那須大亮(鹿児島実業 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
高さとフィジカルを武器にセンターラインを支配したストッパー。鹿児島県南さつま市(神奈川県横浜市生まれ)の出身で、枕崎市立枕崎中学校から鹿児島実業へ進学。同級生の松井大輔、1学年下の田原豊らとともに3年時の第78回選手権で全国準優勝に立った。卒業後は駒澤大学を経て横浜F/マリノスへ加入し、2年目の2003年にJリーグ新人王を獲得してJ1連覇(2003年/2004年)にも貢献。その後は東京ヴェルディ、ジュビロ磐田、柏、浦和、神戸と渡り歩き、2017年に浦和でアジアチャンピオンズリーグを制覇した。
高校時代のハイライトは、3年時の第78回選手権(1999年度)である。1回戦の松商学園戦に4-0、2回戦の国見戦に2-0、3回戦の真岡戦に3-1、準々決勝の帝京戦に2-1、準決勝の富山第一戦に4-1と勝ち上がり、決勝では全試合無失点で勝ち進んできた市立船橋に0-2で敗れたものの全国準優勝。同級生の松井大輔が大会得点王に輝く中、背番号3のセンターバックとして最終ラインを支えた。1年時(1997年度)は第76回大会に1学年上の遠藤保仁らとともに出場して2回戦敗退。2年時は本大会出場を逃した。
2004年のアテネオリンピックではU-23日本代表のキャプテンを務めた。現役引退後はユーチューバーとしてサッカーの普及に努め、2021年からはチーム「WINNER’S」の監督を務め、2026年2月からはJFL参入を掲げる両立型フットボールクラブ「Dual Grit FC」のアンバサダー兼コーチにも就任している。
所属
鹿児島実業高等学校(鹿児島県)
生年月日
1981年10月10日
サイズ(身長/体重)
180cm / 77kg
ポジション
DF(センターバック/サイドバック)、MF(ボランチ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):枕崎市立枕崎中学校(1994-1996年)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):確認できた記録なし(要確認)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1997年度/第76回大会):2回戦敗退。1回戦の浦和東戦に4-0、2回戦で前橋商に1-4で敗れた(1学年上の遠藤保仁とともに出場。本人の出場状況の詳細は要確認)。
- 2年時(1998年度):本大会出場を逃した(第77回大会の出場校に鹿児島実業の名はなかった)。
- 3年時(1999年度/第78回大会):全国準優勝。1回戦の松商学園戦に4-0(三ツ沢公園球技場)、2回戦の国見戦に2-0(等々力陸上競技場)、3回戦の真岡戦に3-1、準々決勝の帝京戦に2-1、準決勝の富山第一戦に4-1と勝利し、決勝(2000年1月8日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で市立船橋に0-2で敗れた。市立船橋は全試合無失点での優勝。準々決勝の帝京戦では背番号3でスタメン出場した記録が残る。
- 個人表彰:確認できた記録なし(大会得点王は同級生の松井大輔)
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1997年)〜3年時(1999年):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は東福岡、市立船橋、八千代と広島皆実の両校優勝)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1997年)〜3年時(1999年):鹿児島実業の優勝/進出記録は確認できず。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1997年)〜3年時(1999年):確認できた出場記録なし(この期間の少年男子優勝は静岡/千葉/千葉)。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:確認できた記録なし(要確認)。
【高校時代の代表歴について】
那須の高校時代の代表/選抜歴として確認できる記録は得られていない。全国準優勝を果たした1999年度のチームからは、同級生の松井大輔がのちの代表候補として注目を集めたが、那須自身が世代別代表の表舞台に立つのは大学進学後となる。
駒澤大学時代に頭角を現した那須は、2001年にU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権に出場。2002年からはU-23日本代表に選出され、2004年アテネオリンピックではキャプテンを務めた。高卒直後から注目されるタイプではなく、大学で名を上げて五輪代表の主将にまで上り詰めた経歴は、高校サッカーからJリーグへつながる道の多様さを示している。
卒業後の進路
プロ/社会人
- 駒澤大学(2000年〜):文学部地理学科を卒業。2年時に全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献し、2002年に横浜F/マリノスへ加入。
- 横浜F/マリノス(2002-2007年):公式戦119試合6得点。J1優勝2回(2003年/2004年)。2003年Jリーグ新人王。
- 東京ヴェルディ(2008年):32試合1得点。
- ジュビロ磐田(2009-2011年):100試合7得点。2010年Jリーグカップ優勝。
- 柏レイソル(2012年):23試合0得点。2012年天皇杯優勝。
- 浦和レッズ(2013-2017年):117試合15得点。2013年Jリーグベストイレブン(DF)。2017年AFCチャンピオンズリーグ優勝。
- ヴィッセル神戸(2018-2019年):9試合0得点。2019年12月16日に現役引退を発表し、2020年1月1日の天皇杯決勝を最後に現役を引退(神戸は天皇杯初優勝)。
- アルビレックス新潟バルセロナ(2022年):1試合0得点。いわてグルージャ盛岡(2023年):1試合0得点。
- 個人表彰:Jリーグ新人王(2003年)、Jリーグベストイレブン(2013年)、Jリーグ功労選手賞(2020年)。
日本代表(国際Aマッチ)
出場記録なし。U-20日本代表(2000-2001年、2001年FIFAワールドユース選手権)、U-23日本代表(2002-2004年、2試合。2004年アテネオリンピックではキャプテン)。
引退後の活動/指導歴/役職
自身のYouTubeチャンネルを中心にユーチューバーとして活動。2021年からはチーム「WINNER’S」の監督。2022年2月にルヴァンカップ30回大会記念アンバサダーに就任。2026年2月にはJFL参入を掲げて始動する両立型フットボールクラブ「Dual Grit FC」のアンバサダー兼コーチ(ヘッドコーチアシスタント)に就任した。
【卒業後のキャリアの総評】
那須の現役時代のハイライトは、1999年度シーズンの全国準優勝である。決勝の市立船橋は全試合無失点という金字塔を打ち立てた強豪で、那須たち鹿児島実業は最後の最後でその壁に屈した。それでも2回戦では国見を2-0で下し、同級生の松井大輔が大会得点王に輝く中で、この年の選手権を最も彩ったチームの一つとなった。
卒業後は駒澤大学で全日本大学サッカー選手権優勝を経験すると、2002年に横浜F/マリノスへ加入。2年目の2003年にJリーグ新人王を獲得し、2003年/2004年のJ1連覇に貢献した。以降は東京ヴェルディ、ジュビロ磐田、柏、浦和、神戸と渡り歩き、2010年にはジュビロでJリーグカップ優勝、2012年には柏で天皇杯優勝。浦和では2013年にJリーグベストイレブン(DF)に選ばれ、2017年にはアジアチャンピオンズリーグ制覇を経験している。
現役最後の試合となった2020年1月1日の天皇杯決勝では、所属する神戸が天皇杯初優勝を果たし、選手生活を最高の形で締めくくった。2022年にはアルビレックス新潟バルセロナ、2023年にはいわてグルージャ盛岡で限定的な現役復帰も経験。引退後はユーチューバーとして発信を続けながら、2021年から「WINNER’S」の監督を務め、2026年からはJFL参入を掲げるDual Grit FCのアンバサダー兼コーチに就任するなど、ピッチの内外でサッカーに関わり続けている。























