大野敏隆(前橋商 群馬県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
広い視野と傑出したキック精度、繊細なボールタッチを兼ね備え、中盤から長短のパスを自在に散らして決定機を演出した天才肌の司令塔。1978年5月12日に埼玉県で生まれ、幼少期に群馬県へ転居。前橋ジュニア、南橘中学校を経て群馬の名門・前橋商業高校へ進学した。中学時代から背番号10を背負って全国中学校サッカー大会で準優勝と得点王を獲得するなど、早くから全国区のタレントとしてその名を轟かせていた。
高校2年時の第74回全国高校サッカー選手権大会(1995年度)では10番を託され、1回戦の徳島市立戦に2-0で勝利。2回戦でこの大会を制する静岡学園に1-4で敗れたものの、相手の厳しいプレッシャーをいなすキープ力と卓越した戦術眼で全国に強烈なインパクトを残した。高校選抜やユース代表でも中村俊輔と並び立つ世代屈指のパサーとして高い評価を受け、高校サッカー界屈指のテクニシャンとして君臨した。
1997年に柏レイソルへ加入すると、プロ3年目から背番号10を託され、1999年のヤマザキナビスコカップ決勝で先制ゴールを挙げてクラブ史上初タイトル獲得に貢献。その後は京都パープルサンガ、名古屋グランパスエイト、東京ヴェルディ1969でプレーし、卓越したパスワークで観客を魅了した。現役引退後は地元群馬などでジュニア・ジュニアユース世代の育成・指導に情熱を注いでいる。
所属
群馬県立前橋商業高等学校(群馬県)
生年月日
1978年5月12日
サイズ(身長・体重)
173cm / 72kg
ポジション
MF(攻撃的MF・セントラルMF)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):前橋市立南橘中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):前橋ジュニア(玉村町立中央小学校)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1994年度・第73回大会):群馬県予選敗退(群馬県代表は前橋育英)。
- 2年時(1995年度・第74回大会):2回戦敗退。1回戦で徳島市立(徳島県)に2-0で勝利(千葉県総合運動場陸上競技場)。2回戦で静岡学園(静岡県)に1-4で敗戦(習志野市秋津サッカー場)。
- 3年時(1996年度・第75回大会):群馬県予選敗退(群馬県代表は前橋育英)。
- 個人表彰:確認できた記録なし(大会得点王は吉原宏太、初芝橋本・8得点)。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1994年)〜3年時(1996年):確認できた全国大会出場記録なし(群馬県予選等で前橋育英と激戦を繰り広げた)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1994年)〜3年時(1996年):確認できた全国大会出場記録なし。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1994年)〜3年時(1996年):群馬県選抜としての出場記録は確認できず。
代表歴
高校時代の代表・選抜歴:U-19日本代表、日本高校選抜(1996年スイス・ベリンツォーナ国際ユースサッカー大会優勝)。
【高校時代の代表歴について】
前橋商業高校時代の大野は、全国大会への出場機会こそ2年時の選手権に限られたものの、その非凡なボールスキルとゲームメイク能力は指導者やスカウト陣から極めて高く評価されていた。高校3年時には日本高校選抜の主力として選出され、1996年のスイス・ベリンツォーナ国際ユースサッカー大会に出場して見事に優勝を果たした。
さらにU-19日本代表にも名を連ね、中村俊輔らとともに中盤を形成。高校卒業直後の1997年に開催されたFIFAワールドユース選手権(マレーシア大会)ではU-20日本代表の司令塔として全5試合に出場し、コスタリカ戦での2得点を含む活躍で日本の世界ベスト8進出に大きく貢献した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 柏レイソル(1997年〜2005年):1999年ヤマザキナビスコカップ優勝。
- 京都パープルサンガ(2003年):期限付き移籍。
- 名古屋グランパスエイト(2004年):期限付き移籍。
- 柏レイソル(2004年〜2005年):復帰。
- 東京ヴェルディ1969/東京ヴェルディ(2006年〜2008年):2006年主将就任、2007年J1昇格。
- 通算成績:J1リーグ通算192試合19得点、J2リーグ通算55試合6得点、カップ戦41試合6得点、天皇杯11試合2得点、J1・J2入れ替え戦4試合1得点、ACL2試合0得点。国内公式戦通算303試合34得点。
- タイトル:ヤマザキナビスコカップ優勝(1999年、柏レイソル)。
- 個人表彰:確認できた記録なし。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし(2000年〜2001年に日本代表候補トレーニングキャンプ招集歴あり。U-23日本代表候補招集歴あり。U-20日本代表として1997年ワールドユース5試合2得点)。
引退後の活動・指導歴・役職
2008年シーズン限りで現役を引退。引退後は小学生向けサッカースクールの開校や自身のサッカークラブを設立し、前橋ジュニアU-15などでジュニア・ジュニアユース世代の監督・指導者として活動している。
【卒業後のキャリアの総評】
1997年に柏レイソルへ入団した大野は、ルーキーイヤーからU-20世界大会で躍動し、2年目にはリーグ戦28試合に出場して主力に定着した。3年目の1999年からは柏の象徴である背番号10を託され、卓越したキック精度と戦術眼を武器に攻撃陣を牽引。同年のヤマザキナビスコカップ決勝では強豪・鹿島アントラーズを相手に鮮やかな先制ゴールを沈め、クラブ史上初となる国内三大タイトル獲得の立役者となった。
2000年代前半は京都や名古屋への期限付き移籍を経験しつつ、2004年には降格危機にあった柏へ復帰してJ1・J2入れ替え戦で値千金のゴールを決めるなど残留に大きく貢献。2006年からはラモス瑠偉監督率いる東京ヴェルディ1969へ移籍し、初年度からキャプテンに就任して精神的支柱としてチームを引っ張り、2007年のJ1昇格を達成した。
度重なる腰の負傷に苦しみながらも、ピッチに立てば一瞬で局面を打開する天才的なパスワークと華麗なボールコントロールで観客を魅了し続けた。引退後も故郷の群馬県を中心に育成指導に尽力し、自らの技術と思考力を次世代の選手たちへと伝え続けている。






















