相馬直樹(清水東 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
積極的なオーバーラップで左サイドを駆け上がり、Jリーグ第一次黄金期の日本代表で左サイドバックの代名詞と呼ばれたストッパー的な左SB。1971年7月19日、静岡県清水市(現:静岡市清水区)の生まれで、高部小スポーツ少年団、清水市立第六中学校を経て清水東へ進学した。県内では清水市商の全盛期にあたり、全国の舞台には立つことができなかったが、3年時の第68回選手権(1989年度)で静岡県代表として念願の全国大会に出場した。
3年時の第68回大会では、2回戦の徳島商に3-0で勝利したが、3回戦でこの年の準優勝校となる武南に0-1で敗れてベスト16。同級生には斉藤俊秀や野々村芳和がおり、相馬、斉藤、野々村がそろった1989〜90年度の清水東は、絶対王者の壁を破って全国選手権へ出た世代として静岡サッカー史に名を残している。1年時、2年時は全国大会の出場記録が確認できない。
卒業後は早稲田大学へ進学し、在学中にバルセロナオリンピックのアジア予選に出場。1994年に鹿島アントラーズへ加入すると、J1優勝4回をはじめとする数々のタイトルを獲得し、1995年/1996年とJリーグベストイレブンに連続選出された。日本代表では58試合4得点を記録し、1998年のフランスワールドカップではグループリーグ全3試合に出場。引退後は町田ゼルビア、川崎フロンターレ、鹿島、大宮を指揮し、2024年11月からは鹿児島ユナイテッドFCのGM兼監督を務め、2025シーズンをもって退任している。
所属
静岡県立清水東高等学校(静岡県)
生年月日
1971年7月19日
サイズ(身長/体重)
175cm / 72kg
ポジション
DF(左サイドバック/センターバック)、MF(ボランチ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):清水市立第六中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):高部小スポーツ少年団
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1987年度/第66回大会)〜2年時(1988年度/第67回大会):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は国見、清水市商)。
- 3年時(1989年度/第68回大会):ベスト16。2回戦の徳島商戦に3-0で勝利したが、3回戦で武南に0-1で敗れた(武南はこの年の準優勝校)。静岡県予選を勝ち抜いて全国大会に出場した。
- 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1988年)〜3年時(1990年):確認できた出場記録なし(この期間の全国優勝は市立船橋、清水市商)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1987年)〜3年時(1989年):高校ユースの全国大会は1989年のプレ大会が初開催で、正式な第1回大会は1990年開催。在学中は正式な大会が存在せず、プレ大会への出場記録も確認できない。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1987年):静岡県選抜が第42回国体で優勝(編成校および本人の出場の詳細は要確認)。
- 2年時(1988年):静岡県選抜が第43回国体で優勝(編成校および本人の出場の詳細は要確認)。
- 3年時(1989年):確認できた出場記録なし(第44回の優勝は徳島)。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:確認できた記録なし(要確認)。
【高校時代の代表歴について】
相馬の高校時代の代表/選抜歴として確認できる記録は得られていない。全国大会への出場は3年時の第68回選手権のみで、しかも3回戦敗退という結果だったため、高校生の段階で世代別代表の表舞台に立つことはなかった。
代表としての経歴は大学進学後に本格化する。早稲田大学でプレーしていた1992年前後にはバルセロナオリンピックのアジア予選に出場し、卒業前年の1995年5月18日にはエクアドル戦で国際Aマッチ初出場を果たした。1998年のフランスワールドカップでは全3試合に出場するなど、左サイドバックの代名詞と呼ばれるまでに至った経歴は、高校時代に全国で結果を残せなかった選手が、大学そしてJリーグの舞台で開花した典型例といえる。
卒業後の進路
プロ/社会人
- 早稲田大学(1990年〜1993年):ア式蹴球部に所属。在学中にバルセロナオリンピックのアジア予選に出場。
- 鹿島アントラーズ(1994年〜2003年):リーグ戦250試合10得点。2002年は東京ヴェルディ1969へ期限付き移籍(リーグ戦27試合0得点)。
- 川崎フロンターレ(2004年〜2005年):リーグ戦27試合0得点。2004年のJ2優勝/J1昇格に貢献し、2005年シーズン終了後に現役引退。
- 通算成績:国内リーグ戦304試合10得点。
- タイトル:J1優勝4回(1996年/1998年/2000年/2001年)、J1リーグ1stステージ優勝(1997年)、J1リーグ2ndステージ優勝3回(1998年/2000年/2001年)、Jリーグカップ優勝2回(1997年/2000年)、天皇杯優勝2回(1997年/2000年)、スーパーカップ優勝3回(1997年〜1999年)(いずれも鹿島アントラーズ)、J2優勝(2004年、川崎フロンターレ)。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン2回(1995年/1996年)。
日本代表(国際Aマッチ)
58試合4得点(1995年〜1999年)。1995年5月18日のエクアドル戦で初出場。1998年のフランスワールドカップではグループリーグ全3試合に出場した。
引退後の活動/指導歴/役職
2006年にJFAアンバサダーに就任し、解説者としても活動。川崎フロンターレのクラブアシストパートナーも務め、2009年にはU-20日本代表のナショナルトレセンコーチを経験した。指導者としては2010年にFC町田ゼルビア監督、2011年〜2012年に川崎フロンターレ監督、2013年にモンテディオ山形ヘッドコーチ、2014年〜2019年に再びFC町田ゼルビア監督、2020年〜2021年に鹿島アントラーズコーチ(2021年は監督)、2022年〜2023年に大宮アルディージャ監督。2024年11月に鹿児島ユナイテッドFCのGM兼監督に就任し、2025シーズンをもって退任した。
【卒業後のキャリアの総評】
相馬の高校時代は、静岡県内で清水市商の全盛期と重なっていた。全国タイトルの経験がないまま第68回選手権に出場すると、2回戦を3-0で快勝したが、3回戦でこの年の決勝に進む武南の壁に屈した。それでも相馬、斉藤俊秀、野々村芳和がそろったこの世代は、静岡サッカー戦後史に名を連ねるチームとして記録されており、相馬の左サイドからの推進力は早くから注目されていた。
早稲田大学を経て1994年に鹿島アントラーズへ加入すると、Jリーグ創成期のカシマサッカーを支える左サイドバックとして定着。1996年/1998年/2000年/2001年のJ1優勝4回をはじめ、Jリーグカップ2回、天皇杯2回、スーパーカップ3回と、この時代の鹿島が獲得したタイトルの大半を経験した。個人としても1995年/1996年とベストイレブンに連続選出されている。
日本代表では1995年5月のエクアドル戦で初出場してから58試合4得点。1998年のフランス大会では、日本のワールドカップ初出場となったグループリーグ全3試合にフル出場した。引退後は指導者へ転身し、町田ゼルビアを二度率いて川崎フロンターレ、鹿島アントラーズ(2021年に監督)、大宮アルディージャを指揮。2024年11月からは鹿児島ユナイテッドFCのGM兼監督としてJ3の改革に挑み、2025シーズンをもって退任した。
























