 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

182cmの体格を生かしたクレバーな守備で最終ラインを支え、清水エスパルスの創成期から長くチームを支えたディフェンダー。1973年4月20日、静岡県清水市(現:静岡市)の生まれで、清水市立有度第一小学校のサッカー少年団と清水FCで育ち、清水FC時代の1985年には第9回全日本少年サッカー大会で優勝した。清水東では主将を務め、高校選手権へは1年時と2年時に静岡県代表としてレギュラー出場を果たしている。

1年時の第68回選手権(1989年度)では、1学年上の相馬直樹らとともに2回戦の徳島商に3-0で勝利したが、3回戦で武南に0-1で敗れてベスト16。2年時の第69回大会では1回戦の京都学園に2-0で勝利したが、2回戦で旭に0-1で敗退したものの大会優秀選手に選ばれた。3年時の1991年には高校総体で決勝に進出すると、史上初の同県同士の対戦となった東海大第一を延長戦の末に下して全国制覇を達成している。

卒業後は早稲田大学を経て1996年に清水エスパルスへ加入し、1年目から新人王を獲得してナビスコカップ優勝に貢献。1999年にはJ1リーグ2ndステージ優勝とベストイレブンに輝いた。日本代表でも17試合に出場し、1998年のフランスワールドカップではメンバー入りを果たした。引退後は指導者として藤枝MYFCで選手兼監督を務め、2019年からは日本代表のコーチとして守備面を担当している。

所属

静岡県立清水東高等学校(静岡県)

生年月日

1973年4月20日

サイズ(身長/体重)

182cm / 75kg

ポジション

DF(センターバック)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):確認できた記録なし(要確認)
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):清水市立有度第一小学校のサッカー少年団、清水FC(1985年に第9回全日本少年サッカー大会優勝)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1989年度/第68回大会):ベスト16。2回戦の徳島商戦に3-0で勝利したが、3回戦で武南に0-1で敗れた(武南はこの年の準優勝校)。静岡県代表としてレギュラー出場。
  • 2年時(1990年度/第69回大会):2回戦敗退。1回戦の京都学園戦に2-0で勝利したが、2回戦で旭に0-1で敗れた。
  • 3年時(1991年度/第70回大会):確認できた出場記録なし(この大会の優勝は四日市中央工と帝京の両校優勝)。
  • 個人表彰:第69回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1989年)〜2年時(1990年):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は清水市商)。
  • 3年時(1991年):全国優勝。決勝で東海大第一を延長戦の末に下し、史上初の同県同士の対戦での全国制覇を達成。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1989年):高円宮杯のプレ大会が開催された年。出場記録は確認できない。
  • 2年時(1990年)〜3年時(1991年):第1回/第2回大会と開催されたが、清水東の出場記録は確認できない。
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1989年)〜3年時(1991年):確認できた出場記録なし(この期間の少年男子の優勝は徳島、埼玉など)。

代表歴

高校時代の代表/選抜歴:確認できた記録なし(要確認)。

【高校時代の代表歴について】

斉藤の高校時代の代表/選抜歴として確認できる記録は得られていない。1年時から全国選手権でレギュラーを務め、2年時には大会優秀選手に選ばれて3年時には高校総体で全国制覇を果たした実績を持ちながら、当時の記録では世代別代表への選出を確認できていない。

代表としてのキャリアは大学とプロを経て本格化する。早稲田大学を経て1996年に清水エスパルスへ加入すると、1年目から新人王に輝く活躍で、同年8月25日のウルグアイ戦で国際Aマッチ初出場を果たした。以降は日本代表の常連となり、1998年のフランスワールドカップではメンバー入りを果たしている。

卒業後の進路

プロ/社会人

  • 早稲田大学(1992年〜1995年):ア式蹴球部に所属。
  • 清水エスパルス(1996年〜2008年):リーグ戦244試合16得点。2007年〜2008年は湘南ベルマーレへ期限付き移籍(リーグ戦84試合4得点)。
  • 藤枝MYFC(2009年〜2013年):リーグ戦57試合6得点。のちに選手兼監督としてチームを牽引し、2013年シーズン終了後に現役引退と監督退任。
  • 通算成績:国内リーグ戦385試合26得点。
  • タイトル:J1リーグ2ndステージ優勝(1999年)、Jリーグカップ優勝(1996年)(いずれも清水エスパルス)。
  • 個人表彰:1996年Jリーグ新人王、1996年Jリーグカップニューヒーロー賞、1999年Jリーグベストイレブン。

日本代表(国際Aマッチ)

17試合0得点(1996年〜1999年)。1996年8月25日の国際親善試合/ウルグアイ戦で初出場。1998年のフランスワールドカップではメンバー入りを果たしたが、本大会での出場はなかった。

引退後の活動/指導歴/役職

2013年シーズン終了後に現役引退すると、2014年1月に清水エスパルスのアンバサダーに就任。2014年12月にはU-15サッカー日本代表のコーチに就任し、以降はU-16、U-17、U-21の各年代別日本代表のコーチを歴任。2019年からはサッカー日本代表のコーチとして森保ジャパンの守備面を担当し、2026年の北中米ワールドカップにもコーチとして帯同した。

【卒業後のキャリアの総評】

斉藤の高校時代のハイライトは、3年時の1991年高校総体での全国制覇である。決勝では東海大第一と対戦し、史上初の同県同士の決勝となったこの一戦を延長戦の末にものにした。1年時から全国選手権の舞台でレギュラーとしてプレーし、2年時には大会優秀選手に選ばれるなど、主将として全国制覇の中心に立った3年間は、清水東サッカーの黄金期を彩るものとなっている。

早稲田大学を経て1996年に清水エスパルスへ加入すると、1年目からレギュラーとして定着し、新人王とJリーグカップ優勝、ニューヒーロー賞を獲得。1999年にはJ1リーグ2ndステージ優勝とベストイレブンに輝き、代表の常連として1998年フランスワールドカップのメンバーにも入った。現役中には靱帯断裂の大けがを二度経験しながらも、2008年までの12年間でリーグ戦244試合に出場し、清水の守備を支え続けた。

キャリアの終着点となった藤枝MYFCでは選手兼監督としてチームを牽引し、2013年に現役を引退。その後は清水エスパルスのアンバサダーを務めたのち、指導者として2015年からU-15、U-16、U-17、U-21と各年代別日本代表のコーチを歴任し、2019年からは日本代表のコーチとして守備面を担当している。2026年の北中米ワールドカップではコーチとして帯同し、清水東から日本サッカーの頂点に立った一人として、その評価を確かなものにしている。

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