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本山 雅志(東福岡高校)高校サッカーヒーロー列伝

本山雅志_東福岡

本山 雅志(東福岡高校 福岡県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

吸い付くような柔らかいボールタッチ、緩急自在のボディフェイント、そして相手守備陣の重心を外してすり抜ける唯一無二のドリブルで観衆を熱狂させた日本屈指のファンタジスタ。志波芳則監督率いる「赤い彗星」東福岡高校で1年時から主力を担い、攻撃を自在に操った。

1年時から総体・選手権で全国4強入りに貢献し、主将を務めた3年時の1997年度にはインターハイ優勝、高円宮杯全日本ユース優勝、第76回全国高校選手権優勝(雪の決勝で帝京を2-1で撃破)を達成。高校サッカー史上初となる「公式戦52試合無敗での高校三冠」という不滅の金字塔を打ち立てた。

卒業後は鹿島アントラーズへ加入し、ジーコが背負った伝統の背番号「10」を受け継いでJリーグ3連覇など数々のタイトル獲得に貢献。1999年ワールドユースでは世界準優勝&大会ベストイレブンに輝くなど世界を驚かせた天才の原点は、東福岡の赤いユニフォームにある。

所属チーム

東福岡高等学校

生年月日

1979年6月20日

サイズ(身長・体重)

175cm / 65kg

ポジション

MF

出身チーム

  • 3種:北九州市立二島中学校サッカー部(福岡県北九州市若松区)
  • 4種:西二島サッカースポーツ少年団(北九州市立二島小学校 / 福岡県)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1995年度・第74回):福岡県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
  • 2年時(1996年度・第75回):福岡県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 3年時(1997年度・第76回):主将として福岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)(大会優秀選手選出)
高校総体
  • 1年時(1995年度・鳥取総体):福岡県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
  • 2年時(1996年度・山梨総体):福岡県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 3年時(1997年度・京都総体):主将として福岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)(大会優秀選手選出)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1995年・第6回):九州地区予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1996年・第7回):九州地区代表、全国大会 準優勝
  • 3年時(1997年・第8回):九州地区代表、全国大会 優勝(初制覇)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1995年・ふくしま国体):記録なし/未確認
  • 2年時(1996年・ひろしま国体):福岡県選抜として出場
  • 3年時(1997年・なみはや国体):記録なし/未確認




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:U-18 / U-19日本代表(1996年 – 1997年)
  • 日本高校選抜:1998年選出(欧州遠征参加・主将)
  • 都道府県選抜:福岡県選抜(1996年 国民体育大会少年男子の部 出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

二島中学時代から突出したテクニックで注目され、東福岡高校進学後は1年生時から攻撃の主軸として総体・選手権での全国4強進出に貢献。高校2年・3年時には世代別日本代表に選出され、アジアユース等の国際舞台を経験した。

高校3年時の1997年度には、東福岡高校の主将・背番号10として公式戦52試合無敗(49勝3分)での「高校三冠」(インターハイ・全日本ユース・選手権)を完全制覇。高校サッカー界の頂点に君臨し、大会終了後には日本高校選抜の主将として欧州遠征に参加。国内外のプロスカウトから絶大な争奪戦が繰り広げられた末、鹿島アントラーズへの加入を果たした。

卒業後の進路

大学

該当なし(鹿島アントラーズへ加入)

プロ

  • 鹿島アントラーズ(1998年 – 2015年)
  • ギラヴァンツ北九州(2016年 – 2019年)
  • ケランタン・ユナイテッド(マレーシア / 2021年 – 2022年)

日本代表

サッカー日本代表(A代表)(2000年 – 2006年 / 国際Aマッチ28試合0得点、2004年アジアカップ優勝)、U-20日本代表(1999年ワールドユース準優勝・大会ベストイレブン)、U-23日本代表(2000年シドニー五輪8強)

卒業後のキャリアの総評

1998年に鹿島アントラーズへ加入後、1999年のFIFAワールドユース・ナイジェリア大会で「黄金世代」の左ウイングとして大旋風を巻き起こし、世界準優勝および大会ベストイレブン(優秀選手)に選出された。

鹿島ではジーコ、ビスマルクらが背負った伝統の「背番号10」を受け継ぎ、抜群のキープ力とラストパスで攻撃を牽引。J1リーグ3連覇(2007年〜2009年)や3冠達成(2000年)など、クラブ歴代最多となる数々のタイトル獲得に大きく貢献した。

晩年は地元・ギラヴァンツ北九州やマレーシアのクラブでプレーを続け、43歳まで現役を全う。引退後は鹿島のアカデミースカウトとして後進の育成・発掘に情熱を注いでいる。