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中山 雅史(藤枝東高校)高校サッカーヒーロー列伝

中山雅史_藤枝東

中山 雅史(藤枝東高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

「魂のストライカー」「ゴン中山」として日本サッカー界に数々の伝説を刻んだ日本史上最高峰の点取り屋。泥臭くゴールへ飛び込む圧倒的な気迫とダイビングヘッド、前線からの猛烈なチェイシング、そしてチームを鼓舞し続ける強烈なリーダーシップでピッチに君臨した。

名門・藤枝東高校時代は、FWだけでなくDFや中盤もこなす身体能力の高さと献身性を発揮。高校2年時の1984年度・第63回全国高校選手権ではエースとして藤枝東を牽引し、全試合無失点の快進撃で全国ベスト4(3位)進出に貢献。大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。高校3年時には静岡県選抜のDFとして国体全国制覇を達成した。

高校時代に培われた不屈のメンタリティと献身性は、筑波大学を経てジュビロ磐田での黄金期、そして1998年フランスW杯での「日本代表W杯史上初ゴール」へと繋がる偉大なキャリアの揺るぎない礎となった。

所属チーム

静岡県立藤枝東高等学校

生年月日

1967年9月23日

サイズ(身長・体重)

178cm / 72kg

ポジション

FW / DF / MF

出身チーム

  • 3種:岡部町立岡部中学校サッカー部(現・藤枝市立岡部中学校)
  • 4種:岡部サッカースポーツ少年団(岡部町立岡部小学校)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1983年度・第62回):静岡県予選 準決勝敗退
  • 2年時(1984年度・第63回):静岡県予選 優勝、全国大会 ベスト4(第3位)(大会優秀選手選出)
  • 3年時(1985年度・第64回):主将として静岡県予選 準優勝(決勝で清水東に惜敗)
高校総体
  • 1年時(1983年度・愛知総体):静岡県予選 敗退
  • 2年時(1984年度・秋田総体):静岡県予選 優勝、全国大会出場
  • 3年時(1985年度・石川総体):静岡県予選 優勝、全国大会 ベスト8
リーグ戦(全日本ユース等)
  • 1年時(1983年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1984年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1985年度):該当なし(※大会創設前)




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 日本ユース代表(U-19日本代表候補):1985年選出(高校3年時)
  • 日本高校選抜:1985年選出(高校2年時・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:静岡県選抜(1985年 国民体育大会少年男子の部 優勝
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

岡部中学校からサッカーの街・藤枝の名門である藤枝東高校へ進学。高校2年時の1984年度・第63回全国高校サッカー選手権大会でエースストライカーとしてチームを全国ベスト4(3位)進出へ導き、大会優秀選手に選出されて日本高校選抜の一員として欧州遠征に参加した。

高校3年時には持ち前の強靭なフィジカルと対人守備の強さを買われ、静岡県選抜のディフェンダーとして第40回国民体育大会(わかとり国体)少年の部に出場。武田修宏らと共に攻守に圧倒的な存在感を示し、見事に全国優勝(日本一)を成し遂げた。さらに日本ユース代表候補にも選出され、高校年代屈指のタレントとして名を轟かせた。この高校時代のマルチな経験と不屈の闘争心が、名門・筑波大学進学後の急成長へと直結していった。

卒業後の進路

大学

筑波大学体育専門学群(筑波大学蹴球部、1986年 – 1990年卒業 / 関東大学リーグ優勝、総理大臣杯優勝)

プロ

  • ヤマハ発動機 / ジュビロ磐田(1990年 – 2009年 / J1優勝3回、得点王2回、年間MVP)
  • コンサドーレ札幌(2010年 – 2012年)
  • アスルクラロ沼津(2015年 – 2020年現役引退)

日本代表

サッカー日本代表(A代表)(1990年 – 2003年 / 国際Aマッチ53試合21得点、1998年W杯日本初ゴール、2002年W杯16強)

卒業後のキャリアの総評

筑波大学卒業後の1990年にJSLのヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)へ加入。Jリーグ開幕後は磐田の絶対的エースとして黄金期を築き、1998年にはシーズン最多記録となる36得点を叩き出してJリーグMVPと得点王を獲得。4試合連続ハットトリックのギネス世界記録を樹立した。

日本代表としても「ドーハの悲劇」を乗り越え、1998年フランスW杯のジャマイカ戦で「日本代表のW杯史上初ゴール」を記録。2002年日韓W杯でも背番号10を背負ってチームを牽引し、国民的英雄となった。

その後、札幌や沼津で50歳を超えても現役として情熱を注ぎ続け、引退後はジュビロ磐田のコーチを経てアスルクラロ沼津の監督を務めるなど、日本サッカー界の象徴として熱狂を生み出し続けている。