チームの特色
北信越の雄、本田圭祐を輩出した名門校
星稜高校は日本代表で活躍する本田圭祐や豊田陽平を輩出した名門校として有名だ。学校は昭和37年に実践第二高校として創立。翌年には星稜高校に改称した。サッカー部は昭和42年に創部、昭和49年には選手権に初出場すると翌昭和50年には高校総体にも出場、その後、平成26年まで、選手権には16年連続25回の出場、3年連続23回の出場を決めており、石川県はもとより北信越を代表する強豪校として確固たる地位を築き上げている。
星稜は初めて全国的に注目されたのが、田中俊也や2年生の豊田、1年生の本田圭祐を擁し、平成14年の全日本ユースでの準優勝だ。相手は高校サッカーの名門国見高校だったが、4-2で敗れたが内容は互角以上の戦いだった。平成14年より始まったプリンスリーグ北信越でも、初代チャンピオンとなり、現在まで7回優勝、Jユースのアルビレックス新潟と互角の戦いを展開している。平成16年、本田圭祐が3年生の時には石川県勢初めて国立を経験、ベスト4へ進出した。本田の活躍後、全国から優秀な選手が集まるようになり、石川では敵なしとなり全国大会の常連校となった。
3年後の平成19年には高校総体で準優勝を果たし存在感は示した。全国大会には出場するが、目立った成績は残さなかったが、平成24年の高校選手権では2度目のベスト4進出、惜しくもPK戦で敗れたが、存在感を示した。翌平成25年は高校総体でベスト8、高校選手権では初の決勝進出、2点リードであと一歩で優勝だったが、同点にされ延長戦で敗れ惜しくも準優勝となった。平成26年は、同じく高校総体ではベスト8、高校選手権では、昨年のレギュラーが半数残り、河崎監督不在の中、堅い守りとセカンドボールをモノにする勝負強さとサイド攻撃で、ついに全国の頂点を極めた。全国的に戦力が分散した群雄割拠の中、3年連続でベスト4進出は立派な成績と言える。
河崎監督不在の中で選手権初優勝
平成26年12月26日、河崎監督の乗った乗用車がガードレールに接触、助手席に乗っていた河崎監督は腹を強打して緊急手術を行い、入院したため木原コーチが監督代行として指揮を執る異例の状況となった。初戦となった鹿児島城西戦では後半に退場者を出して苦しい状況だったがPKで勝利すると、米子北、履正社、日大藤沢、そして決勝では前歯育英に逆転勝ちで昨年の雪辱を果たし、初優勝を成し遂げた。FWの前線からのプレスから始まる守備意識の高いボランチとDF陣はセカンドボールの競り合いに勝ち続け、サイドバックと攻撃的MFとFWでサイドからゴールを狙うスタイルは優勝にふさわしいチームだった。
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