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石川健太郎(暁星)高校サッカーヒーロー列伝

石川健太郎_暁星

石川健太郎(暁星 東京都)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

暁星高校の守備の要として、高さと統率力でチームの背骨となったストッパー。1年次の1986年度・第65回選手権から全国大会に立ち、3大会連続で長崎の国見という壁にぶつかった。2年連続で3回戦の国見戦に屈したが、3年時の1988年度・第67回選手権で暁星は初めて準々決勝へ。3度目の国見戦を1-1の死闘の末、PK戦5-4で制し、1年次からの雪辱を果たして学校史上初の全国ベスト4に導いた。この試合ではGK三田祐司がサドンデス6人目・内田利広のキックを止め、石川たちの守備陣が土台となった。

準決勝ではこの大会の優勝候補・市立船橋に1-3で敗れたが、当時の評論で「ストッパーの石川は、高さと統率力でベスト4に導く」と評されたように、全国タイトルを持たない学校を全国4強まで押し上げた立役者だった。大倉智・村上浩のツートップが攻撃の顔なら、石川は守備の大黒柱であった。

卒業後は国士舘大学を経て柏レイソルへ入団。Jリーグ昇格前の旧JFL時代からボランチ、センターバック、サイドバックをこなす守備の名手として柏を支え、J1通算33試合3得点。引退後は柏のアカデミーで指導者の道を歩み、2007年から2009年にはトップチームコーチも務めた。

所属

  • 暁星高等学校(東京都)

生年月日

  • 1970年2月12日

サイズ(身長・体重)

  • 181cm / 72kg

ポジション

  • DF(ストッパー。ボランチ・センターバック・サイドバックも務めた)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):確認できた記録なし(要確認)
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):確認できた記録なし(要確認)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1986年度・第65回大会):チームは2回戦で米子東に4-0で勝利、3回戦で国見に1-6で敗退。
  • 2年時(1987年度・第66回大会):チームは1回戦で京都商に2-0、2回戦で前橋商に2-0、3回戦で国見に0-2で敗退。
  • 3年時(1988年度・第67回大会):全国ベスト4。1回戦で西原に4-1、2回戦で大社に3-1、3回戦で新潟西に2-0で勝利。準々決勝で国見に1-1の末、PK戦5-4で勝利(GK三田祐司がサドンデス6人目のキックをストップ)。準決勝で市立船橋に1-3で敗退(優勝は清水市立商)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1986年)〜3年時(1988年):確認できた出場記録なし。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1987年)〜3年時(1989年):在学中は大会未創設のため出場歴なし(1989年にプレ大会、第1回大会は1990年開催)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1986年)〜3年時(1988年):東京選抜としての出場記録は確認できず。

代表歴

  • 高校時代の代表・選抜歴:確認できた記録なし。

【高校時代の代表歴について】

1970年生まれの世代は、世代別日本代表の体系的な整備が本格化する直前の世代にあたる。ユース代表は大学や実業団の選手が中心で、高校生が代表に選出される枠は現在よりはるかに小さかった。全国タイトルを持たない学校の選手が代表の目に留まるには、全国大会での圧倒的な結果が必要だった。

石川健太郎自身の代表・選抜歴として確認できる記録は残っていない。ただし3年時の第67回選手権では、同大会の綺羅星として守備の中心として名前が挙がる存在であり、準々決勝の国見戦では守備陣の統率でPK戦までチームを耐え抜かせた。代表の枠外にあっても、全国4強の守備を担った実力は、卒業後の大学・Jリーグ時代の評価につながっている。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 国士舘大学(1989年〜1992年):大学サッカーでプレー(成績の詳細は要確認)。
  • 柏レイソル(1993年〜1998年):1993年に入団し、旧JFL時代の1993年・1994年にリーグ戦25試合に出場。1995年のJリーグ昇格後はJ1で33試合3得点。ボランチ、センターバック、サイドバックをこなす守備の名手として昇格前からクラブを支えた。
  • 通算成績:リーグ戦通算58試合3得点(J1 33試合3得点、旧JFL 25試合)。
  • タイトル:確認できた記録なし

日本代表(国際Aマッチ)

  • 出場記録なし。

引退後の活動・指導歴・役職

  • 柏レイソル ジュニアコーチ(1999年〜2001年)
  • 柏レイソル ジュニアユースコーチ(2002年〜)
  • 柏レイソル U-18コーチ(2005年〜)
  • 柏レイソル U-15監督(2006年〜)
  • 柏レイソル トップチームコーチ(2007年〜2009年)
  • 2010年以降の役職:確認できた記録なし(要確認)

【卒業後のキャリアの総評】

石川の現役生活は、柏レイソルという一つのクラブに貫かれていた。国士舘大学での4年間を経て1993年に柏へ入団すると、まだJリーグ昇格前の旧JFL時代から守備の中核として起用され続けた。ボランチ、センターバック、サイドバックをこなせる万能性が、クラブの育成期に重宝された。

1995年に柏がJリーグへ昇格すると、石川も最上位リーグのピッチに立ち、1997年にはリーグ戦12試合で2得点を記録するなど、33試合3得点の数字を残した。スター選手ではなかったが、昇格前の苦しい時代から最上位リーグまで、クラブの歩みに寄り添い続けた守備の名手である。

引退後はそのまま柏に残り、指導者へ転身した。ジュニアコーチから始めてジュニアユースコーチ、U-18コーチ、U-15監督と育成の階段を上り、2007年から2009年にはトップチームコーチを務めた。高校時代に全国4強の守備を統率した経験は、選手育成の現場でも生かされた。暁星から柏へ、選手から指導者へ。クラブ一筋の歩みは、石川健太郎という選手の誠実さを示している。

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