高校・クラブユースのチーム紹介ページ▼

岩本文昭(国見)高校サッカーヒーロー列伝

岩本文昭_国見

岩本文昭(国見 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

長崎・国見の初黄金期を率いたゲームキャプテン。小嶺忠敏監督が描いた“3年計画”の中心として、岩本の2年時に国見はインターハイ初出場(1回戦で静岡北にPK戦で敗退)を果たしたが、その後の新潟での過酷な合宿を経て同年の鳥取国体では国見主体の長崎選抜が準優勝。全国で通用する手応えをつかんだ。3年時の1986年、山口インターハイでは初戦の前橋商戦で0-0の残り2分に決勝ゴールを奪うと、決勝では中京(愛知)に3-2の逆転勝ち。国見史上初の全国制覇の頂点に立った。

同年冬の第65回選手権では、学校史上初出場でいきなり決勝へ進出。3回戦の暁星戦で2得点、準々決勝の四日市中央工戦と準決勝の室蘭大谷戦でもゴールを決める大会通算6試合4得点の活躍で大会優秀選手に選ばれ、全日本高校選抜にも名を連ねた。決勝で東海大第一に0-2で屈して初優勝はならなかったが、初出場準優勝は国見伝説の始まりを告げる出来事となった。1学年上には元日本代表FWの高木琢也がいる。

卒業後は駒澤大学を経て地元の長崎銀行へ入行。県リーグの有明SCで選手兼コーチを務める傍ら、2004年の合併による新生有明FC発足ではコーチとして九州リーグ昇格を決め、2005年のV・ファーレン長崎誕生とともに初代監督に就任した。のちに総監督、監督代行を歴任し、常務取締役から代表取締役専務へ。クラブのJリーグ加盟を経営側から支え、長崎サッカーの牽引者となった。

所属

  • 長崎県立国見高等学校(長崎県)

生年月日

  • 1968年4月23日

サイズ(身長・体重)

  • 172cm / 70kg

ポジション

  • MF(ゲームキャプテン・司令塔)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):長崎市立香焼中学校
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):長崎市立香焼小学校(小学3年でサッカーを開始)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1984年度)・2年時(1985年度):国見の選手権出場はなし(国見の選手権初出場は1986年度の第65回大会)。
  • 3年時(1986年度・第65回大会):初出場で全国準優勝。1回戦で市立船橋に5-0、2回戦で盛岡商に3-1、3回戦で暁星に6-1(岩本は2得点)、準々決勝で四日市中央工に3-0(岩本は1得点)、準決勝で室蘭大谷に1-0(岩本が決勝ゴール)、決勝で東海大第一に0-2で敗退。大会通算6試合4得点。
  • 個人表彰:第65回大会優秀選手・全日本高校選抜
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1984年):確認できた出場記録なし。
  • 2年時(1985年・石川総体):国見は初出場で1回戦敗退(静岡北にPK戦で敗退)。
  • 3年時(1986年・山口総体):全国優勝。初戦の前橋商戦は0-0の残り2分に岩本が決勝ゴールを奪い1-0で勝利。決勝では中京(愛知)に3-2の逆転勝ちで国見史上初の全国制覇を達成(岩本はゲームキャプテン)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1984年)〜3年時(1987年):在学中は大会未創設のため出場歴なし(1989年にプレ大会、第1回大会は1990年開催)
国民体育大会(国体)
  • 2年時(1985年):国見主体の長崎選抜として鳥取国体で準優勝(インターハイ初出場後の合宿強化による)。
  • 1年時(1984年)・3年時(1986年):確認できた出場記録なし。

代表歴

  • 高校時代の代表・選抜歴:全日本高校選抜(3年時・第65回選手権後)。3年時にはユース日本代表に選出(大会・試合の詳細は要確認)。

【高校時代の代表歴について】

岩本は3年時に全日本高校選抜に選ばれたほか、ユース日本代表にも選出されたと伝わる。1968年生まれの世代は、世代別日本代表の体系的な整備が本格化する直前の世代であり、高校生がユース年代の代表に選ばれる枠は現在よりはるかに小さかった。

その中で岩本が代表に名を連ねた背景には、山口インターハイ制覇と選手権初出場準優勝という、国見史上初の全国制覇・準優勝の二つの金字塔がある。得点力を持ったゲームキャプテンとして小嶺忠敏監督の戦術を体現する姿は、全国の関係者の目に留まるに十分だった。高校選抜としての経験は、駒澤大学での大学選抜選出へと続く評価の礎となった。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 駒澤大学(1987年〜1991年):文学部社会学科を卒業。大学2年時に全日本大学選抜に選出。
  • 長崎銀行(1991年〜):卒業後に入行。県リーグの有明SCと国見FCで選手兼コーチとしてプレー。
  • 新生有明FC(2004年):2004年3月の有明SCと国見FCの合併で発足した新生有明FCのコーチとして、植木総司監督を支えて九州リーグ昇格を決めた。
  • V・ファーレン長崎 監督(2005年〜2006年):クラブの改称とともに初代監督に就任。
  • V・ファーレン長崎 総監督兼強化部長(2007年1月〜3月):大渕龍介新監督体制で就任したが、開幕前の解任劇により監督へ再任(2007年3月〜12月)。
  • V・ファーレン長崎 事業部長兼総務部長(2008年〜):長崎銀行からの派遣という形で2008年2月28日付で就任。
  • V・ファーレン長崎 常務取締役(2009年〜):2009年6月、東川昌典監督の解任に伴いコーチとして現場復帰。大久保毅監督の辞任後は監督代行を務め、2009年7月22日に監督就任(同年12月まで)。2010年から再び常務取締役としてクラブ業務に携わった。
  • V・ファーレン長崎 代表取締役専務:2012年11月のJリーグ入会(2013年からJ2)を経営側から支え、2016年時点の公開インタビューでは代表取締役専務を務めた。
  • 2017年1月末でV・ファーレン長崎の取締役を退任。2018年より国際交流関連の会社で勤務。
  • タイトル:1986年・インターハイ優勝(国見高校)、1985年・鳥取国体準優勝(長崎選抜)、2004年・九州リーグ昇格(新生有明FCコーチ)

日本代表(国際Aマッチ)

  • 出場記録なし。

引退後の活動・指導歴・役職

  • V・ファーレン長崎 歴代監督(初代2005年〜2006年、2007年3月〜12月、2009年7月〜12月)
  • V・ファーレン長崎 総監督兼強化部長(2007年1月〜3月)
  • V・ファーレン長崎 常務取締役(2009年〜2017年1月)
  • V・ファーレン長崎 代表取締役専務(2010年代)
  • 国際交流関連の会社勤務(2018年〜)
  • 2026年には故郷・長崎への「森保フィールド」整備計画の発起人として活動。

【卒業後のキャリアの総評】

岩本の卒業後の歩みは、選手から経営者へと役割を変えながら、一貫して長崎のサッカーを支え続けた軌跡である。駒澤大学での4年間を経て地元の長崎銀行へ入行すると、銀行員として働きながら県リーグの有明SCで選手兼コーチとしてプレーを続けた。Jリーグ開幕後、かつての同級生たちがプロの舞台で活躍する姿を横目にもやもやした時期もあったと本人は語っている。

転機は2004年。有明SCと国見FCの合併で新生有明FCが発足すると、コーチとして植木総司監督を支えて九州リーグ昇格を決めた。2005年、チームはV・ファーレン長崎として生まれ変わり、岩本はその初代監督に就任。選手として果たせなかったプロの夢を、指導者・経営者として追う道を選んだ。以後は総監督、監督代行を歴任しながら常務取締役として経営にも携わり、2012年のJリーグ入会、そして2017年のJ1昇格へと続くクラブの発展を、発足当初から最も深く知る立場で支えた。

2017年1月に取締役を退任したのちも、2018年からは国際交流関連の会社で勤務し、2026年には故郷・長崎に「森保フィールド」を整備する計画の発起人として名を連ねている。インターハイ制覇のキャプテンから、クラブ創設の父へ。岩本文昭という選手の物語は、国見の初優勝とともに始まり、長崎サッカーの歴史そのものになっている。

国見(ヒーロー列伝)

ヒーロー列伝