西田 吉洋(南宇和高校 愛媛県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
他を圧倒する爆発的なスピードと野生味あふれる突破力、強烈なゴールへの執念で全国を震撼させた「南宇和の超特急ストライカー」。名将・石橋智之監督率いる愛媛県立南宇和高校において2年時からエースFWとして大爆発し、四国勢史上初・唯一となる全国高校サッカー選手権制覇の主役となった。
高校2年時の1989年度、高知総体で全国3位&得点王に輝くと、冬の第68回全国高校選手権でも6ゴールを叩き出して前園真聖らと共に得点王を獲得し、全国制覇(日本一)を達成。さらに3年時の宮城総体でも得点を量産して準優勝に導き、大会史上前人未到となる「高校全国大会3大会連続得点王」の不滅の大記録を樹立した。
同志社大学を経てサンフレッチェ広島、京都パープルサンガ、アビスパ福岡、東京ヴェルディ、コンサドーレ札幌でJリーガーとして活躍。引退後はプロポケットビリヤード選手へ転身するなど、異色のキャリアでも輝きを放ち続ける伝説の韋駄天である。
所属チーム
愛媛県立南宇和高等学校
生年月日
1973年1月30日
サイズ(身長・体重)
178cm / 75kg(※現役時)
ポジション
FW / MF / DF
出身チーム
- 3種:南宇和郡内中学校サッカー部(愛媛県愛南町 / 旧・南宇和郡)
- 4種:南宇和郡内少年団(愛媛県愛南町)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1988年度・第67回):愛媛県予選 優勝、全国大会 2回戦敗退
- 2年時(1989年度・第68回):愛媛県予選 優勝、全国大会 優勝(四国勢史上初の全国制覇・日本一!)&【大会得点王(6得点)】&【大会優秀選手選出】
- 3年時(1990年度・第69回):エースとして愛媛県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(ベスト16)
高校総体
- 1年時(1988年度・山形総体):愛媛県予選 優勝、全国大会 出場
- 2年時(1989年度・高知総体):愛媛県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)&【大会得点王】
- 3年時(1990年度・宮城総体):愛媛県予選 優勝、全国大会 準優勝&【大会得点王】(※高校全国大会3大会連続得点王を達成!)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1989年度):四国地区代表として出場、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)
- 3年時(1990年度・第1回):四国地区代表として出場、全国大会 1回戦敗退
国民体育大会(国体)
- 1年時(1988年・京都国体):愛媛県選抜候補
- 2年時(1989年・はまなす北海道国体):愛媛県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 3年時(1990年・とびうめ福岡国体):愛媛県選抜の主力としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:日本Jrユース代表候補(1988年)、日本ユース代表候補(U-19日本代表候補)
- 日本高校選抜:1990年選出(第68回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:愛媛県選抜(国体サッカー少年の部出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
小学3年生からサッカーを始めると、驚異的な快足を武器に早くから愛媛県内屈指のアタッカーとして頭角を現す。南宇和高校へ進学すると、高校1年時の1988年に日本ジュニアユース代表候補に選出され、国体愛媛県選抜の主力としても活躍した。
2年時の第68回全国高校選手権で得点王を獲得して日本一を成し遂げると、大会優秀選手および日本高校選抜に選出。ヨーロッパ遠征に参加し、海外の屈強なDF陣を鋭いスピードで切り裂いた。また、同世代のトップが集う日本ユース代表候補にも名を連ねるなど、90年代初頭の高校年代を代表するスピードスターとして全国にその名を轟かせた。
卒業後の進路
大学
同志社大学商学部(1991年 – 1994年 / 関西大学サッカーリーグ)
プロ・社会人
- サンフレッチェ広島(J1 / 1995年 – 1996年)
- 京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C. / 旧JFL・J1 / 1996年 – 1998年)
- アビスパ福岡(J1 / 1998年 – 1999年)
- ヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ1969(J1 / 2000年 – 2002年)
- コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌 / J1・J2 / 2002年 – 2003年 / 現役引退)
日本代表
該当なし
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後は関西学生サッカー界の名門・同志社大学商学部へ進学。関西学生サッカーリーグで攻撃の中心として活躍した。
1995年にJリーグのサンフレッチェ広島へ加入。その後、京都パープルサンガ、アビスパ福岡、ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969、コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)とJリーグ5クラブを渡り歩いた。東京ヴェルディ時代には自慢の快足と突進力から「爆走機関車」のキャッチコピーが付けられ、サイドハーフやウイングバックとしてJ1通算150試合以上に出場した。
2003年の現役引退後は、かねてより趣味として腕を磨いていたビリヤードの道へ進み、難関のプロテストを突破して2010年に日本プロポケットビリヤード連盟(JPBA)のプロ資格を取得。異色のセカンドキャリアを切り拓き、現在はアドバイザー活動や講演活動など多方面で活躍を続けている。




















