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大久保 嘉人(国見高校 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
野性味あふれる圧倒的な突破力、相手守備陣を切り裂く驚異的な瞬発力、そしてどんな体勢からでもゴールを射抜く嗅覚でJ1通算最多得点記録(191得点)を樹立した日本史上最強のストライカー。名将・小嶺忠敏監督が率いる名門・国見高校で背番号10を背負い、攻守に闘志をむき出しにしてピッチを支配した。
高校3年時の2000年度には主将としてチームを牽引し、インターハイ優勝(10得点・得点王)、高円宮杯全日本ユース優勝、第79回全国高校選手権優勝(8得点・得点王)を成し遂げ、史上初となる「高校三冠」を達成。さらに富山国体も制して前人未到の「高校四冠」の金字塔を打ち立てた。
セレッソ大阪でプロ入り後、スペインのマジョルカやドイツのヴォルフスブルクで世界に挑み、川崎フロンターレでは前人未到のJ1得点王3連覇を達成。2010年南アフリカW杯16強進出の主力としても輝いた稀代の点取り屋の魂は、国見の徹底した鍛錬の中で形成された。
所属チーム
長崎県立国見高等学校
生年月日
1982年6月9日
サイズ(身長・体重)
170cm / 73kg
ポジション
FW / MF
出身チーム
- 3種:国見町立国見中学校サッカー部(長崎県)
- 4種:苅田サッカースポーツ少年団(福岡県京都郡苅田町立苅田小学校)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1998年度・第77回):長崎県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(※自身はベンチ外・出場なし)
- 2年時(1999年度・第78回):長崎県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(ベスト16)
- 3年時(2000年度・第79回):主将として長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(大会得点王・8得点、大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1998年度・香川総体):長崎県予選 優勝、全国大会 2回戦敗退(※自身はベンチ外・出場なし)
- 2年時(1999年度・岩手総体):長崎県予選 優勝、全国大会 準優勝
- 3年時(2000年度・岐阜総体):主将として長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(大会得点王・10得点、大会優秀選手選出)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1998年・第9回):九州地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1999年・第10回):九州地区代表、全国大会 2回戦敗退(ベスト8)
- 3年時(2000年・第11回):九州地区代表、全国大会 優勝
国民体育大会(国体)
- 1年時(1998年・かながわ・ゆめ国体):該当なし(未選出・不出場)
- 2年時(1999年・くまもと未来国体):該当なし(長崎県選抜不出場)
- 3年時(2000年・2000年とやま国体):長崎県選抜として全国制覇(優勝)
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-19 / U-20日本代表(2000年AFCユース選手権準優勝)
- 日本高校選抜:2001年選出(欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:長崎県選抜(2000年 国民体育大会少年男子の部 優勝)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
中学時代から小嶺アカデミーで頭角を現し、国見高校進学後は2年時から攻撃の主軸へと定着。高校3年時の2000年にはU-19日本代表に選出され、AFCユース選手権で準優勝を果たして翌年のFIFAワールドユース出場権獲得に大きく貢献した。
高校3年時には国見高校および長崎県選抜の主将として前人未到の高校四冠(インターハイ・全日本ユース・国体・選手権)を完全制覇し、選手権とインターハイの双方で得点王を獲得した実績は高校サッカー史上の最高到達点と称された。大会終了後には日本高校選抜のエースとして欧州遠征に参加し、国内外のプロスカウトから絶大な評価を集めてセレッソ大阪へ加入した。
卒業後の進路
大学
該当なし(セレッソ大阪へ加入)
プロ
- セレッソ大阪(2001年 – 2004年、2006年、2021年)
- RCDマジョルカ(スペイン / 2005年 – 2006年)
- ヴィッセル神戸(2007年 – 2008年、2009年 – 2012年)
- VfLヴォルフスブルク(ドイツ / 2009年 / ブンデスリーガ優勝)
- 川崎フロンターレ(2013年 – 2016年、2018年 / 3年連続得点王)
- FC東京(2017年)
- ジュビロ磐田(2018年 – 2019年)
- 東京ヴェルディ(2020年)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(2003年 – 2014年 / 国際Aマッチ73試合14得点、2010年W杯16強、2014年W杯、2004年アテネ五輪2得点)
卒業後のキャリアの総評
2001年にセレッソ大阪へ加入し、鋭い得点感覚とアグレッシブなプレーでルーキーイヤーから活躍。2005年にはスペイン・リーガ・エスパニョーラのマジョルカへ移籍し、デビュー戦で1ゴール1アシストの衝撃を残した。
2009年にはドイツのヴォルフスブルクでクラブ史上初のブンデスリーガ制覇を経験。2013年に川崎フロンターレへ移籍するとストライカーとしての才能が爆発し、Jリーグ史上初となる「3年連続得点王(2013年〜2015年)」の偉業を達成。J1通算最多得点記録となる191ゴールを金字塔として打ち立てた。
日本代表としても2010年南アフリカW杯で全試合に先発出場してベスト16進出に大きく貢献。2021年に古巣C大阪で現役を引退するまで、常に闘志を前面に出して戦い抜いた日本サッカー界の永遠のエースである。














