片野坂知宏(鹿児島実業 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
鹿児島実業の左サイドバック。2年ぶりの全国出場となった3年時の1989年度・第68回選手権では主将としてチームを牽引し、1回戦から3試合連続で勝ち抜いて全国ベスト8へ導いた。準々決勝でこの大会の準優勝チーム・武南に0-1と惜敗したが、1学年下の前園真聖らを擁する“鹿実黄金期”の駆け出しを支えたリーダーである。
現役時代はマツダSCからサンフレッチェ広島へと進み、Jリーグ元年の1993年5月16日にデビュー。1994年には広島の1stステージ優勝を経験し、シーズン途中から移った柏レイソルでも長くプレーを続けた。J1通算212試合という重厚な実績を積み上げた実務型のディフェンダーである。
引退後は指導者へ転身。ガンバ大阪とサンフレッチェ広島でコーチを務め、広島在籍中の2012年・13年にはリーグ連覇に貢献。2016年からは大分トリニータの監督としてJ3優勝からJ1昇格までを成し遂げ、2026年からはロアッソ熊本の監督を務めている。
所属
- 鹿児島実業高等学校(鹿児島県)
生年月日
- 1971年4月18日
サイズ(身長・体重)
- 171cm / 68kg(現役時)
ポジション
- DF(左サイドバック)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):鹿児島市立和田中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):鹿児島市立錦江台小学校
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1987年度・第66回大会):チームは2年ぶりの全国出場。1回戦で岡崎城西に2-1で勝利、2回戦で旭(神奈川)に0-1で敗退(本人の出場の詳細は要確認)。
- 2年時(1988年度・第67回大会):チームの全国大会出場はなし。
- 3年時(1989年度・第68回大会):主将として全国ベスト8。1回戦で五戸に2-1、2回戦で平工に2-1、3回戦で真岡に2-1で勝利。準々決勝で武南に0-1で敗退(優勝は南宇和)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1987年)〜3年時(1989年):確認できた出場記録なし。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1987年)〜3年時(1989年):在学中は大会未創設のため出場歴なし(1989年にプレ大会、第1回大会は1990年開催)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1987年)〜3年時(1989年):鹿児島選抜としての出場記録は確認できず。
代表歴
- 高校時代の代表・選抜歴:確認できた記録なし。
【高校時代の代表歴について】
1971年生まれの世代は、世代別日本代表の整備が本格化する直前の世代にあたる。ユース代表は大学・実業団の選手が中心で、高校生が代表に選出される枠は現在よりはるかに小さかった。地方の強豪校から代表へ、という道もまだ開かれていなかった時代である。
片野坂自身の代表・選抜歴として確認できる記録は残っていない。ただし3年時に主将として臨んだ第68回大会では、全国ベスト8までチームを導き、その1年後には鹿実が第69回大会で準優勝に到達している。黄金期の入口でチームを率いたキャプテンの実力は、代表の目が届かないところでも確かに存在していた。
卒業後の進路
プロ・社会人
- マツダSC(1990年〜1993年):実業団でプレー。
- サンフレッチェ広島(1993年〜1995年):1993年5月16日のJリーグ第1節でデビュー。1994年の1stステージ優勝に貢献。
- 柏レイソル(1995年途中〜1999年):移籍当初からJ1の左サイドを担う。
- 大分トリニータ(2000年)
- ガンバ大阪(2000年8月〜2001年):レンタル移籍。
- ベガルタ仙台(2002年):レンタル移籍。
- 大分トリニータ(2003年):現役引退。
- 通算成績:J1通算212試合(Jリーグ公式データ)。
- タイトル:1994年・Jリーグ1stステージ優勝(サンフレッチェ広島)
日本代表(国際Aマッチ)
- 出場記録なし。
引退後の活動・指導歴・役職
- ガンバ大阪 コーチ(2007年〜2009年)
- サンフレッチェ広島 コーチ(2010年〜2013年):2012年・2013年のJリーグ連覇に貢献。
- ガンバ大阪 ヘッドコーチ(2014年〜):西野朗監督の下で3年連続のタイトル獲得を支える(在籍終了年は要確認)。
- 大分トリニータ 監督(2016年〜2021年):2016年J3優勝。2018年J2準優勝でJ1昇格。2018年(J2)・2019年(J1)に優秀監督賞を受賞。
- ガンバ大阪 監督(2022年)
- 大分トリニータ 監督(2024年〜2025年8月18日解任)
- ロアッソ熊本 監督(2026年〜・現職)
【卒業後のキャリアの総評】
現役時代の片野坂は、華やかさよりも正確さで生き抜いた左サイドバックだった。マツダSCからJリーグ元年のサンフレッチェ広島へと続く道のりで、1993年5月16日に歴史の第一歩のピッチに立ち、翌1994年には広島の1stステージ優勝を経験。シーズン途中で移った柏レイソルでも主力として定着し、J1通算212試合という数字を残して現役を終えた。
指導者としての本領は、広島とG大阪でのコーチ時代に発揮される。広島では2012年・13年のリーグ連覇に与り、G大阪ではヘッドコーチとして西野朗監督体制の3年連続タイトルを支えた。2016年に大分トリニータの監督へ就任すると、J3優勝から始めて2018年にはJ2準優勝でJ1昇格へ導き、J2・J1両部門で優秀監督賞を受賞した。
その後はガンバ大阪(2022年)、再任した大分(2024年)で監督を務め、2025年8月に大分を離れると、2026年からはロアッソ熊本の監督として新たな挑戦を始めている。選手・コーチ・監督の全段階をJリーグの最前線で過ごしてきた“現場一筋”の歩みは、今も続いている。
























