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望月達也(清水東)高校サッカーヒーロー列伝

望月達也_清水東

望月達也(清水東 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

広い視野と正確無比なボールコントロールを誇り、中盤の底から長短のパスを自在に配給した清水東高校の司令塔。勝沢要監督が標榜した組織的かつ攻撃的なサッカースタイルにおいて展開力とゲームメイクの中核を担い、同学年の澤入重雄や反町康治らとともに青の軍団の黄金期を支えた。

2年時の1980年度には愛媛インターハイで全国制覇を達成すると、冬の第59回全国高校サッカー選手権でも決勝へ進出して準優勝に輝いた。3年時の1981年度には神奈川インターハイで連覇を成し遂げるなど高校年代屈指のMFとして評価を高めた。

高校卒業後の1982年にはハンス・オフトの勧めを受けてオランダ1部のHFCハールレムへ単身留学。その後テルスターを経て帰国し、ヤマハ発動機でプレーした。現役引退後はJリーグクラブの監督代行やヘッドコーチ、育成部門の要職を務めるなど豊富な指導経験を積んでいる。

所属

静岡県立清水東高等学校(静岡県)

生年月日

1963年4月20日

サイズ(身長・体重)

167cm / 66kg

ポジション

MF(ミッドフィールダー)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):清水市立清水第三中学校
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):清水FC / 清水入江サッカースポーツ少年団

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1979年度・第58回大会):県予選敗退(静岡県代表は静岡学園)。
  • 2年時(1980年度・第59回大会):全国準優勝。1回戦の愛知を2-0、2回戦の北陽を1-0、準々決勝の盛岡商を1-0、準決勝の岡崎城西を3-0で破り決勝進出。決勝で古河一に1-2で敗れ準優勝となった。
  • 3年時(1981年度・第60回大会):県予選敗退(静岡県代表は清水商)。
  • 個人表彰:第59回大会優秀選手。
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1979年):県予選敗退。
  • 2年時(1980年・愛媛インターハイ):全国優勝。決勝で今市(栃木)を2-1で下し初優勝。
  • 3年時(1981年・神奈川インターハイ):全国優勝(2連覇)。決勝で室蘭大谷(北海道)を3-1で下し2大会連続の全国制覇を達成。
  • 個人表彰:確認できた記録なし。
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1979年)〜3年時(1981年):大会創設前(第1回大会は1989年開催のため実施なし)。
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1979年・第34回宮崎国体):少年の部・出場記録なし。
  • 2年時(1980年・第35回栃の葉国体):少年の部・静岡県選抜として全国優勝。
  • 3年時(1981年・第36回びわこ国体):少年の部・静岡県選抜として出場。
  • 個人表彰:確認できた記録なし。

代表歴

高校時代の代表/選抜歴:高校選抜、U-18日本代表候補、静岡県選抜。

【高校時代の代表歴について】

高校2年時から3年時にかけて全国大会で顕著な実績を残した望月は、静岡県選抜の中核として国体に出場したほか、高校選抜などにも名を連ねた。

特に当時の清水東を率いた名将・勝沢要監督のもとで磨かれた戦術眼とパスワークは全国的にも高い評価を集め、後の日本代表監督となるハンス・オフトからもその才能を見出される契機となった。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • HFCハールレム(1982年〜1985年・オランダ)
  • テルスター(1986年・オランダ)
  • ヤマハ発動機サッカー部(1986年〜1990年)
  • 通算成績:JSL1部通算28試合0得点。
  • タイトル:JSL1部優勝(1987-88年・ヤマハ発動機)。

日本代表(国際Aマッチ)

国際Aマッチ出場なし。

引退後の活動・指導歴・役職

ヤマハ発動機 / ジュビロ磐田コーチ・サテライト監督・ユース監督(1990年〜2001年)

アビスパ福岡コーチ(2002年〜2003年)

湘南ベルマーレヘッドコーチ(2004年〜2006年)

ベガルタ仙台ヘッドコーチ・監督代行(2006年〜2008年)

清水エスパルス強化育成コーディネーター・サテライト監督(2009年〜2011年)

川崎フロンターレコーチ・監督代行(2012年〜2014年)

ヴァンフォーレ甲府ヘッドコーチ・監督代行(2015年〜2016年)

ラインメール青森FC監督(2018年〜2020年)

川崎フロンターレアカデミーダイレクター(2021年〜)

【卒業後のキャリアの総評】

高校卒業直後の1982年に海を渡り、オランダ・エールディヴィジのHFCハールレムへ加入したキャリアは、日本サッカー界における欧州挑戦の先駆けとして特筆される。異国の地で本場のプレッシャーと戦術を体感し、テルスターを経て1986年にヤマハ発動機へ加入。確かな技術でJSL1部制覇に貢献した。

現役引退後は指導者として卓越した手腕を発揮。ジュビロ磐田の黄金期を育成・指導の立場から支えたほか、仙台や川崎、甲府などでトップチームのヘッドコーチや監督代行を務め、危機的な状況下でもチームをまとめ上げる手腕を高く評価された。

育成部門においても若手の才能発掘と育成に情熱を注ぎ続け、川崎フロンターレのアカデミーダイレクターをはじめとする要職で後進の育成に尽力している。

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