目次
船越 優蔵(国見高校 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
身長194cmという歴代の高校サッカー界でも屈指の高さを誇り、「国見タワー」の異名で全国の守備陣を震え上がらせた超大型ストライカー。兵庫県神戸市出身で高倉中学校を経て、名将・小嶺忠敏監督が率いる長崎県立国見高校へ進学。入学直後からその規格外の体躯と類まれな空中戦の強さで頭角を現した。
1年生(1993年度)の夏には早くも主力として全国高校総体(栃木総体)で躍動。決勝の鹿児島実業高校戦(2-1)で先制ゴールをマークし、1年生にして夏の全国制覇(インターハイ優勝)に貢献した。さらに同夏に日本で開催された1993年FIFA U-17世界選手権では、小嶺監督率いるU-17日本代表のエースとして出場。グループステージ第3戦のメキシコ戦でゴールを奪い、日本サッカー史上初となる世界ベスト8進出の立役者となった。冬の第72回全国高校選手権でも、聖地・国立競技場で行われた準決勝の東福岡高校戦(8-0)で圧巻のハットトリックを達成。清水商業高校との決勝(1-2)で惜しくも準優勝となったが、1年生ながら大会優秀選手に選出された。
卒業後は複数クラブによる争奪戦の末にガンバ大阪へ加入し、オランダのテルスターへの留学を経て、湘南、大分、新潟、東京Vで活躍。アルビレックス新潟では2003年のJ2優勝・J1昇格の原動力となった。引退後は指導者としてJFAアカデミー福島やU-20日本代表監督を歴任し、2026シーズンからは古巣・アルビレックス新潟の監督としてJリーグの舞台で指揮を執っている。
所属チーム
長崎県立国見高等学校
生年月日
1977年6月12日
サイズ(身長・体重)
194cm / 88kg(※現役時)
ポジション
FW(センターフォワード)
出身チーム
- 3種:神戸市立高倉中学校サッカー部(兵庫県神戸市)
- 4種:高倉台SC / 神戸市立高倉台小学校(兵庫県神戸市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1993年度・第72回):長崎県予選 優勝、全国大会 準優勝
※準決勝の東福岡高校戦(8-0)で聖地・国立競技場にてハットトリック(3得点)を達成!
決勝:1-2 清水商業高校(準優勝)
個人表彰:大会優秀選手に1年生で選出!
(1回戦:シード、2回戦:3-1 東京学館新潟、3回戦:2-1 前橋育英、準々決勝:0-0[PK 5-4]多々良学園、準決勝:8-0 東福岡、決勝:1-2 清水商業) - 2年時(1994年度・第73回):長崎県予選 優勝、全国大会 3回戦進出
(1回戦:シード、2回戦:2-0 日大山形、3回戦:1-3 守山北高校) - 3年時(1995年度・第74回):長崎県予選 優勝(県予選全4試合で計5得点)、全国大会 2回戦進出
(1回戦:3-1 浦和東、2回戦:0-1 帝京第三高校)
高校総体
- 1年時(1993年度・栃木総体):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)
※準々決勝の室蘭大谷戦(4-0)でゴール、決勝の鹿児島実業戦(2-1)で先制ゴールを記録し全国制覇に貢献! - 2年時(1994年度・富山総体):長崎県予選 2回戦敗退(1-1[PK戦敗退]長崎北陽台高校 / 全国大会不出場)
- 3年時(1995年度・鳥取総体):長崎県予選 優勝、全国大会 2回戦進出
(1回戦:5-0 堀越高校[船越得点]、2回戦:1-1[PK戦敗退]大社高校)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1993年度・第5回):九州地区予選敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1994年度・第6回):九州地区予選敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1995年度・第7回):九州地区代表、全国大会 1回戦敗退(0-2 市立船橋高校)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1993年・東四国国体):長崎県選抜
- 2年時(1994年・愛知国体):長崎県選抜
- 3年時(1995年・ふくしま国体):長崎県選抜
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:
・U-17日本代表(1993年 FIFA U-17世界選手権日本大会 ベスト8進出 / メキシコ戦で先制ゴール) - 日本高校選抜:1994年選出(第72回選手権優秀選手として選出)
- 都道府県選抜:長崎県選抜(1993年、1994年、1995年国体出場)
- 個人表彰:第72回全国高校サッカー選手権 大会優秀選手(1993年度・1年時)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
兵庫県神戸市出身。中学生時代からその長身を見込まれ、小嶺忠敏監督率いる国見高校へ進学。入学直後の1年生時に開催された1993年FIFA U-17世界選手権(日本大会)では、中田英寿、宮本恒靖、松田直樹ら錚々たるメンバーの中でエースFWとして背番号14を背負い先発出場。地元・神戸ユニバー記念競技場で行われた第3戦メキシコ戦で貴重な先制ゴールを叩き込み、日本サッカー界初の世界大会ベスト8進出の立役者となった。
高校選手権でも1年時に大会優秀選手に選出され、高校選抜にも選ばれるなど、日本代表の将来を担う大型ターゲットマンとして国際舞台でも強烈なインパクトを残した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- ガンバ大阪(J1 / 1996年 – 1998年)
- SCテルスター(オランダ2部 / 1996年 – 1997年 / 期限付き移籍)
- ベルマーレ平塚 / 湘南ベルマーレ(J1・J2 / 1999年 – 2000年)
- 大分トリニータ(J2 / 2001年 / 期限付き移籍)
- アルビレックス新潟(J2・J1 / 2002年 – 2006年 / 2003年J2優勝・J1昇格の原動力)
- 東京ヴェルディ(J2・J1 / 2007年 – 2008年 / 2007年J1昇格貢献)
- FC町田ゼルビア(JFL / 2009年 – 2010年 / 2010年現役引退)
- Jリーグ通算206試合34得点(J1:103試合14得点、J2:103試合20得点)
引退後の指導歴・役職
- アルビレックス新潟 U-13監督(2011年 – 2012年)
- JAPANサッカーカレッジ 監督(2013年 – 2014年)
- JFAアカデミー福島 U-15/U-18監督・チーフコーチ(2015年 – 2021年)
- U-16/U-17/U-18/U-19/U-20日本代表 監督(2020年 – 2025年 / AFC U20アジアカップ、FIFA U-20ワールドカップ2025指揮)
- アルビレックス新潟 トップチーム監督(2026年 – 現在)
卒業後のキャリアの総評
1996年、国内外の複数クラブによる争奪戦の末にガンバ大阪へ入団。欧州志向の強さから入団直後にオランダ2部のテルスターへ期限付き移籍し武者修行を経験した。帰国後は平塚、湘南、大分と移籍を重ね、2002年にアルビレックス新潟へ加入。反町康治監督のもとで前線の絶対的ターゲットマンとして定着し、2003年にはJ2優勝および初のJ1昇格の原動力となった。その後、東京ヴェルディでもJ1昇格に貢献し、2010年にFC町田ゼルビアで現役を引退した。
引退後は指導者の道を歩み、アルビレックス新潟のアカデミーやJFAアカデミー福島で育成に尽力。日本サッカー協会(JFA)ナショナルコーチングスタッフとして年代別日本代表の指揮を任され、U-20日本代表監督として2025年FIFA U-20ワールドカップへチームを導いた。2026年シーズンよりアルビレックス新潟のトップチーム監督に就任し、情熱的な手腕でJリーグの舞台を沸かせている。



























