関塚隆(八千代 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
卓越した得点感覚と鋭いゴール前への飛び出し、前線からの献身的なハードワークで攻撃陣を力強く牽引したストライカー。1960年10月26日、千葉県船橋市に生まれ、船橋市立峰台小学校、船橋市立宮本中学校を経て千葉県立八千代高等学校へ進学した。高校時代は主将兼エースとしてチームの攻撃を牽引し、同級生の高田敏や1学年下の今泉守正らとともに八千代高校サッカー部の礎を築き上げた。
高校3年時の1978年度は夏の全国高校総体で決勝進出を果たして全国準優勝を達成。続く冬の第57回全国高等学校サッカー選手権大会でもキャプテンとしてチームを力強くまとめ、1回戦のコザに6-0で大勝すると、2回戦では島原商と激闘の末に2-2からのPK戦を制し、準々決勝でも四日市中央工を1-0で破って国立霞ヶ丘陸上競技場での準決勝へ進出。準決勝で優勝校の古河一に2-3で惜敗したものの堂々の全国ベスト4入りを成し遂げ、テレビ中継でロッカールームの様子が放映されるなど大きな注目を集めた。
高校卒業後は早稲田大学教育学部に進学してア式蹴球部で活躍し、関東大学リーグ制覇などに貢献。大学卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)の本田技研工業サッカー部に加入し、ルーキーイヤーに新人王とベストイレブンを獲得するなどトップFWとして活躍した。現役引退後は指導者として川崎フロンターレをJ1屈指の強豪へ育て上げ、U-23日本代表監督として2012年ロンドン五輪で44年ぶりとなる世界4位へと導くなど、日本サッカー界の発展に大きく寄与している。
所属
千葉県立八千代高等学校(千葉県)
生年月日
1960年10月26日
サイズ(身長・体重)
175cm / 72kg
ポジション
FW(フォワード)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):船橋市立宮本中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):船橋市立峰台小学校
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1976年度・第55回大会):千葉県予選敗退。
- 2年時(1977年度・第56回大会):千葉県予選敗退。
- 3年時(1978年度・第57回大会):全国ベスト4(3位)。1回戦のコザ戦に6-0、2回戦の島原商戦に2-2(PK3-1)、準々決勝の四日市中央工戦に1-0と勝ち上がり、準決勝(1979年1月7日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で古河一に2-3で惜敗した。
- 個人表彰:確認できた記録なし(大会得点王は八千代のチームメイトであるFW高田敏、4得点)。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1976年):千葉県予選敗退(全国優勝は帝京)。
- 2年時(1977年):千葉県予選敗退(全国優勝は島原商)。
- 3年時(1978年):全国準優勝。決勝で北陽に1-3で敗れたものの全国準優勝を果たした(全国優勝は北陽)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1976年)〜3年時(1978年):未創設(第1回大会は1989年に開催)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1976年・第31回佐賀国体)〜3年時(1978年・第33回やまびこ国体):千葉県選抜等の出場記録は要確認(1976年は三重、1977年は静岡、1978年は静岡が優勝)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:日本高校選抜(ヨーロッパ遠征等)、日本ユース代表候補。
【高校時代の代表歴について】
高校3年時の選手権で全国ベスト4、インターハイで準優勝という輝かしい成績を残した関塚は、高い得点力とリーダーシップを評価されて日本高校選抜やユース年代の日本代表候補に名を連ねた。全国屈指の強豪校のエースたちとともに切磋琢磨し、海外遠征などの大舞台を経験したことは、その後の早稲田大学やトップリーグでの飛躍の礎となっただけでなく、後の世界を舞台にした指導者キャリアへも直結する貴重な原体験となった。
卒業後の進路
大学・プロ・社会人
- 早稲田大学ア式蹴球部(1980年〜1983年):関東大学サッカーリーグ優勝などを経験。
- 本田技研工業サッカー部(1984年〜1991年):日本サッカーリーグ(JSL)1部で112試合34得点。1984-85年シーズンに新人王およびベストイレブンを受賞。
- 通算成績:JSL1部通算112試合34得点。
- タイトル:JSL新人王(1984-85年)、JSLベストイレブン(1984-85年)。
- 個人表彰:JSL新人王、JSLベストイレブン。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ出場なし。学生選抜等に選出。
引退後の活動・指導歴・役職
早稲田大学ア式蹴球部 監督(1991年〜1992年)
鹿島アントラーズ コーチ/サテライト監督/監督代行(1993年〜1994年、1996年〜2003年)
清水エスパルス コーチ(1995年)
川崎フロンターレ 監督(2004年〜2008年4月、2009年):2004年J2優勝、2006年・2008年・2009年J1準優勝、2007年・2009年ヤマザキナビスコカップ準優勝。
U-23日本代表 監督(2010年〜2012年):2010年広州アジア競技大会優勝(金メダル)、2012年ロンドンオリンピック4位入賞。日本代表コーチ(2010年〜2011年)兼任。
ジュビロ磐田 監督(2013年5月〜11月)
ジェフユナイテッド千葉 監督(2014年7月〜2016年10月)
日本サッカー協会(JFA)技術委員長/ナショナルチームダイレクター(2018年4月〜2020年11月)
福島ユナイテッドFC 監督/テクニカルダイレクター/シニアアドバイザー(2023年〜)
【卒業後のキャリアの総評】
高校卒業後に進学した早稲田大学でア式蹴球部のエースストライカーとして頭角を現した関塚は、1984年に本田技研工業へ入社。1年目の1984-85シーズンに11得点を挙げて新人王とベストイレブンをダブル受賞し、日本屈指のFWとして名を馳せた。1991年の現役引退後は母校・早稲田大学の監督を皮切りに指導者の道を歩み、鹿島アントラーズでは名将ジーコやトニーニョ・セレーゾらのもとでコーチとして常勝軍団の土台を支えた。
2004年に川崎フロンターレの監督に就任すると、圧倒的な攻撃的サッカーを展開してクラブをJ2優勝とJ1昇格へ導き、その後もJ1上位の常連へと引き上げた。2010年にはロンドン五輪を目指すU-23日本代表監督に就任し、同年の広州アジア大会で日本史上初の金メダルを獲得。2012年ロンドン五輪本大会では初戦で優勝候補のスペインを破るなど快進撃を見せ、1968年メキシコ五輪以来44年ぶりとなる世界4位の快挙を成し遂げた。
その後はジュビロ磐田やジェフユナイテッド千葉の指揮官、日本サッカー協会の技術委員長として日本代表強化を統括するなど要職を歴任し、2023年以降は福島ユナイテッドFCの現場とクラブ運営を支えるなど、高校時代から育まれた勝負強さと統率力を武器に日本サッカー界の最前線で多大なる貢献を続けている。




















