田中誠(清水商 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
冷静沈着な状況判断と抜群のポジショニング、卓越したカバーリング能力で最終ラインを統率した頭脳派ディフェンダー。1975年8月8日、静岡県清水市生まれで、清水FC、静岡市立清水第二中学校を経て、名門・清水市立商業高校へ進学した。少年時代は点取り屋として全国制覇を経験したが、中学でのサイドバック転向を経て清水商でセンターバックに定着し、守備の要として才能を開花させた。同級生には川口能活、鈴木悟、小川雅己、下級生には安永聡太郎、佐藤由紀彦らが揃っていた。
3年時の1993年度には、高校サッカー界の頂点へと上り詰めた。秋の高円宮杯第4回全日本ユース選手権を制覇して勢いに乗ると、冬の第72回選手権でも快進撃を披露。2回戦の洛南に2-0、3回戦の鵬翔に3-0、準々決勝の福山葦陽に3-0と無失点で勝ち上がり、準決勝では城彰二を擁する鹿児島実業とのPK戦を制した。決勝では国見に2-1で勝利し、5年ぶり3度目の全国制覇を達成。全日本ユース、選手権、東四国国体(静岡県選抜)を制する高校3冠の快挙を成し遂げた。
卒業後は1994年にジュビロ磐田へ加入し、黄金期のディフェンスリーダーとしてJ1優勝3回をはじめ数々のタイトル獲得に貢献してベストイレブンに2度選出された。日本代表としても国際Aマッチ32試合に出場し、2004年アジアカップ優勝などに貢献。現役引退後は指導者として活動し、Jリーグの監督やコーチを務めている。
所属
清水市立商業高等学校(静岡県・現・静岡市立清水桜が丘高等学校)
生年月日
1975年8月8日
サイズ(身長・体重)
178cm / 75kg
ポジション
DF(センターバック、リベロ)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):静岡市立清水第二中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):清水FC(小学校6年時に全日本少年サッカー大会優勝・得点王)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1991年度・第70回大会):静岡県予選敗退(静岡県代表は静岡市立高校)。
- 2年時(1992年度・第71回大会):静岡県予選敗退(静岡県代表は静岡学園高校)。
- 3年時(1993年度・第72回大会):全国優勝。2回戦の洛南戦に2-0、3回戦の鵬翔戦に3-0、準々決勝の福山葦陽戦に3-0と勝利。準決勝の鹿児島実業戦は2-2(PK5-4)で制し、決勝(1994年1月8日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で国見に2-1で勝利して優勝。
- 個人表彰:大会優秀選手
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1991年)〜3年時(1993年):静岡県予選敗退(静岡県代表は1991年東海大一、1992年清水東、1993年藤枝東)。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1991年・第2回大会):出場なし。
- 2年時(1992年・第3回大会):出場なし。
- 3年時(1993年・第4回大会):全国優勝。決勝で鹿児島実業高校を下してチーム初優勝を飾った。
- 個人表彰:確認できた記録なし
国民体育大会(国体)
- 1年時(1991年)〜2年時(1992年):確認できた出場記録なし。
- 3年時(1993年・第48回東四国国体):少年の部(静岡県選抜)優勝。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:U-18日本代表(1993年・SBSカップ等)、第72回全国高校サッカー選手権大会優秀選手(1994年)、日本高校選抜(1994年ヨーロッパ遠征)、静岡県国体選抜(1993年東四国国体優勝)。
【高校時代の代表歴について】
田中は清水FC時代に小学生年代の日本一と得点王を経験したのち、中学・高校で守備者へと転向した。清水市立商業高校では卓越したカバーリング能力と戦術眼を武器にセンターバックとして頭角を現し、高校在籍時からU-18日本代表の主力スイーパーとして選出された。
高校3年時の第72回選手権で全国制覇を果たすと大会優秀選手に選出され、卒業直後の1994年春には日本高校選抜の主軸としてヨーロッパ遠征に参加した。清水商で培った高いライン統率力と対人守備は、後のU-23日本代表でのアトランタオリンピック出場やA代表での活躍へとつながる確かな土台となった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- ジュビロ磐田(1994年〜2008年):J1リーグ優勝3回(1997年、1999年、2002年)、Jリーグカップ優勝(1998年)、天皇杯優勝(2003年)、アジアクラブ選手権優勝(1998-99年)などを達成。
- アビスパ福岡(2009年〜2011年):2010年にJ1昇格へ貢献。2011年シーズンをもって現役引退を発表。
- 通算成績:J1リーグ通算353試合10得点、J2リーグ通算66試合2得点、Jリーグカップ55試合1得点、天皇杯37試合1得点。
- タイトル:J1リーグ優勝3回、Jリーグカップ1回、天皇杯1回、アジアクラブ選手権1回、アジアスーパーカップ1回、ゼロックス・スーパーカップ3回。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン2回(1998年、2002年)、Jリーグ功労選手賞(2012年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ32試合0得点(2004年〜2006年)。2004年4月25日のハンガリー戦でA代表デビュー。2004年AFCアジアカップ優勝、2005年FIFAコンフェデレーションズカップ、2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会日本代表メンバー選出。U-23日本代表として1996年アトランタオリンピック出場。
引退後の活動・指導歴・役職
引退後は解説者を務めるとともに指導者キャリアを歩み、ジュビロ磐田U-18監督、ジュビロ磐田トップチームコーチ、強化部を歴任。常葉大学サッカー部コーチを経て、2024年に栃木SC監督に就任。2025年からは鹿島アントラーズのトップチームコーチを務めている。
【卒業後のキャリアの総評】
1994年にジュビロ磐田へ加入した田中は、オフト監督体制下で経験を積み、アジウソンらとのトレーニングを通じて対人守備とフィジカルを格段に向上させた。守備の要として磐田の黄金期を牽引し、N-BOXをはじめとする完成度の高い組織サッカーを最後方から統率。1998年と2002年にはJリーグベストイレブンに選出され、日本屈指のディフェンダーとしての地位を確立した。
ジーコ監督率いる日本代表でも重用され、2004年のアジアカップ優勝に大きく貢献した。2006年ドイツW杯アジア予選のオマーン戦では値千金のシュートブロックを見せるなど本大会出場権獲得に寄与したが、ドイツ合宿中の肉離れにより本大会出場は無念の辞退となった。晩年はアビスパ福岡でJ1昇格に貢献し、2011年に現役を退いた。
清水商時代に培った戦術眼と確かな基本技術はプロ生活全般の確固たる礎となった。現役引退後も磐田での育成指導やJリーグ監督、名門クラブのトップチームコーチを務めるなど、日本サッカー界の発展に貢献し続けている。

























