目次
真田雅則(清水商 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
鋭い反射神経と的確な状況判断、そしてゴール前で体を張る果敢なセービングで「勇気の守護神」と称された名ゴールキーパー。静岡市清水区に生まれ、名門の清水FCや清水市立清水第七中学校で技術とメンタリティを磨いた後、清水市立商業高校(現・静岡市立清水桜が丘高校)へ進学した。同期にはキャプテンを務めた江尻篤彦らがいた。
3年時の1985年度に開催された第64回全国高等学校サッカー選手権大会では正GKとして君臨。激戦区の静岡県予選決勝で東海大一との壮絶なPK戦を制して全国大会へ進出すると、全国の舞台でも安定した守備を披露した。2回戦の佐賀学園戦を1-0、3回戦の鎌倉戦を2-0、準々決勝の五戸戦を4-2、準決勝の宇都宮学園戦を1-0で下し、四日市中央工との決勝戦を2-0の完封で制して清水商を選手権初優勝へと導き、大会優秀選手に選出された。
高校卒業後は順天堂大学へ進学して全日本大学サッカー選手権大会などで全国制覇を成し遂げ、ユース日本代表やユニバーシアード日本代表にも名を連ねた。Jリーグ開幕とともに地元・清水エスパルスの創設期を支え、1999年のJリーグベストイレブン選出や145試合連続フルタイム出場を記録するなど、静岡と日本サッカー史に刻まれる名GKとして足跡を残した。
所属
清水市立商業高等学校(現・静岡市立清水桜が丘高等学校、静岡県)
生年月日
1968年3月6日
サイズ(身長・体重)
180cm / 75kg
ポジション
GK
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):清水市立清水第七中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):清水FC
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1983年度・第62回大会):静岡県予選敗退(静岡県代表は清水東で全国優勝)。
- 2年時(1984年度・第63回大会):静岡県予選敗退(静岡県代表は藤枝東)。
- 3年時(1985年度・第64回大会):全国優勝。県予選決勝で東海大一と2-2(PK3-2)の激闘を制して全国へ出場。本大会2回戦で佐賀学園に1-0、3回戦で鎌倉に2-0、準々決勝で五戸に4-2、準決勝で宇都宮学園に1-0、決勝(1986年1月8日/国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)で四日市中央工に2-0で勝利し全国制覇。
- 個人表彰:大会優秀選手選出
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1983年)〜3年時(1985年):全国大会出場なし(この期間の静岡県代表は清水東、藤枝東、東海大一など)。
- 個人表彰:記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1983年)〜3年時(1985年):大会創設前(第1回大会は1989年開催)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1983年)〜3年時(1985年):静岡県選抜としての本大会出場記録なし。
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:ユース日本代表(1984年)、第64回全国高等学校サッカー選手権大会優秀選手(1985年度)、日本高校選抜。
【高校時代の代表歴について】
真田は清水商在籍時から同世代屈指のGKとして全国に名を轟かせていた。高校2年時の1984年にはユース日本代表に招集され、国際舞台での経験を積む。
高校3年時の第64回高校サッカー選手権で全国優勝を果たした後は大会優秀選手に選出され、日本高校選抜の一員としても活躍した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 順天堂大学(1986年〜1989年):第38回全日本大学サッカー選手権大会優勝、ベストGK賞受賞。
- 全日空サッカークラブ(1990年〜1992年):JSL1部通算36試合出場。
- 清水エスパルス(1992年〜2004年):1996年ヤマザキナビスコカップ優勝、1999年J1ファーストステージ優勝、2001年天皇杯優勝、2000年アジアカップウィナーズカップ優勝。
- 通算成績:J1リーグ通算243試合0得点、JSL1部通算36試合0得点、カップ戦通算59試合0得点。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン(1999年)。J1連続試合フルタイム出場145試合記録保持(達成当時歴代1位)。
日本代表
日本代表(1988年〜1989年、国際Cマッチ5試合0得点。1988年AFCアジアカップ日本代表B選出)。ユニバーシアード日本代表(1987年)。ユース日本代表(1986年)。
引退後の活動・指導歴・役職
2005年〜2007年:清水エスパルスユース GKコーチ。2008年〜2010年:ジェフユナイテッド市原・千葉 GKコーチ。2011年:清水エスパルス GKコーチ(2011年9月6日逝去、享年43)。
【卒業後のキャリアの総評】
高校卒業後に進学した順天堂大学でも守護神として君臨し、全日本大学サッカー選手権大会優勝やベストGK選出など大学サッカー界の頂点を極めた。大学時代にはユニバーシアード日本代表や日本代表Bチーム(1988年アジアカップ)にも選出されるなど、着実にトップレベルへの階段を駆け上がった。
JSLの全日空サッカークラブを経て、1992年に地元・清水エスパルスへ加入。Jリーグ創設期から正GKとしてゴールマウスを守り、抜群のシュートストップとリーダーシップで1996年のナビスコカップ初制覇や1999年のステージ優勝に大きく貢献した。1999年にはJリーグベストイレブンに輝き、J1での145試合連続フルタイム出場という偉業も達成した。
2004年に現役引退した後は指導者へと転身し、清水エスパルスユースやジェフユナイテッド市原・千葉、そして清水のトップチームで後進の育成に尽力した。若くして急逝したものの、清水サッカーの魂を体現した守護神としてサポーターや後輩たちから敬愛され続けている。



























