玉田圭司(習志野 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
鋭い初速と相手の逆を突く卓越したドリブル突破、高精度かつ強烈な左足のシュートを武器に全国の舞台を沸かせた快速アタッカー。千葉県浦安市出身で、入船少年サッカークラブ、市川カネヅカおよび浦安市立入船中学校を経て名門の習志野高校へ進学した。1年生時から主力として頭角を現し、国体千葉県選抜にも3年連続で選出されるなど同世代屈指のタレントとして注目を集めた。
高校時代のハイライトとなったのは3年時の1998年全国高校総体である。初戦から驚異的な得点力を発揮し、3回戦の初芝橋本戦での圧巻の独走弾や準々決勝の暁星戦での2得点を含む4戦連発で大会通算8得点をマークしてチームの全国ベスト4進出に大きく貢献した。激戦区・千葉県予選の壁に阻まれ選手権全国大会への出場こそ叶わなかったものの、その圧倒的な個人技とスピードは多くのJリーグスカウトの目を奪った。
高校卒業後の1999年に柏レイソルへ加入すると、背番号10を背負うストライカーへと成長。名古屋グランパスではJ1初優勝の立役者となり、日本代表としても2006年ドイツW杯、2010年南アフリカW杯と2大会連続で出場を果たした。特にドイツW杯のブラジル戦で決めた左足のスーパーゴールは日本サッカー史に残る名場面となった。現役引退後は指導者として昌平高校を率いて2024年高校総体で同校を初の全国優勝に導くなど、高校サッカー界にも再びその名を刻んでいる。
所属
習志野市立習志野高等学校(千葉県)
生年月日
1980年4月11日
サイズ(身長・体重)
173cm / 68kg
ポジション
FW(フォワード・セカンドトップ・ウイング)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):市川カネヅカ(浦安市立入船中学校)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):入船少年サッカークラブ
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1996年度・第75回大会):千葉県予選敗退。全国大会出場なし。
- 2年時(1997年度・第76回大会):千葉県予選敗退。全国大会出場なし。
- 3年時(1998年度・第77回大会):千葉県予選敗退。全国大会出場なし(千葉県代表は市立船橋)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1996年):千葉県予選敗退。全国大会出場なし。
- 2年時(1997年):千葉県予選敗退。全国大会出場なし。
- 3年時(1998年):全国ベスト4(準決勝進出)。玉田自身は初戦から4試合連続ゴールを挙げるなど大会通算8得点を記録しチームを牽引。準決勝の金光大阪戦は負傷欠場となりチームは敗れたものの堂々の4強入りを果たした。
- 個人表彰:確認できた記録なし(大会優秀選手等)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1996年)〜3年時(1998年):全国大会進出記録なし。
- 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
- 1年時(1996年):千葉県少年男子選抜として出場。
- 2年時(1997年):千葉県少年男子選抜として出場。
- 3年時(1998年):千葉県少年男子選抜として出場。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:U-16日本代表(1996年)、国体千葉県少年男子選抜(1996年、1997年、1998年)、柏レイソル強化指定選手(1998年)。
【高校時代の代表歴について】
高校時代の玉田は1年時にU-16日本代表に選出され国際経験を積んだほか、千葉県選抜として高校3年間すべてで国民体育大会に出場した。同世代のタレントがひしめく激戦区・千葉県において1年時から選抜チームの主力を担い、全国のトップレベル相手に鋭い突破力を発揮し続けた。
3年時にはJリーグ・柏レイソルの強化指定選手(現・特別指定選手)として承認され、プロの現場でも評価を高めた。卒業後は2004年にジーコ監督率いる日本代表へ初招集され、同年のAFCアジアカップ2004で3得点を挙げて優勝に大きく貢献。瞬く間に代表の主力ストライカーへと定着し、2006年FIFAワールドカップドイツ大会、2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会の2大会連続で本大会メンバーに名を連ねた。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 柏レイソル(1999年〜2005年):Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝(1999年)。
- 名古屋グランパス(2006年〜2014年、2017年〜2018年):J1リーグ優勝(2010年)、FUJI XEROX SUPER CUP優勝(2011年)。
- セレッソ大阪(2015年〜2016年)。
- V・ファーレン長崎(2019年〜2021年):2021年シーズン終了後に現役引退。
- 通算成績:J1リーグ通算368試合99得点、J2リーグ通算162試合34得点、Jリーグ通算530試合133得点。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン(2010年)、Jリーグ優秀選手賞(2004年、2005年、2008年、2010年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ72試合16得点(2004年〜2010年)。2004年3月31日のシンガポール戦で代表デビュー。2004年AFCアジアカップ(優勝・3得点)、2006年FIFAワールドカップドイツ大会(グループステージ第3戦ブラジル戦で先制ゴールを記録)、2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会(全4試合中2試合に出場しベスト16進出に貢献)。
引退後の活動・指導歴・役職
2023年に昌平高校サッカー部のスペシャルコーチに就任し、2024年には同校監督に就任して就任初年度の全国高校総体で昌平高校をインターハイ初優勝に導いた。2025年シーズンからは古巣である名古屋グランパスのトップチームコーチ兼U-21監督を務める。
【卒業後のキャリアの総評】
高校卒業後に加入した柏レイソルでは徐々に出場機会を増やし、抜群のスピードと切れ味鋭い左足のシュートでリーグ屈指のFWへと成長した。2006年に移籍した名古屋グランパスではチームの攻撃の要として君臨し、2010年にはキャリアハイとなる活躍でクラブ史上初のJ1リーグ優勝に貢献するとともに自身もJリーグベストイレブンに選出された。
日本代表としては国際Aマッチ72試合に出場して16得点を記録した。2004年アジアカップでの劇的なゴールや、2006年ドイツW杯ブラジル戦で王者相手に突き刺した衝撃的な先制ボレーシュートは、国内外のサッカーファンに鮮烈な記憶を残した。2010年南アフリカW杯でも日本の16強進出を支えるなど、長きにわたり日本を代表するレフティとして第一線で輝き続けた。
2021年の現役引退後は後進の指導にあたり、2024年には監督として昌平高校を夏の全国高校総体初制覇へ導くなど、選手時代に続いて指導者としても高校サッカーの頂点に立った。その攻撃的で創造性に富んだサッカー観は、次代の選手育成にも大きな影響を与え続けている。





















