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江原 淳史(武南高校)高校サッカーヒーロー列伝

江原淳史_武南

江原 淳史(武南高校 埼玉県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

183cmの長身としなやかな身のこなし、抜群のポジショニングと決定力でゴールを量産し、端正なマスクで全国的なアイドル的人気を巻き起こした「貴公子ストライカー」。名将・大山照人監督率いる武南高校で薄紫のパンツの伝統を背負い、エースとして前線に君臨した。

高校3年時の1992年度・第71回全国高校選手権では、国体で負った頚椎の重傷を抱えながらも初戦から5試合連続ゴールを叩き出し、当時の1大会最多記録となる「8得点」で大会得点王を獲得。同校を全国3位(ベスト4・旧国立競技場進出)へ導き、大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。

中央大学進学後に度重なる怪我のため選手生活を退いた後は、俳優へと転身し特撮ドラマ『電磁戦隊メガレンジャー』メガブラック役などで活躍。現在は社会人として働きながらジュニアユースの指導に携わるなど、高校サッカー史に鮮烈な記憶を残した伝説の英雄である。

所属チーム

武南高等学校

生年月日

1974年4月14日

サイズ(身長・体重)

183cm / 72kg

ポジション

FW

出身チーム

  • 3種:浦和市立東浦和中学校サッカー部(現・さいたま市立東浦和中学校 / 埼玉県)
  • 4種:浦和市立大牧小学校(大牧サッカースポーツ少年団 / 埼玉県)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1990年度・第69回):埼玉県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(※自身は登録のみ・出場なし)
  • 2年時(1991年度・第70回):埼玉県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝敗退)(3得点)
  • 3年時(1992年度・第71回):埼玉県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)大会得点王・8得点[5戦連続ゴール]、大会優秀選手選出)
高校総体
  • 1年時(1990年度・宮城総体):埼玉県予選 優勝、全国大会 ベスト4(※自身はベンチ外)
  • 2年時(1991年度・静岡総体):埼玉県予選 優勝、全国大会 ベスト8
  • 3年時(1992年度・宮崎総体):埼玉県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(ベスト16)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1990年・第1回):関東地区代表、全国大会 1回戦敗退
  • 2年時(1991年・第2回):関東地区代表、全国大会 3位(ベスト4)
  • 3年時(1992年・第3回):関東地区代表、全国大会 3位(ベスト4)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1990年・とびうめ福岡国体):該当なし(未選出)
  • 2年時(1991年・石川国体):該当なし(未選出)
  • 3年時(1992年・べにばな山形国体):埼玉県選抜としてサッカー少年の部 第4位(ベスト4)(※準決勝で頚椎負傷)




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:該当なし
  • 日本高校選抜:1993年選出(第71回選手権大会優秀選手・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:埼玉県選抜(1992年 第47回国民体育大会少年男子の部 第4位)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

東浦和中学時代から県民体育大会3連覇を果たすなど埼玉屈指のストライカーとして名を馳せ、名門・武南高校へ進学。高校3年時の1992年秋には埼玉県選抜の主力として山形国体に出場し、全国4強進出を果たした(準決勝の空中戦で頚椎を負傷)。

負傷を抱えながら臨んだ冬の第71回全国高校サッカー選手権では、圧巻の5試合連続ゴール(計8得点)で大会得点王に輝き、武南を全国ベスト4へと牽引。大会優秀選手および日本高校選抜に選出され、高校年代最高峰のエースストライカーとして欧州遠征に参加した。

卒業後の進路

大学

中央大学法学部(中央大学学友会サッカー部 / 1993年入学、怪我等により中退)

プロ

該当なし(※大学在学中に負傷のため競技生活引退)

日本代表

該当なし

卒業後のキャリアの総評

高校卒業時はJリーグ開幕を控えるプロ各クラブからの注目を集めたが、教員免許取得とサッカー両立を目指して名門・中央大学法学部へ進学。しかし、高校時代からの度重なる怪我や新たな故障に悩まされ、大学サッカー部を中退して現役生活を退いた。

その後、思わぬスカウトをきっかけに1996年から俳優としての活動を開始。1997年にはテレビ朝日系スーパー戦隊シリーズ『電磁戦隊メガレンジャー』のメガブラック(遠藤耕一郎)役に抜擢され、持ち前の端正なルックスと身体能力で子供から大人まで絶大な人気を獲得した。

芸能界引退後は一般社会人として不動産会社に勤務しながら、休日にはジュニアユース世代のサッカー指導に情熱を注ぎ、自らの経験を次代の選手たちへ還元し続けている。