流経大柏高校【チーム紹介:千葉県】

サッカー部の歴史・躍進

全国大会優勝回数5回、Jユースとも互角以上に戦う

 学校設立は1985年、サッカー部も同年に設立された。創部当時は、市立船橋、習志野が千葉県では圧倒的な存在感を示し、県大会にも出場できないチームだった。

 当時はラグビー部が県内では敵なしの状況で、全国大会でもコンスタントに上位進出を果たしている。

 サッカー部の強化が始まったのは2000年、流通経済大学は強化が進んでいたが、高校のサッカーも強化を目指し当時習志野高校で指揮を執っていた本田裕一郎を監督として招聘し、そこから一気に快進撃が始まった。

 2004年に早くも高校総体出場を果たすと、2007年、2回目の出場の選手権で藤枝東高校を5-0で破って その後は全国トップレベルの実力校として、高校選手権優勝1回、高校総体優勝2回、全日本ユース優勝1回、2013年にはJユースの強豪との闘いを制してプレミアリーグチャンピオンシップを制覇と高校サッカー界に輝く歴史を残し、現在でも高校世代トップリーグであるプレミアリーグイーストで激しい戦いを繰り広げている。


監督・コーチ

 流経大柏が日本の高校サッカー界のトップクラスの実力を維持し続けるのには3人の優れた指導者の活躍なしには語れない。

本田裕一郎

高校サッカー界屈指の名将である本田監督

 流経大柏の躍進には本田裕一郎監督の情熱無しに語れない。既に市原緑を県内屈指の強豪校に育て、次に就任した習志野でも高校総体優勝、選手権ベスト4進出を果たした名将は、そのまま習志野で勤め上げる気でいたが、2001年に千葉県教員2,000人の人事異動が発表され、強制的に別の学校へ行かざるを得なくなり、県教員を辞めた。流通経済大学から「大学だけでなく、高校のサッカーも強化していきたい」と誘われ、私学の流通経済大柏高校へ行くことに決めた。この時53歳だった。

 サッカー部は同好会みたいなもので、部員は十数人のみがなく、その時、習志野にいた新2年生となる選手など15人が編入した。そこで着いた来た選手たちのため、教員を退職して得た1500万円で5LDKの格安マンションを買い、選手と一緒に住み始めた。当初にラグビー部の専用グラウンドの一部や借りたり、柏の葉公園などで練習をしていた。翌2001年には選手寮である小山ドミトリーができ、2002年には専用グラウンド(第二グラウンド)ができ、強化が進んだ。

 習志野時代との大きな違いは、学校からの後押しもあったが、勝つことを強く求められたため、勝利から逆算したハイプレスと豊富な運動量、守備力を重視したサッカーを展開、私学である特徴を活かし、選手寮を完備、スポーツ推薦制度を利用し全国から優秀な選手を集めた。

2016年5月には、大腸がんを患う、進行度はステージ4で余命8か月と診断されたが、見事に克服した。

近年は欧州での育成の視察を積極的に実施し、世界の最新サッカーのトレンドを掴み、積極的にチームに取り入れている。

次のページ:流経大柏のこれまでの戦績を振り返る(2001~2009年)

流経大柏のスローガン・戦術・部員・ユニフォーム・寮など

ページ:

1

2 3 4 5 6
ページ上部へ戻る