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上野 良治(武南高校 埼玉県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
「埼玉の天才児」「中盤の王様」と称され、名門・武南高校の象徴として高校サッカー界を席巻した大型ゲームメーカー。181cmの長身と懐の深いボールキープ、相手の意表を突く長短のキラーパス、そして卓越した戦術眼を武器に、1年時から武南の伝統ある背番号「10」を背負って攻撃のタクトを振るった。
高校1年時の1989年度・第68回全国高校選手権ではチームを全国準優勝へと導き、2年時には選手権4強、3年時にもインターハイ4強・選手権8強へ進出。3年連続で全国高校選手権の大会優秀選手に選出されるという金字塔を打ち立てた。
高校生離れしたインテリジェンスと統率力は全国の指導者やスカウトを驚嘆させ、高校3年時には飛び級でバルセロナ五輪予選代表に選出。後に横浜F・マリノスでリーグ3度の優勝を支える不動のボランチへと昇り詰めるその卓越したフットボールセンスは、武南の紫のユニフォームを纏った高校時代に完全に確立されていた。
所属チーム
武南高等学校
生年月日
1973年4月21日
サイズ(身長・体重)
181cm / 70kg
ポジション
MF
出身チーム
- 3種:浦和市立大原中学校サッカー部(現・さいたま市立大原中学校)
- 4種:上木崎サッカー少年団(浦和市立上木崎小学校)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1989年度・第68回):埼玉県予選 優勝、全国大会 準優勝(1年生で背番号10・全試合出場、大会優秀選手に選出)
- 2年時(1990年度・第69回):埼玉県予選 優勝、全国大会 ベスト4(準決勝で国見に惜敗、大会優秀選手に選出)
- 3年時(1991年度・第70回):埼玉県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝で帝京にPK戦惜敗、3年連続で大会優秀選手に選出)
高校総体
- 1年時(1989年度・高知総体):埼玉県予選 敗退
- 2年時(1990年度・宮城総体):埼玉県予選 優勝、全国大会 ベスト16
- 3年時(1991年度・静岡総体):埼玉県予選 優勝、全国大会 ベスト4(準決勝敗退、3位)
リーグ戦(全日本ユース等)
- 1年時(1989年):未開催(※1990年創設)
- 2年時(1990年・第1回大会):地域予選 敗退
- 3年時(1991年・第2回大会):関東地区代表として全国大会出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- バルセロナ五輪予選代表(U-23日本代表):1991年選出(高校3年時・飛び級選出)
- 日本ユース代表(U-19/U-20日本代表):1990年選出(高校2年時・AFCユース選手権等出場)
- 日本高校選抜:1990年・1991年・1992年選出(3年連続選出・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:埼玉県選抜(1989年・1990年・1991年 国民体育大会少年男子の部 出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
浦和市立大原中学校3年時に全中優勝を成し遂げて武南高校へ進学。1年時から伝統の10番を背負い、第68回全国高校選手権で準優勝を果たして大会優秀選手に選ばれると、日本高校選抜に1年生から選出された。2年時には日本ユース代表(U-19日本代表)としてアジアユース選手権を戦い、高校3年時には1991年のバルセロナ五輪アジア予選を戦う五輪代表(U-23日本代表)へ高校生ながら異例の飛び級選出を果たした。全国高校選手権では1年時の準優勝、2年時の4強、3年時の8強とすべての学年で上位進出を牽引し、高校サッカー史上極めて稀な「3年連続の選手権大会優秀選手および日本高校選抜選出」を達成。高校生離れした完成度の高いプレーで、同世代の頂点に君臨する逸材として全国に名を轟かせた。
卒業後の進路
大学
早稲田大学人間科学部(早稲田大学ア式蹴球部、1992年 – 1993年 / 1992年全日本大学選手権準優勝、1994年休学・中退)
プロ
- 横浜マリノス / 横浜F・マリノス(1994年 – 2007年 / J1リーグ優勝3回[1995年、2003年、2004年]、2001年ナビスコカップ優勝)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(2000年 / 国際Aマッチ1試合出場・0得点、バルセロナ五輪予選代表)
卒業後のキャリアの総評
武南高校卒業後は早稲田大学へ進学し、1年時に全日本大学サッカー選手権準優勝に貢献。その後1994年に大学を休学してJリーグの横浜マリノスへ入団すると、即座にレギュラーに定着し、1995年にはクラブ史上初のJリーグ年間完全制覇に大きく貢献した。
2000年にはトルシエ体制の日本代表(A代表)に初選出され、国際Aマッチに出場。2003年・2004年には岡田武史監督率いる横浜F・マリノスの中盤のアンカーとして絶対的な存在感を放ち、Jリーグ史上屈指の強さを誇ったチームのJ1リーグ2連覇(完全連覇)の立役者となった。
寡黙ながら卓越した戦術眼、球際の激しい守備、そして的確な配球力でチームメイトから絶大な信頼を集め、2007年に退団するまでマリノス一筋でJ1通算287試合に出場。横浜F・マリノスの黄金期を支え続けた偉大なバンディエラとして称えられている。




















