目次
サッカー部の歴史・躍進
東北を代表する福島の新鋭校
尚志高校は東北地方を代表するサッカーの名門校だ。昭和39年に日本初の女子工業「女子工業高校として創立。昭和49年には、地域の要望に応え普通科を設立、平成2年には普通科特別進学コースに男子を受け入れ、平成9年には普通科全体に男子へ門戸を開き、男女共学校となった。
この年に現在の仲村浩二監督が就任した。9年後の平成18年、初の選手権出場を決めた。3回目の出場となった平成21年の選手権では広島観音、平成22年度は関大一に1-0で敗れ、共にベスト16に終わったが、強豪校とも互角にやれる感触をつかんだ。
この年から始まったプレミアリーグイーストにもプリンスリーグ東北を勝ち抜いて参戦。東日本大震災の影響で、満足に練習もできない状況ながら参戦し、残念ながら最下位となったが、東日本の強豪Jユースや高校とも真剣なリーグ戦を経験した。平成23年の高校選手権では快進撃を続け、福島県勢初めてのベスト4進出、国立に芝を踏む結果となった。現在はプリンスリーグ東北で上位をキープ。インターハイでは5年連続で出場、平成23年にベスト8、平成26年にはベスト16に進出、東北を代表する名門校として安定した成績を残している。
東日本大震災を乗り越えて選手権ベスト4
平成23年3月11日、東日本大震災が起こり、尚志高校も大きな影響を受けた。3月には一旦解散状態に追い込まれた。しかし、3月下旬から仲村浩二監督の母校である習志野高校(千葉県)で練習を積み、4月中旬からは本格的に学校のグラウンドでトレーニングすることができた。4月はすでに今リーグが開幕しており、ライバルたちがしのぎを削っている最中に5月の開幕戦に向け、コンディションの回復とチーム作りを急ピッチで行っていた。当然前期の成績はは1勝6敗2分で最下位、後期は堅守速攻にサッカーを切り替え、力のあるチームともいい勝負にでき、4勝3敗2分で互角に戦いができるようになっていた。この経験が選手権で活きるようになる。
選手権では鬼門の3回戦桐光学園戦で3-3で同点からPK戦で勝利を掴み、初のベスト8、準々決勝の桐生一戦では、下馬評の高かった相手に3-1で完勝、福島県勢として初の国立となった。準決勝では四日市中央工に完敗したが、試合後のロッカールームで仲村監督は選手たちに、「胸張って帰ろうぜ、お前ら本当に最高だよ 福島に元気を与えたよ」と感動の言葉を選手たちへ残した。
2度目のプレミアリーグ昇格と選手権ベスト4
その後は東北の強豪としてプリンスリーグ東北では存在感を示していたが、平成30年は大きく飛躍する年となった。プリンスリーグ東北で優勝し、プレミアリーグ参入戦を勝ち抜き、平成23年に続き2度目の昇格を勝ち取った。特に初戦のアカデミー福島との対戦では、後半終了間際に同点にされ、GK退場、怪我人が出て交代枠を使えず、9人で延長戦を戦い、PK戦で勝利するなどミラクル尚志を印象づけた。しかし、選手権では、東福岡、前橋育英など選手権優勝経験のあるチームを倒し、準優勝では青森山田にPKで敗れたが、途中までリードするなど互角以上の戦いを展開した。
監督・コーチ
仲村浩二監督の褒めて伸ばすチーム作り
尚志の監督と言えば、仲村浩二監督の存在抜きでは語れない。仲村監督は高校時代、名門の習志野高校のMFで、高校生ながらバルセロナオリンピック代表候補に選ばれ、当時のJリーグ横浜フリューゲルスにも声をかけられた逸材であった。順天堂大学でもサッカーを続けると同時に、教職員免許も取得。卒業後は当時JFLの福島FCに所属し、2年目にはプロ契約を結んだ。
しかしチームは不況の影響を受けまさかの解散、仲村監督も地元千葉に帰ることを考えていた。この時、男女共学となり、サッカーを強化しようとしていた尚志高校に声をかけられ、監督に就任した。
最初は2年生5名でサッカー経験者1名と選手が全く集まらない状況からのスタートだったが、学校の協力もあって、積極的に選手を集め3年目で新人戦に優勝したり、東北大会で3位になった。しかしその後、高校総体と選手権には中々出場できなかった。流通経済大学柏の本田監督や、盛岡商業の齋藤元監督からの話を聞き、選手の教育面を大切にし、これまでの厳しく叱咤激励する指導方法から褒めて伸ばす指導にスタイルを変え、就任9年目で初めての選手権出場を果たした。
チームについて
チームスローガン
尚志必成
「志を尚ぶ人間は必ず成功する」という創設者佐藤信の信念。明確な人生目標を持ち、あらゆる困難を克服しつつ努力を続ける者こそ、人生の成功者となることができる。
Pride of SHOSHI
仲村監督が尚志でサッカーをするという誇りを持って、自分のために、チームのために全力を尽くして欲しいという想いを込めて、チームスローガンとして掲げた。
前線の個を活かしたサイド攻撃
尚志のフォーメーションは4-4-2のボックス型を基本としてサイドバック、ボランチ、攻撃的MF、FWを絡めてサイドを崩し、クロスに合わせてゴールを奪うケースが多い。また、ワントップでFWのポストプレーから攻撃的MF3人の押し込み得点パターンも持っている。攻撃力に比べ守備に課題があったが、近年はチャレンジアンドカバーを徹底し、ボランチの守備力も向上し、勝てるチームになっている。
サッカー部員
所属リーグ
トップチームはプリンスリーグ東北、Bチームは福島県1部リーグ、Bチームは2部リーグに所属している。
部員数
104名(3年:28名・2年:39名・1年:37名)
3種(中学)出身チーム
千葉県出身の選手と鹿島アントラーズの下部組織の選手、地元福島出身の選手が融合。選手権初出場を果たすと、中村監督の出身地である千葉県の強豪町グラブから選手権に憧れて、尚志の門を叩くようになった。ヴィヴァイオ船橋、三井千葉SC、柏ラッセルの千葉県勢だけでなく、埼玉の三郷ジュニアユース、茨城の古河FC、つくばFCなど首都圏からメンバーが集まるようになった。一時は千葉県出身者のチームということで、批判もあったが、平成20年には、福島県の選手を育てる目的でラッセル郡山というジュニアユースを設立し、尚志のOBを中心に指導に当たっている。
ユニフォーム
ホームは赤・赤・赤でアウェイは白・白・白である。
メーカーは長年ディアドラを使用していたが、近年は、プーマ制のユニフォームを使用している。
深緑がスクールカラーなのですが、仲村監督に就任した当時、福島県には郡山商業という強豪校のユニフォームが深緑だったため、自分の母校である習志野高校のユニフォームのエンジにして、SHOSHIのロゴを深緑にしたとのこと。
学校生活
人工芝のグラウンドが完成
平成24年5月、チームの念願であった人工芝のグラウンドが完成、こけら落としでも名門市立船橋に勝利した。仲村監督は人工芝環境でリアクション的なサッカーではなくて、こっちが主導権を握るようなサッカーを目指している。また、校内に男子寮と女子寮が設けられており、遠隔地からの進学者を受け入れている。
主な出身Jリーガー
内山俊彦 福島ユナイテッドFC
高慶汰 AC長野パルセイロ