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堀池 巧(清水東高校)高校サッカーヒーロー列伝

堀池巧_清水東

堀池 巧(清水東高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

強靭な対人守備と無尽蔵のスタミナ、正確無比なクロスと的確な戦術眼を武器に「日本歴代最高の右サイドバック」と称えられた伝説のディフェンダー。大榎克己、長谷川健太と共に「清水東三羽烏」として高校サッカー界を席巻し、静岡サッカー王国の黄金期を象徴する存在として君臨した。

清水東高校では1年時の選手権4強&インターハイ制覇を皮切りに、2年時の第61回全国高校選手権で同校史上初となる全国制覇を達成。3年時には主将としてインハイ&選手権で共に全国準優勝に導き、3年連続で高校サッカー界の頂点を争い続けた。2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。

順天堂大学在学中に日本代表レギュラーへ定着し、読売クラブや清水エスパルスで黄金期を支え、1993年「ドーハの悲劇」を不動の右SBとして戦い抜いた。名将・勝澤要監督のもとで磨かれた不屈の闘志は、引退後の大学指導者としての歩みにも息づいている。

所属チーム

静岡県立清水東高等学校

生年月日

1965年9月6日

サイズ(身長・体重)

173cm / 66kg

ポジション

DF

出身チーム

  • 3種:清水市立第六中学校サッカー部(清水FC / 静岡県清水市)
  • 4種:清水市立辻小学校サッカー部(清水FC / 静岡県清水市)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1981年度・第60回):静岡県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
  • 2年時(1982年度・第61回):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)(大会優秀選手選出)
  • 3年時(1983年度・第62回):主将として静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝(大会優秀選手選出)
高校総体
  • 1年時(1981年度・神奈川総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)
  • 2年時(1982年度・鹿児島総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 3年時(1983年度・愛知総体):主将として静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1981年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1982年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1983年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1981年・びわこ滋賀国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
  • 2年時(1982年・くにびき島根国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝(静岡サッカー王国6冠達成)
  • 3年時(1983年・あかぎ群馬国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:日本ユース代表(U-18 / U-19日本代表)
  • 日本高校選抜:1983年・1984年選出(第61回・第62回選手権大会優秀選手・2年連続欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:静岡県選抜(1982年島根国体 優勝)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

小学生時代に清水FCの第1期生として全国制覇を経験し、清水東高校へ進学後は1年時からレギュラーに抜擢。高校2年・3年時には静岡県選抜の中心として国体に出場し、1982年の島根国体では全国制覇を成し遂げた。

全国高校選手権では2年時に初優勝、3年時に主将として準優勝を果たし、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出。欧州遠征(デュッセルドルフ国際ユース大会等)でも世界基準のサイドアタックと強靭な守備力を披露し、同世代の日本ユース代表としてもアジアの舞台を経験するなど、高校年代最強のディフェンダーとして名を馳せた。

卒業後の進路

大学

順天堂大学体育学部(1984年 – 1987年 / 全日本大学サッカー選手権優勝、在学中に日本代表A代表初選出・定着)

プロ・社会人

  • 読売クラブ(JSL1部 / 1988年 – 1992年 / JSL優勝2回、JSL杯優勝1回、天皇杯優勝1回、1991-92年JSLベストイレブン)
  • 清水エスパルス(J1 / 1992年 – 1999年 / J1通算180試合1得点、1993年Jリーグベストイレブン、1996年ナビスコ杯優勝)
  • セレッソ大阪(J1 / 1998年 – 1999年 / 期限付き移籍)

日本代表

サッカー日本代表(A代表)(1986年 – 1995年 / 国際Aマッチ58試合2得点、1992年アジアカップ優勝、1993年W杯アジア最終予選「ドーハの悲劇」メンバー)

卒業後のキャリアの総評

順天堂大学在学中の1986年に日本代表デビューを飾り、そのまま不動の右サイドバックに定着。卒業後は読売クラブでJSL連覇を達成し、1992年に地元・清水エスパルスへ加入して三羽烏(大榎・長谷川・堀池)の再集結を果たした。

1993年のJリーグ開幕戦から攻守の要として活躍し、同年のJリーグベストイレブンに選出。ハンス・オフト体制の日本代表でも1992年アジアカップ初制覇や1993年「ドーハの悲劇」を主力として戦い抜いた。

現役引退後はテレビ解説者として人気を博す一方、2014年より母校・順天堂大学蹴球部の監督に就任。旗手怜央ら多くの日本代表・プロ選手を育成し、指導者としても卓越した手腕を発揮している。