名将、奈良監督からOBの贄田監督へ
前橋商の躍進の立役者と言えば、奈良知彦前監督の存在が上げられる。奈良前監督は習志野高校時代に選手権制覇を成し遂げ、昭和51年に前橋商の監督に就任、その3年度に高校総体へ初出場を果たした。服部、鳥居塚など優秀な選手を集め、2年連続で選手権ベスト4進出を決めた。
昭和57年には前橋商のOBを中心に集まった図南SCを立ち上げた。ジュニアユースは平成7年に創設、ここから優秀な選手が進学するようになり、日本代表になった高橋秀人も輩出し、更に安定したチーム力に貢献した。図南SCは現在は、TonanとしてJリーグを目指すチームにまで成長している。
平成16年から監督を前橋商OBの贄田浩明監督に引き継いだ。贄田監督は明治大学卒業後、図南SCに所属し、2003年に引退し群馬・榛名養護学校で知的障害の生徒への指導を経験し、監督に就任した。就任後、すぐに高校選手権に出場し、チームをベスト8に導いている。
服部、大野、高橋秀人など多くのJリーガを輩出
前橋商と言えば、2年連続で選手権ベスト4に貢献した服部浩樹(横浜フリューゲルス他)、柏レイソルで10番を背負った大野敏隆、磐田、横浜FMなどは活躍した清水範久など、早々たるメンバーが所属していた。
中でも現在、FC東京に所属し、ザックジャパン時代に日本代表となった高橋秀人がもっとも成功していると言える。高橋は図南SCジュニアユースから前橋育英に行く予定だったか周囲からの説得で前橋商へ入学、2年生の時には、選手権ベスト8に貢献している。