チームの特色
日本のクラブユースで古い歴史を持つ名門クラブユース
クラブユース年代では、東京ヴェルディユース、三菱養和と並んで古い歴史を持つ名門クラブユースである。横浜Fマリノスの前身である日産自動車の下部組織として設立、日産ユースと呼称されていた。当時は高校サッカー選手権の人気が全盛であり、クラブユースは地味な存在であり、高校チームと一緒に戦う大会がない状況だった。
そんな中、第11回クラブユース選手権で、三菱養和に勝って初優勝を果たす。その時2年生だったDF永山邦夫がトップチーム昇格後にレギュラーを掴んだことがユース初めての成功例となった。それ以降はJリーグの設立により、良い選手が集まるようになり、たくさんの名選手を輩出する名門クラブユースとなった。
熱血漢の安達亮、松橋力蔵監督がチームを強化
横浜FMユースを語る上で欠かせないのは、現ヴィッセル神戸監督の安達亮氏であろう。安達監督は、市立船橋高校時代はキャプテンを務め、全国に先駆けてブロックサインを導入するなどの頭脳プレーでチームを牽引した。その後、横浜フリューゲルスでは選手兼アシスタントコーチを経て、Jリーグ元年の1993年はサテライトチームにてゲルト・エンゲルスの下でアシストタントコーチに就いた。横浜フリューゲルスのユース監督から横浜FMユースに就任。
試合中から熱くなる熱血漢で、理不尽な罰走なども容赦なく課していて 、当時のクラブチームとしては異端の存在だった。しかし、淡白だった選手たちが段々と感化され、2000年にはクラブユース選手権優勝、Jユースカップ3位と好成績を残した。そして後にトップチームの中心選手となる坂田大輔、栗原勇蔵、田中隼磨、榎本哲也など育てた。
そして、2009年に監督に就任した松橋力蔵監督は市原緑高校から日産自動車に入り、テクニックに優れ木村和司二世と言われていた。横浜FM、京都サンガ、ジャトコで選手生活を送り、引退後はジャトココーチ、横浜FMジュニアユースコーチ、ユースコーチを経て監督に就任した。
当時、いい選手がいるほど結果が出ないと言われていたユースのサッカーを変えていく。それまでのパスサッカー一辺倒から、ゴールを逆算するサッカーを変更。両サイドへの縦パスを展開。個人技とパスアンドゴーと手数をかけないサッカーで2009年全日本ユースを初めて制した。運動量を重視し、走りこみも徹底的に行うことで、90分走り続ける体力をつけていった。
松橋監督は人間教育を重視し、選手のあいさつや髪型はもちろん、試合中、シャツやパンツへ入れるなど生活指導にも力を入れていた。その後、2010年にもJユースカップ、2013年には延長戦の末、広島ユースを下して優勝した。
2014年、松橋監督はSライセンス取得のため、ユースコーチとなり、監督にはトップチームでコーチを勤めてきた阿井直也監督が就任した。