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前園 真聖(鹿児島実業高校 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
「和製マラドーナ」と称され、切れ味鋭いドリブル突破と圧倒的なイマジネーションで日本中を熱狂させた伝説のドリブラー。相手DFを一瞬で抜き去るキレ味抜群のシザースフェイント、重心の低い高速ドリブル、そして左45度からの正確無比なシュートを武器に、名門・鹿児島実業高校のエースとして君臨した。
松澤隆司監督の指導のもと、1年時からレギュラーを獲得して3年連続でインターハイ・全国高校選手権に出場。高校2年時の第69回全国高校選手権ではチームを牽引して同校史上初となる全国準優勝を果たし、大会優秀選手に選出。高校3年時の全日本ユース選手権でも全国準優勝に導いた。
ピッチ上で放つ圧倒的な華と勝負強さは全国のファンを魅了し、高校選抜やユース代表でも中心として躍動。後に横浜フリューゲルスでの大ブレイクや、アトランタ五輪代表主将として「マイアミの奇跡」を起こすその変幻自在の個人技と強い勝負勘は、鹿実の厳しい鍛錬の中で磨かれた。
所属チーム
鹿児島実業高等学校
生年月日
1973年10月29日
サイズ(身長・体重)
170cm / 67kg
ポジション
MF / FW
出身チーム
- 3種:東郷町立東郷中学校サッカー部(現・薩摩川内市立東郷中学校)
- 4種:東郷少年サッカー団(薩摩川内市立東郷小学校)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1989年度・第68回):鹿児島県予選 優勝、全国大会 ベスト16
- 2年時(1990年度・第69回):鹿児島県予選 優勝、全国大会 準優勝(決勝で国見に惜敗、大会優秀選手に選出)
- 3年時(1991年度・第70回):鹿児島県予選 優勝、全国大会 ベスト16(大会優秀選手に2年連続選出)
高校総体
- 1年時(1989年度・高知総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会出場
- 2年時(1990年度・宮城総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会出場
- 3年時(1991年度・静岡総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会出場
リーグ戦(全日本ユース等)
- 1年時(1989年):未開催(※1990年創設)
- 2年時(1990年・第1回大会):九州地区予選 敗退
- 3年時(1991年・第2回大会):九州地区予選 突破、全国大会 準優勝(決勝で徳島市立に惜敗)
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-18/U-19日本代表(1990〜1991年・AFCユース選手権等出場)
- 都道府県選抜:鹿児島県選抜(1989年・1990年・1991年 国民体育大会少年男子の部 出場)
- 日本高校選抜:1991年・1992年選出(第69回・第70回選手権優秀選手、欧州遠征参加)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
東郷中学校時代から鹿児島県選抜に選ばれ、鹿児島実業高校進学後は1年生時から主力として鹿児島県選抜で国体に出場。高校2年時(第69回大会)および3年時(第70回大会)の全国高校サッカー選手権で2年連続の大会優秀選手に選出され、日本高校選抜として欧州遠征に参加した。
高校2年・3年時にはU-18およびU-19日本代表にも選出され、アジアユース選手権などで国際舞台を経験。当時から相手DFを手玉に取る独創的なドリブル突破力は世代屈指と評され、高校サッカー界のスターとして君臨した。この高校年代での確固たる実績が、高校卒業時のJリーグ開幕前の名門・横浜フリューゲルスへのプロ入り、そして後のU-23日本代表での大躍進へと繋がっていった。
卒業後の進路
大学
該当なし(高卒でプロ入り)
プロ
- 横浜フリューゲルス(1992年 – 1996年 / 1993年天皇杯優勝、1994年・1995年Jリーグベストイレブン)
- ヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ1969(1997年 – 1998年、2001年 – 2002年)
- サントスFC / ゴイアスEC[ブラジル](1998年 – 1999年)
- 湘南ベルマーレ(2000年)
- 安養LGチータース / 仁川ユナイテッドFC[韓国](2003年 – 2004年 / 2005年現役引退)
日本代表
U-23日本代表(1995年 – 1996年 / アトランタ五輪キャプテン)、サッカー日本代表(A代表)(1994年 – 1997年 / 国際Aマッチ19試合4得点)
卒業後のキャリアの総評
1992年に鹿児島実業高校から横浜フリューゲルスへ加入。Jリーグ開幕とともにキレ味鋭いドリブルで社会現象的な人気を獲得し、1993年天皇杯優勝や1994年・1995年Jリーグベストイレブン受賞など日本を代表するアタッカーとして君臨した。
1996年のアトランタ五輪ではU-23日本代表の主将を務め、最終予選準決勝のサウジアラビア戦で2得点を挙げて日本を28年ぶりの五輪出場へ牽引。本大会初戦では王国ブラジルを撃破する「マイアミの奇跡」を成し遂げ、日本サッカー史に燦然と輝く伝説を打ち立てた。
その後はヴェルディ川崎やブラジルのサントスFC、韓国Kリーグなどでプレーし、2005年に現役を引退。引退後はサッカー解説者やZONOサッカースクールの主宰として普及活動に尽力し、タレントとしても幅広いメディアで国民的人気を集めている。















