北嶋 秀朗(市立船橋高校 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
柔らかなボールタッチと泥臭くゴールへ飛び込むストライカーの嗅覚、卓越したポストプレーと打点の高いヘディングで国立競技場を熱狂させた「高校サッカー界不滅の点取り屋」。名将・布啓一郎監督率いる市立船橋高校において1年時からスーパーサブとして頭角を現し、市船の全国的な黄金期をエースとして決定づけた。
高校1年時の第73回全国高校サッカー選手権大会では、大会直前に登録された1年生ながら驚異の6ゴールを叩き出して市船の選手権初優勝に大きく貢献。3年時の第75回選手権では主将としてチームを牽引し、6得点を挙げて得点王を獲得するとともに、桐光学園との決勝戦で決勝ゴールを決めて2度目の全国制覇を成し遂げた。3大会通算16得点は、当時の高校サッカー選手権歴代最多得点記録となる金字塔である。
柏レイソル加入後はJ1初優勝に貢献するなど長年ストライカーとして活躍し、日本代表としてもアジアカップ制覇を経験。引退後も熱い情熱でJリーグ各クラブやクリアソン新宿で指導に当たり、現在はアビスパ福岡のトップチームコーチを務める名将候補である。
所属チーム
船橋市立船橋高等学校
生年月日
1978年5月23日
サイズ(身長・体重)
182cm / 77kg(※現役時)
ポジション
FW
出身チーム
- 3種:習志野市立第七中学校サッカー部(千葉県習志野市)
- 4種:香澄FC(現・香澄サッカースポーツ少年団 / 習志野市立香澄小学校→実花小学校 / 千葉県習志野市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1994年度・第73回):千葉県予選 優勝、全国大会 優勝(市船史上初の選手権初制覇!)(2回戦:6-1 作陽[1得点]、3回戦:2-0 東福岡[1得点]、準々決勝:3-0 宮崎工[2得点]、準決勝:3-0 奈良育英[1得点]、決勝:5-0 帝京[1得点] / 大会通算6得点)
- 2年時(1995年度・第74回):千葉県予選 優勝、全国大会 ベスト8進出(3回戦:4-1 沼田、準々決勝:0-0 PK4-5 東福岡 / 大会通算4得点)
- 3年時(1996年度・第75回):主将として千葉県予選 優勝、全国大会 優勝(2度目の選手権制覇!)&【大会得点王(6得点)】&【大会優秀選手選出】(1回戦:7-0 宜野湾[1得点]、2回戦:1-0 南宇和[1得点]、3回戦:4-0 室蘭大谷[1得点]、準々決勝:2-1 前橋育英[1得点]、準決勝:3-0 徳島商[1得点]、決勝:2-1 桐光学園[1得点] / 大会通算6得点・選手権通算16得点)
高校総体
- 1年時(1994年度・富山総体):千葉県予選 2位、全国大会 3回戦進出(1回戦:4-0 出雲工、2回戦:2-1 松商学園、3回戦:1-4 清水商)
- 2年時(1995年度・鳥取総体):千葉県予選 優勝、全国大会 3回戦進出(ベスト16)
- 3年時(1996年度・山梨総体):千葉県予選 優勝、全国大会 ベスト8進出(2回戦:2-0 大分[1得点]、3回戦:5-0 金沢桜丘[1得点]、準々決勝:0-3 清水商)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1994年度・第5回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1995年度・第6回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1996年度・第7回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1994年・愛知国体):千葉県選抜
- 2年時(1995年・ふくしま国体):千葉県選抜
- 3年時(1996年・ひろしま国体):千葉県選抜としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:
- U-18日本代表(1995年)
- U-19日本代表(1996年 / AFCユース選手権 第3位)
- U-20日本代表(1997年 / FIFAワールドユース選手権マレーシア大会 世界ベスト8進出)
- 日本高校選抜:1995年選出(第73回大会後)、1997年選出(第75回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:千葉県選抜(国体少年の部出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
習志野市立第七中学校時代から千葉県内屈指の大型フォワードとして注目され、市立船橋高校1年時に全国制覇を成し遂げたことで一躍全国区のストライカーとなった。
高校2年・3年時には千葉県選抜の主軸として国民体育大会に出場。高校選手権での圧倒的な決定力が高く評価され、1995年および1997年の2度にわたり日本高校選抜に選出されてヨーロッパ遠征に参加した。さらにU-18、U-19日本代表と世代別代表の主力を歴任し、1996年AFCユース選手権では3位入賞を果たして翌年の世界切符獲得に貢献。高校卒業直後の1997年FIFAワールドユース選手権(マレーシア大会)では背番号9を背負い、世界ベスト8進出を果たすなど、高校年代を代表する日本屈指のターゲットマンとして世界を相手に躍動した。
卒業後の進路
プロ・国内
- 柏レイソル(J1 / 1997年 – 2002年 / 1999年ナビスコカップ優勝、2000年J1年間17得点)
- 清水エスパルス(J1 / 2003年 – 2005年)
- 柏レイソル(J1・J2 / 2006年 – 2012年 / 2010年J2優勝、2011年J1年間優勝に副主将・精神的支柱として貢献)
- ロアッソ熊本(J2 / 2012年 – 2013年 / J1通算249試合71得点、J2通算71試合18得点・現役引退)
日本代表
- 国際Aマッチ 3試合1得点(2000年)
- AFCアジアカップ2000レバノン大会 優勝メンバー
引退後の指導歴・役職
- ロアッソ熊本 アシスタントコーチ・トップチームコーチ(2014年 – 2015年、2017年 – 2019年)
- アルビレックス新潟 トップチームコーチ(2016年)
- 大宮アルディージャ トップチームコーチ・ヘッドコーチ(2020年 – 2023年)
- クリアソン新宿 ヘッドコーチ・監督(2023年 – 2026年)
- JFA公認S級コーチライセンス取得(2024年)
- アビスパ福岡 トップチームコーチ(2026年6月 – 現在)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後の1997年、Jリーグの柏レイソルへ加入。プロ3年目の1999年にはナビスコカップ優勝に貢献し、2000年にはJ1年間17得点を挙げてチームの年間最多勝ち点獲得の原動力となった。同年にはトルシエ監督率いる日本代表(A代表)に選出され、AFCアジアカップ(レバノン大会)の優勝メンバーに名を連ねた。
2003年から清水エスパルスでプレーした後、2006年に古巣・柏レイソルへ復帰。チームの精神的支柱としてJ1復帰に貢献し、2011年には昇格即J1年間優勝という史上初の快挙を副主将として牽引した。2012年途中からロアッソ熊本へ移籍し、2013年シーズン限りで現役を引退。J1通算249試合71得点、J2通算71試合18得点を記録した。
引退後はロアッソ熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでトップチームコーチやヘッドコーチを歴任。2023年からクリアソン新宿のヘッドコーチ、2024年からは監督を務めた。2024年にJFA公認S級コーチライセンスを取得し、2026年6月よりアビスパ福岡のトップチームコーチに就任している。



























