中西永輔(四日市中央工 三重県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
圧倒的なスプリント力と強靭なフィジカルを誇り、圧倒的な対人守備と果敢な攻撃参加でピッチを躍動した屈指のディフェンダー。1973年6月23日、三重県鈴鹿市の生まれで、愛宕サッカー少年団、鈴鹿市立白子中学校を経て、名将・城雄士監督率いる三重県立四日市中央工業高校へ進学した。同期には後に日本を代表するストライカーとなる小倉隆史や中田一三がおり、「四中工三羽烏」として全国にその名を轟かせた。
1年時の第68回大会(1989年度)は3回戦進出、2年時の第69回大会(1990年度)は1回戦敗退に終わったが、最上級生となった3年時の第70回大会(1991年度)でチームは頂点へ駆け上がった。1回戦の韮崎に1-0、2回戦の徳島市立に7-0、3回戦の秋田商に1-1からのPK戦(5-4)、準々決勝の高知商に2-1、準決勝の国見に0-0からのPK戦(5-4)と競り勝って決勝へ進出。国立競技場で行われた決勝では名門・帝京高校と対戦し、延長戦を含む激闘の末に2-2で引き分け、両校同時優勝という形で四中工史上初の選手権全国制覇を成し遂げた。中西は大会優秀選手に選出されている。
高校卒業後は1992年にジェフユナイテッド市原へ加入し、抜群の身体能力を活かして守備の要としてだけでなく、チーム事情に応じてFWやMFを務めるなどユーティリティ性を発揮した。1998年には日本代表としてFIFAワールドカップ・フランス大会に出場し、グループリーグ2試合でスタメンを務めた。その後、横浜F・マリノスでもJ1リーグ連覇を経験するなど国内トップレベルで長年活躍した。
所属
三重県立四日市中央工業高校(三重県)
生年月日
1973年6月23日
サイズ(身長・体重)
174cm / 73kg
ポジション
DF(サイドバック・センターバック)/MF/FW
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):鈴鹿市立白子中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):愛宕サッカー少年団
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1989年度・第68回大会):3回戦(ベスト16)進出。2回戦の北海戦に4-0で勝利し、3回戦で同大会優勝の南宇和に1-1からのPK戦(4-5)で惜敗した。
- 2年時(1990年度・第69回大会):1回戦敗退。1回戦で習志野に1-5で敗れた。
- 3年時(1991年度・第70回大会):全国優勝(帝京高校と両校同時優勝)。1回戦の韮崎戦に1-0、2回戦の徳島市立戦に7-0、3回戦の秋田商戦に1-1(PK5-4)、準々決勝の高知商戦に2-1、準決勝の国見戦に0-0(PK5-4)と勝ち上がり、決勝で帝京と2-2で引き分けて両校優勝を果たした。
- 個人表彰:第70回大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1989年):2回戦進出。初戦を突破し2回戦へ進出した。
- 2年時(1990年):3回戦(ベスト16)進出。
- 3年時(1991年):全国ベスト4(3位)。準決勝まで勝ち進み全国3位入賞を果たした。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1989年)〜3年時(1991年):東海地区予選敗退(本大会出場なし)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1989年)〜3年時(1991年):三重県選抜等での出場記録は確認できず。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:日本高校選抜(1992年ヨーロッパ遠征等)。
【高校時代の代表歴について】
中西の高校時代の代表・選抜歴として特筆すべきは、1991年度の第70回選手権での全国制覇および大会優秀選手選出を経て、1992年に日本高校選抜へ選出されたことである。名将・城雄士監督が指揮を執った日本高校選抜チームの一員としてヨーロッパ遠征などに参加し、国内外の強豪と対戦した。
卒業後は1995年のアトランタ五輪予選を戦うU-22日本代表に選出され、1997年には加茂周監督率いる日本代表(A代表)に初招集。岡田武史監督の下で強靭な対人守備力を評価されて定位置を掴み、1998年フランスW杯ではアルゼンチン戦、クロアチア戦にスタメン出場した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- ジェフユナイテッド市原(1992年〜2003年):創成期のJリーグで主力として活躍。J1通算273試合34得点。
- 横浜F・マリノス(2004年〜2006年):2004年のJ1リーグ総合優勝(連覇)に貢献。2005年には史上10人目となるJ1通算300試合出場を達成した。2007年に現役引退を発表。
- 通算成績:J1リーグ通算309試合34得点(カップ戦・天皇杯を含む公式戦通算383試合44得点)。
- タイトル:J1リーグ優勝(2004年、横浜F・マリノス)。
- 個人表彰:Jリーグ優秀選手賞(1998年、1999年、2003年)、Jリーグフェアプレー個人賞(2003年)、JOMOオールスターサッカー最優秀選手賞(2004年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ14試合0得点(1997年〜2002年)。1997年9月7日のウズベキスタン戦でデビュー。1998年FIFAワールドカップ・フランス大会(グループリーグ2試合に先発出場)。
引退後の活動・指導歴・役職
引退後はJFAアンバサダーを務めたほか、ジュニアサッカークラブ「フェリーチェFC」での育成指導、TSV1973四日市のテクニカルダイレクター、サッカー解説者として普及・育成活動に尽力している。
【卒業後のキャリアの総評】
中西は高校卒業後の1992年にジェフユナイテッド市原へ加入し、持ち前の走力とフィジカルコンタクトの強さを武器に不動のストッパーおよびサイドバックとして定着した。高い身体能力を誇り、得点時には華麗なバック宙のパフォーマンスを披露するなどサポーターに愛され、チーム事情によっては最前線やトップ下を務めるユーティリティ性も発揮した。
日本代表としては1997年にデビューを果たすと、1998年フランスW杯では世界の強豪を相手に堂々たる対人守備を展開。特に初戦のアルゼンチン戦では相手エースを徹底マークし、日本の守備陣を支えた。2004年に横浜F・マリノスへ移籍後も経験豊富な守備職人としてリーグ連覇に貢献し、J1通算300試合出場を達成。現役引退後は次世代の育成や地域サッカーの発展に幅広く貢献している。
























