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大榎 克己(清水東高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
長谷川健太、堀池巧とともに「清水東三羽ガラス」として一世を風靡し、1980年代初頭の高校サッカー界に空前のブームを巻き起こした希代のゲームメーカー。広い視野と卓越した戦術眼、長短の正確無比なパスワークと勝負どころでの強烈な得点力で清水東の黄金期を牽引した。
高校1年時の1981年に夏のインターハイで全国制覇を果たすと、2年時の第61回全国高校選手権では県決勝での劇的ボレー弾を経て全国初優勝を達成。主将を務めた3年時の第62回選手権でも準優勝へと導き、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出された。
早稲田大学、ヤマハ発動機を経て地元・清水エスパルスの創設期に加入し、初代キャプテンとして1996年ナビスコカップ初制覇など数々の栄光に貢献。引退後も母校・早稲田大やエスパルスの監督を務めるなど、日本サッカーの発展に尽くし続けるレジェンドの原点は清水東にある。
所属チーム
静岡県立清水東高等学校
生年月日
1965年4月3日
サイズ(身長・体重)
178cm / 73kg
ポジション
MF / DF
出身チーム
- 3種:清水市立清水第一中学校サッカー部(静岡県)
- 4種:清水FC(清水サッカースクール / 静岡県)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1981年度・第60回):静岡県予選 敗退(全国大会不出場、※静岡県代表は清水市立商業高校)
- 2年時(1982年度・第61回):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)(大会優秀選手選出)
- 3年時(1983年度・第62回):主将として静岡県予選 優勝、全国大会 準優勝(大会優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1981年度・神奈川総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(初制覇)
- 2年時(1982年度・鹿児島総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1983年度・愛知総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1981年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1982年度):該当なし(※大会創設前)
- 3年時(1983年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1981年・びわこ国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 2年時(1982年・くにびき島根国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝
- 3年時(1983年・あかぎ群馬国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 準優勝
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:日本ユース代表(U-19日本代表 / 1982年・1983年)
- 日本高校選抜:1983年・1984年選出(2年連続選出・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(1981年・1982年[優勝]・1983年[準優勝])
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
小学生時代に清水FCの主力として全日本少年サッカー大会で活躍し、清水東高校進学後は1年生時からレギュラーとして台頭。2年時・3年時には日本ユース代表(U-19日本代表)に選出され、AFCユース選手権予選など国際大会の舞台を経験した。
全国高校選手権において2年連続で決勝進出(2年時:優勝、3年時:準優勝)を果たし、2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出。欧州遠征でも中盤の司令塔として高い戦術眼と統率力を発揮し、静岡選抜としても1982年島根国体優勝に貢献するなど、同世代最高峰のゲームメーカーとしてその名を全国に轟かせた。
卒業後の進路
大学
早稲田大学(ア式蹴球部 / 1984年 – 1987年)
プロ・社会人
- ヤマハ発動機サッカー部(JSL / 1988年 – 1991年)
- 清水エスパルス(1992年 – 2001年 / 初代主将)
日本代表
サッカー日本代表(A代表)(1989年 – 1990年 / 国際Aマッチ5試合0得点)
卒業後のキャリアの総評
早稲田大学進学後は関東大学リーグ制覇やインカレ優勝に貢献し、大学屈指のMFとして活躍。卒業後はヤマハ発動機を経て、1992年に地元・清水エスパルスの創設メンバーとして加入した。
エスパルスでは初代キャプテンを務め、卓越したリーダーシップと攻守のバランス感覚でチームを牽引。1996年のナビスコカップ初制覇、1999年のJ1・2ndステージ優勝、2001年の天皇杯優勝などクラブの主要タイトル獲得に大きく貢献し、J1通算252試合に出場した。
引退後は早稲田大学監督として全日本大学選手権制覇を果たしたほか、エスパルスのユース監督、トップチーム監督、GMを歴任。育成からトップチーム運営まで多角的にクラブを支え、静岡および日本サッカー界に多大な足跡を残している。




















