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戸倉健一郎(桐蔭学園)高校サッカーヒーロー列伝

戸倉健一郎_桐蔭学園

戸倉健一郎(桐蔭学園 神奈川県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

高校サッカー史に残る攻撃的サッカーの波に乗った左サイドバック。テクニックと攻め上がりで得点機を演出し、守備では安定感を誇った。左右どちらのサイドも守れる器用さは、そのままプロでも武器になった。李国秀監督が率いた桐蔭学園では、司令塔の長谷部茂利、スイーパーの林健太郎とともに、高校サッカートップレベルのトライアングルを形成した。

迎えた3年時の1989年、桐蔭学園は春の関東大会を制して全国に衝撃を与えると、インターハイでは2回戦で四日市中央工を下して3回戦に進出。全日本ユース(高円宮杯プレ大会)では準決勝で清水商に1-5で屈したものの3位に入り、選手権では学校史上初出場で2回戦の岐阜工戦でゴールを決めるなどベスト8へ駆け上がった。準々決勝の前橋商戦は2-2の末、PK戦5-6の死闘で敗れている。さらに北海道国体では神奈川県選抜として出場し、準優勝に貢献した。

卒業後は青山学院大学を経て1994年にヴェルディ川崎へ入団。スター軍団の中で左右のサイドバックとして出場機会を掴み、1年目にJリーグ年間優勝を経験すると、その後も川崎フロンターレ、ガンバ大阪、京都パープルサンガ、湘南ベルマーレと渡り歩いてリーグ戦通算91試合に挑んだ。引退後は育成指導者へ転身し、ジュニア世代の指導に携わっている。

所属

  • 桐蔭学園高等学校(神奈川県。現校名も桐蔭学園高等学校、校名変更なし)

生年月日

  • 1971年5月31日

サイズ(身長・体重)

  • 170cm / 67kg(現役時のJリーグ登録/171cm・68kgとする資料もある)

ポジション

  • DF(左サイドバック。ボランチもこなした)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):横浜市立汐見台中学校
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):小学生時代にサッカーを開始(所属チームは確認できず)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1987年度・第66回大会)・2年時(1988年度・第67回大会):出場なし(桐蔭学園の選手権初出場は戸倉の3年時にあたる1989年度・第68回大会)。
  • 3年時(1989年度・第68回大会):学校史上初出場でベスト8。1回戦で山口に5-1、2回戦で岐阜工に5-0(戸倉がゴール)、3回戦で伝習館に4-0と快進撃し、準々決勝で前橋商に2-2の末PK戦5-6で惜敗。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1987年)・2年時(1988年):確認できた出場記録なし。
  • 3年時(1989年):春の関東大会を制して臨み、1回戦で長崎日大に5-0、2回戦で四日市中央工に2-0、3回戦で北陽に0-1で敗退(3回戦敗退)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1987年)・2年時(1988年):大会未創設のため出場なし(1989年にプレ大会、第1回大会は1990年開催)。
  • 3年時(1989年・プレ大会):3位入賞。1回戦で宮崎工に4-3、2回戦で広島工に2-1と勝ち進み、準決勝で清水商に1-5で敗退。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1987年)・2年時(1988年):確認できた出場記録なし。
  • 3年時(1989年・北海道国体):神奈川県選抜として出場し、準優勝に貢献。

代表歴

  • 高校時代の代表・選抜歴:国民体育大会の神奈川県選抜(1989年・北海道国体、準優勝)。世代別日本代表・日本高校選抜としての出場記録は確認できず。

【高校時代の代表歴について】

1989年当時の世代別日本代表は、現在のような体系的な整備が進む前であり、ユース代表の枠組みは大学や実業団の選手が中心で、高校生が代表に選出される道は現在よりはるかに限られていた。日本高校選抜としての活動も、現在ほど定期的なものではなかった。

そのため戸倉自身の高校時代における代表歴として確認できるのは、3年時の1989年に北海道国体へ出場した神奈川県選抜への選出だ。国民体育大会の都道府県選抜として準優勝に貢献した実績は、全国の上位に通用した証左といえる。一方で世代別日本代表や日本高校選抜としての出場記録は確認できていない。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 青山学院大学(1990年〜1993年):大学2年次に全日本大学サッカー選手権(インカレ)に出場、3年次に総理大臣杯でベスト8。
  • ヴェルディ川崎(1994年〜1996年):1994年5月4日の横浜マリノス戦でJリーグデビュー。同年はリーグ戦11試合、1995年は21試合、1996年は7試合に出場し、加入1年目にチームのJリーグ年間優勝を経験。
  • 川崎フロンターレ(1997年・期限付き移籍/旧JFL):リーグ戦20試合に出場し、チームは3位まで躍進したが勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。
  • ガンバ大阪(1998年):J1リーグ戦5試合。
  • 京都パープルサンガ(1999年):J1リーグ戦10試合。
  • ヴェルディ川崎(1999年・期限付き移籍):リーグ戦2試合。
  • 湘南ベルマーレ(2001年):J2リーグ戦15試合。
  • 通算成績:リーグ戦91試合0得点(J1 56試合・J2 15試合・旧JFL 20試合)、公式戦通算100試合0得点。
  • タイトル:1994年・Jリーグ年間優勝(ヴェルディ川崎)

日本代表(国際Aマッチ)

  • 出場記録なし

引退後の活動・指導歴・役職

  • 2002年〜 プリュスサッカースクール町田 スクールマスター
  • 現在 NPO法人ライズスポーツアカデミー調布FC U-15コーチ/Raiz Chofu FC U-18コーチ
  • 日本サッカー協会公認B級コーチ

【卒業後のキャリアの総評】

現役時代は華やかな南米出身スターたちの陰で、左右をこなす実務型のサイドバックとしてピッチに立ち続けた。1994年5月4日の横浜マリノス戦でJリーグデビューを果たすと、加入1年目にヴェルディ川崎のJリーグ年間優勝を経験。ビスマルクや北澤豪、柱谷哲二らとともにタイトルの余韻に浸りながら、安定感のある守備で出場試合数を積み上げた。

1997年には出場機会を求めて旧JFLの川崎フロンターレへレンタル移籍し、リーグ戦20試合に主力として出場。チームは3位まで躍進したが、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。翌1998年からはガンバ大阪、京都パープルサンガ、そしてレンタルで古巣ヴェルディと渡り歩き、2001年にJ2の湘南ベルマーレで引退。J1・J2・旧JFLを通じたリーグ戦通算91試合の出場は、生き残りが激しいディフェンダーとしての誇りある記録だ。

引退後は2002年からプリュスサッカースクール町田のスクールマスターとして育成の道へ進み、現在はNPO法人ライズスポーツアカデミー調布FCのU-15およびU-18でコーチを務める。JFA公認B級コーチとしてジュニア世代の育成に携わる姿は、選手時代に培った左右両サイドの知見を次世代へ渡す仕事でもある。

桐蔭学園(ヒーロー列伝)