古沼貞雄(帝京高校)高校サッカー名将列伝
目次
1. 監督総評
黄色と青の「カナリア軍団」で高校サッカー界の頂点に君臨し、昭和から平成にかけて一時代を築き上げた不世出の名将。
自らは陸上競技(中長距離)出身でサッカー未経験ながら、徹底した走り込みによる無尽蔵のスタミナと規律、そして本場ドイツや南米の指導理論を柔軟に取り入れた「パス&ゴー」の近代サッカーを確立した。長野県・菅平高原での過酷な42km走合宿などで強靭なメンタリティとタフネスを鍛え上げ、局面での激しい球際と流れるようなパスワークで全国のライバルを圧倒した。
就任39年間で全国高校サッカー選手権優勝6回(戦後最多タイ)・準優勝3回、インターハイ優勝3回・準優勝4回と計9度の全国制覇を達成。早稲田一男、木梨憲武、前田治、礒貝洋光、森山泰行、飯島寿久、松波正信、阿部敏之、中田浩二、木島良輔、田中達也など、日本代表やJリーグを彩る数々のスター選手を育成した。帝京退任後も流経大柏のコーチとして全国制覇を支え、矢板中央のアドバイザーとして全国4強進出に貢献するなど、80代を超えても生涯指導者として情熱を注ぎ続けている。
2. 基本情報
- 氏名:古沼 貞雄(コヌマ サダオ)
- 生年月日:1939年4月25日生まれ
- 現所属:矢板中央高等学校 サッカー部 アドバイザー(元・帝京高等学校 サッカー部監督)
3. 指導歴
- 1964年:帝京高等学校 体育教諭として赴任
- 1965年 – 2003年:帝京高等学校 サッカー部 監督
- 2004年:帝京高等学校 サッカー部 部長
- 2005年 – :東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ) アドバイザー
- 2007年:流通経済大学付属柏高等学校 サッカー部 コーチ
- 2008年 – 現在:矢板中央高等学校 サッカー部 アドバイザー
4. 指導者戦績
■ 全国高校サッカー選手権(出場27回 優勝:6回 準優勝:3回 ベスト4:4回 ベスト8:5回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1965年 | 帝京高校 | 第44回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選敗退 | 監督就任初年度 |
| 1966年 | 帝京高校 | 第45回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選敗退 | |
| 1967年 | 帝京高校 | 第46回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選敗退 | |
| 1968年 | 帝京高校 | 第47回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選敗退 | |
| 1969年 | 帝京高校 | 第48回全国高校サッカー選手権(初出場) | ベスト4(3位) | 選手権全国初出場・4強進出 |
| 1970年 | 帝京高校 | 第49回全国高校サッカー選手権(2年連続2回目) | 2回戦敗退 | |
| 1971年 | 帝京高校 | 第50回全国高校サッカー選手権(3年連続3回目) | ベスト8 | 準々決勝進出 |
| 1972年 | 帝京高校 | 第51回全国高校サッカー選手権(4年連続4回目) | 1回戦敗退 | |
| 1973年 | 帝京高校 | 第52回全国高校サッカー選手権(5年連続5回目) | ベスト8 | |
| 1974年 | 帝京高校 | 第53回全国高校サッカー選手権(6年連続6回目) | 優勝 | 選手権初制覇(初優勝) |
| 1975年 | 帝京高校 | 第54回全国高校サッカー選手権(7年連続7回目) | ベスト4(3位) | (荒井公三) |
| 1976年 | 帝京高校 | 第55回全国高校サッカー選手権(8年連続8回目) | 準優勝 | 決勝で浦和南に4-5惜敗 |
| 1977年 | 帝京高校 | 第56回全国高校サッカー選手権(9年連続9回目) | 優勝 | 2度目の選手権優勝(早稲田一男) |
| 1978年 | 帝京高校 | 第57回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選決勝敗退 | 本郷高校が出場 |
| 1979年 | 帝京高校 | 第58回全国高校サッカー選手権(2年ぶり10回目) | 優勝 | 3度目の選手権優勝(木梨憲武、川添孝一) |
| 1980年 | 帝京高校 | 第59回全国高校サッカー選手権(2年連続11回目) | ベスト8 | (小泉淳嗣) |
| 1981年 | 帝京高校 | 第60回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選敗退 | 本郷高校、創価高校が出場 |
| 1982年 | 帝京高校 | 第61回全国高校サッカー選手権(2年ぶり12回目) | ベスト4(3位) | (谷中治) |
| 1983年 | 帝京高校 | 第62回全国高校サッカー選手権(2年連続13回目) | 優勝 | 4度目の選手権優勝(前田治) |
| 1984年 | 帝京高校 | 第63回全国高校サッカー選手権(3年連続14回目) | 優勝 | 5度目の優勝・2連覇(島原商と両校優勝) |
| 1985年 | 帝京高校 | 第64回全国高校サッカー選手権(4年連続15回目) | 2回戦敗退 | (礒貝洋光) |
| 1986年 | 帝京高校 | 第65回全国高校サッカー選手権(5年連続16回目) | 3回戦敗退 | (礒貝洋光、森山泰行) |
| 1987年 | 帝京高校 | 第66回全国高校サッカー選手権(6年連続17回目) | 3回戦敗退 | (礒貝洋光、飯島寿久) |
| 1988年 | 帝京高校 | 第67回全国高校サッカー選手権(7年連続18回目) | 1回戦敗退 | (池田伸康) |
| 1989年 | 帝京高校 | 第68回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選準決勝敗退 | 堀越高校、暁星高校が出場 |
| 1990年 | 帝京高校 | 第69回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選決勝敗退 | 堀越高校、武蔵高校が出場 |
| 1991年 | 帝京高校 | 第70回全国高校サッカー選手権(3年ぶり19回目) | 優勝 | 6度目の優勝(四中工と両校優勝、松波正信) |
| 1992年 | 帝京高校 | 第71回全国高校サッカー選手権(2年連続20回目) | 3回戦敗退 | (松波正信、阿部敏之) |
| 1993年 | 帝京高校 | 第72回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選決勝敗退 | 堀越高校、城北高校が出場 |
| 1994年 | 帝京高校 | 第73回全国高校サッカー選手権(2年ぶり21回目) | 準優勝 | (熱田眞) |
| 1995年 | 帝京高校 | 第74回全国高校サッカー選手権(2年連続22回目) | 3回戦敗退 | (吉成浩司) |
| 1996年 | 帝京高校 | 第75回全国高校サッカー選手権(3年連続23回目) | 2回戦敗退 | (中田浩二) |
| 1997年 | 帝京高校 | 第76回全国高校サッカー選手権(4年連続24回目) | ベスト8 | (中田浩二、木島良輔) |
| 1998年 | 帝京高校 | 第77回全国高校サッカー選手権(5年連続25回目) | 準優勝 | 決勝で東福岡に敗退(中田浩二、木島良輔) |
| 1999年 | 帝京高校 | 第78回全国高校サッカー選手権(6年連続26回目) | ベスト8 | (田中達也) |
| 2000年 | 帝京高校 | 第79回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選準決勝敗退 | 東海大菅生高校が出場 |
| 2001年 | 帝京高校 | 第80回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選決勝敗退 | 国学院久我山高校が出場 |
| 2002年 | 帝京高校 | 第81回全国高校サッカー選手権(3年ぶり27回目) | 2回戦敗退 | (大沢朋也) |
| 2003年 | 帝京高校 | 第82回全国高校サッカー選手権 | 東京都予選決勝敗退 | 成立学園高校が出場(古沼監督最終年) |
■ 全国高校総体(インターハイ)(出場24回 優勝:3回 準優勝:4回 ベスト4:5回 ベスト8:6回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1966年 | 帝京高校 | 昭和41年度全国高校総体 | 東京都予選敗退 | 第1回総体 |
| 1967年 | 帝京高校 | 昭和42年度全国高校総体 | 東京都予選敗退 | |
| 1968年 | 帝京高校 | 昭和43年度全国高校総体 | 東京都予選敗退 | |
| 1969年 | 帝京高校 | 昭和44年度全国高校総体(初出場) | ベスト4(3位) | インターハイ全国初出場・4強 |
| 1970年 | 帝京高校 | 昭和45年度全国高校総体(2年連続2回目) | ベスト4(3位) | 2年連続4強 |
| 1971年 | 帝京高校 | 昭和46年度全国高校総体(3年連続3回目) | 準優勝 | 初の総体決勝進出 |
| 1972年 | 帝京高校 | 昭和47年度全国高校総体(4年連続4回目) | ベスト8 | |
| 1973年 | 帝京高校 | 昭和48年度全国高校総体(5年連続5回目) | 2回戦敗退 | |
| 1974年 | 帝京高校 | 昭和49年度全国高校総体(6年連続6回目) | ベスト4(3位) | |
| 1975年 | 帝京高校 | 昭和50年度全国高校総体(7年連続7回目) | 準優勝 | |
| 1976年 | 帝京高校 | 昭和51年度全国高校総体(8年連続8回目) | 優勝 | インターハイ全国初制覇 |
| 1977年 | 帝京高校 | 昭和52年度全国高校総体(9年連続9回目) | ベスト4(3位) | (早稲田一男) |
| 1978年 | 帝京高校 | 昭和53年度全国高校総体 | 東京都予選敗退 | |
| 1979年 | 帝京高校 | 昭和54年度全国高校総体(2年ぶり10回目) | ベスト8 | (木梨憲武、川添孝一) |
| 1980年 | 帝京高校 | 昭和55年度全国高校総体(2年連続11回目) | 準優勝 | (小泉淳嗣) |
| 1981年 | 帝京高校 | 昭和56年度全国高校総体(3年連続12回目) | ベスト8 | |
| 1982年 | 帝京高校 | 昭和57年度全国高校総体(4年連続13回目) | 優勝 | 2度目の総体優勝(谷中治) |
| 1983年 | 帝京高校 | 昭和58年度全国高校総体(5年連続14回目) | ベスト4(3位) | (前田治) |
| 1984年 | 帝京高校 | 昭和59年度全国高校総体(6年連続15回目) | ベスト8 | |
| 1985年 | 帝京高校 | 昭和60年度全国高校総体 | 東京都予選敗退 | (礒貝洋光) |
| 1986年 | 帝京高校 | 昭和61年度全国高校総体(2年ぶり16回目) | ベスト8 | (礒貝洋光、森山泰行) |
| 1987年 | 帝京高校 | 昭和62年度全国高校総体(2年連続17回目) | ベスト8 | (礒貝洋光、飯島寿久) |
| 1988年 | 帝京高校 | 昭和63年度全国高校総体(3年連続18回目) | 1回戦敗退 | |
| 1989年 | 帝京高校 | 平成元年度全国高校総体 | 東京都予選敗退 | |
| 1990年 | 帝京高校 | 平成2年度全国高校総体(2年ぶり19回目) | 準優勝 | |
| 1991年 | 帝京高校 | 平成3年度全国高校総体(2年連続20回目) | ベスト4(3位) | (松波正信、阿部敏之) |
| 1992年 | 帝京高校 | 平成4年度全国高校総体(3年連続21回目) | ベスト8 | (松波正信) |
| 1993年 | 帝京高校 | 平成5年度全国高校総体(4年連続22回目) | 2回戦敗退 | |
| 1994年 | 帝京高校 | 平成6年度全国高校総体(5年連続23回目) | 1回戦敗退 | |
| 1995年 | 帝京高校 | 平成7年度全国高校総体(6年連続24回目) | 2回戦敗退 | |
| 1996年 | 帝京高校 | 平成8年度全国高校総体(7年連続25回目) | 2回戦敗退 | (中田浩二) |
| 1997年 | 帝京高校 | 平成9年度全国高校総体(8年連続26回目) | 準優勝 | 決勝で東福岡に敗退(中田浩二) |
| 1998年 | 帝京高校 | 平成10年度全国高校総体(9年連続27回目) | 3回戦敗退 | (木島良輔) |
| 1999年 | 帝京高校 | 平成11年度全国高校総体(10年連続28回目) | 2回戦敗退 | (田中達也) |
| 2000年 | 帝京高校 | 平成12年度全国高校総体 | 東京都予選準決勝敗退 | 国学院久我山高校が出場 |
| 2001年 | 帝京高校 | 平成13年度全国高校総体(2年ぶり29回目) | ベスト8 | |
| 2002年 | 帝京高校 | 平成14年度全国高校総体(2年連続30回目) | 優勝 | 3度目の総体優勝(20年ぶり)(大沢朋也) |
| 2003年 | 帝京高校 | 平成15年度全国高校総体(3年連続31回目) | 2回戦敗退 | 古沼監督最終年 |
■ 高円宮杯 JFA U-18 / 全日本ユース(全日本ユース ベスト4:2回)
| 年度 | 高校名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1989年 | 帝京高校 | 第0回(プレ)全日本ユース選手権(初出場) | ベスト8 | プレ大会進出 |
| 1990年 | 帝京高校 | 第1回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | |
| 1991年 | 帝京高校 | 第2回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | |
| 1992年 | 帝京高校 | 第3回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | |
| 1993年 | 帝京高校 | 第4回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | |
| 1994年 | 帝京高校 | 第5回全日本ユース選手権(5年ぶり2回目) | ベスト8 | 決勝トーナメント進出 |
| 1995年 | 帝京高校 | 第6回全日本ユース選手権(2年連続3回目) | ベスト4(3位) | 全国4強進出(清水市商に準決勝敗退) |
| 1996年 | 帝京高校 | 第7回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | |
| 1997年 | 帝京高校 | 第8回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | 関東スーパーリーグ参戦開始 |
| 1998年 | 帝京高校 | 第9回全日本ユース選手権(3年ぶり4回目) | ベスト4(3位) | 全国4強進出(中田浩二、木島良輔) |
| 1999年 | 帝京高校 | 第10回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | (田中達也) |
| 2000年 | 帝京高校 | 第11回全日本ユース選手権 | 関東地区予選敗退 | |
| 2001年 | 帝京高校 | 第12回全日本ユース選手権 | 東京都地区予選敗退 | |
| 2002年 | 帝京高校 | 第13回全日本ユース選手権 | 東京都地区予選敗退 | |
| 2003年 | 帝京高校 | 高円宮杯 プリンスリーグ関東 | 4位 | プリンスリーグ関東創設初年度参戦 |
5. 選手経歴
(1) 出身チーム
- 2種(高校・ユース):東京都立江戸川高等学校 陸上競技部
- 3種(中学・ジュニアユース):東京都内中学校
- 4種(小学・ジュニア・少年団):東京都内小学校
(2) 卒業後の進路
- 大学:日本大学 文理学部 体育学科(陸上競技部)
- プロ:なし(大学卒業後、1964年に体育教諭として帝京高校へ赴任)
- 日本代表:該当なし
(3) 選手時代の総評
東京都立江戸川高等学校から日本大学文理学部体育学科にかけて、陸上競技の中長距離選手として研鑽を積んだ。学生時代は箱根駅伝出場を目指して過酷なロードワークとトラック練習に明け暮れ、強靭な持久力と自分を限界まで追い込むストイックな精神力を培った。
サッカーの競技経験は一切なかったが、大学卒業後に体育教諭として赴任した帝京高校でサッカー部監督に就任。自らの専門である陸上競技の運動生理学や科学的なトレーニング理論をサッカーのフィジカル強化に応用した。
未経験だからこそ固定観念にとらわれず、デットマール・クラマーの指導理論や海外遠征で得た最先端の戦術をどん欲に吸収。「走れなければサッカーにならない」という確固たる信念と、選手の技術・個性を最大限に生かす指導眼を確立し、無名のチームを一代で全国最強のカナリア軍団へと育て上げる礎となった。















