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野洲高校【チーム紹介:滋賀県】

学校・サッカー部の発足

学校設立は1944年 滋賀県野洲郡立女子農芸学校として開校し、4年度の1948年に滋賀県立野洲高等学校に改称され、1983年に全日制普通科として発足し現在に至る。1学年が160名と少人数であある。有名なOBとしてミュージシャンとして活躍中のT.M.Revolutionの西川貴教が在籍していた。

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サッカー部の歴史・躍進

高校総体出場とプリンス関東2部への躍進

サッカー部は1983年に創設、特に目立った結果は残していなかったが、1996年に山本佳司監督が就任すると、着実に力を付け、2002年に高校総体、選手権に初出場。選手権では初出場で優勝した市立船橋にアディショナルタイムのゴール敗れ、ベスト8だったが、連動したパスサッカーは注目されるようになった。

そして、2005年の選手権では強豪、鹿児島実業に延長戦までもつれこんだが、高校サッカー史上、最も美しいゴールと言われる決勝点を決め、初優勝を決めた。ドリブルとワンタッチパス、ヒールパスを多用したトリッキーなサッカーは「セクシーフットボール」と言われ、その後の高校世代のサッカーに大きな影響を与えた。

近年もテクニックに優れた選手を中心にしたサッカーは多くの高校サッカーファンに指示され、高校選手権ではスタジアムが満員にするなど、高校サッカー界を代表する人気チームとして活躍している。
また、スペインで活躍する日本代表MF乾貴士を筆頭に20名以上のJリーガー輩出している。

監督・コーチ

野洲高校の躍進には山本佳司総監督とヘッドコーチとしてチームを支えた岩谷篤人氏の存在が欠かせない。

山本佳司総監督

山本総監督は、中学でサッカーを辞め、高校・大学と元アマチュアレスリング選手として活躍した異色の指導者である。日本体育大学時代はレスリングの選手として活躍。体育の教師をなることを目的に入学したが、1985年、学校の交換留学生制度を活用し、ドイツ・ケルン体育大学に留学し、そこで生活に根付いたサッカーの素晴らしさを視ることになる。帰国後は、水口東高校の監督に就任し、3年後には県予選を制して高校総体への出場を決めた。水口東では9年監督を務め、1996年に野洲高校に赴任することになった。

赴任当時の野洲高校サッカー部は部員16名(うちマネージャーが4名)という状態からスタートし、地元の選手をしっかり育成する方針で同じ県内のセゾンFCからや自らジュニアユースの育成を目的に立ち上げた野洲クラブから優秀な選手を集めて県内で戦えるチームを作っていった。

山本総監督はパスとドリブルで圧倒することを念頭に練習でもテクニックに磨きをかけ、試合でもドリブル主体でパスとヒールキックを多用したサッカーで観衆を沸かせた。「野洲のサッカーは面白い、自分はこんなサッカーをやってみたい」ということで、技術の高い選手が集まるようになっていった。

当時の高校サッカー界と異端とされるスタイルに対して批判する声もあったが、自分のサッカーをブレずに貫き通し、選手権で優勝することで間違っていないことを証明した。高校サッカーでは負けないため、ロングボールを蹴ることが多かったが、しっかりとパスをつなげるサッカーで結果を出したことで、聖和学園の加見監督など、大きな影響を与える結果となった。

そのサッカーも毎年マイナーチェンジを繰り返し全国で結果は出ていないが、内容では相手を圧倒しており、今後も注目されている。

岩谷篤人ヘッドコーチ

野洲の躍進には育成界の天才と言われている岩谷ヘッドコーチも名参謀として欠かせない人物だ。関西の名門国立高校、京都教育大付属でサッカーを始めると、瞬く間に注目され、高校総体や国体にも出場した。その後、大学に行かず、卒業後は就職して学校教材の営業マンをしていた。学校からサッカーの指導の依頼を受け、その指導が評判を呼び、滋賀県の西武百貨店の融資を受けて、小学校・中学校年代を指導するセゾンFCを設立した。

セゾンFCは、徹底的に個人技を磨きをかける個性派クラブとして評判を呼び、そこで学んだ選手は、静岡学園に行くケースがほとんどだった。そんな時、地元の選手で強化を図ることを模索していた山本総監督で出会い、セゾンFCの前田雅文が野洲へ入学することになる。これ以降セゾンFCから野洲へ多くの選手が入学することになり、セゾンFC選手主体のメンバーが初めての選手権でベスト8進出後、山本監督からコーチ就任の依頼を受け、ヘッドコーチへ就任することになった。

世界で活躍する乾など、多数のプロ選手を育てた。その指導は戦術にも優れ、2012年、本人にとって最後の選手権は、1回戦で青森山田と対戦するが、狭いスペースからのプレスとドリブル、パスを融合したサッカーで、試合には敗れたが相手を圧倒した。

 現在はその指導力を全国へ広める活動と並行してセゾンFCの代表を務め、たくさんの選手を野洲へ送り込んでいる。

チームについて

チームスローガン

チームスローガンは毎年変わっている。

1999年 Start a revolution !
(革命を起こす)
2000年 Millennium Revolution!
2001年 Progress on!
(進歩をつづける)
2002年 Win the Revolution!
(革命を果たす)
2003年 Keep the Dream !
(夢を持ち続けろ)
2004年 Return of the Revolution !
2005年 Achieve the Goal !
2006年 Make it Again !
2007年 Make history!
2008年 Change the World !
2009年 Win Confidence !
2010年 Tough It Out!
2011年 Will to win!

野洲高校サッカー部が目指す3つのテーマ

①クリエイティブなサッカーを目指す
やっている人も見ている人も楽しいサッカーの実現
 
②世界を目指す
Global Standardから逆算した一流のチーム・選手

③魅力ある選手を目指す
長所を持った選手

サッカー部員

スタッフ。部員数

山本佳司総監督
部員は約100名

所属リーグ

Aチームはプリンスリーグ関西、Bチームは県リーグ1部、Cチーム県2部に参入している。

3種(中学)出身チーム

多くの選手が地元滋賀県内のクラブ出身で、セゾンFC、YASUクラブ、SAGAWA SHIGAなどからたさくさんの選手が入部する

ユニフォーム

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ネイビーの縦線はチームの象徴である。

学校生活

練習環境

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高校選手権い優勝した翌年、国内の県立高校として初めて人工芝のサッカーグラウンドが完成。恵まれた環境で技術を磨くことが可能となった。

OB(Jリーガー)

田中大輔(元清水エスパルス)
前田雅文(元ガンバ大阪)
小寺一生(FC琉球)
中井昇吾(元柏レイソル)
井田健太郎(元三菱水島FC)
松尾元太(元京都サンガF.C.、現名古屋グランパスU-18コーチ)
青木孝太(元ジェフユナイテッド市原・千葉)
楠神順平(ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC)
内野貴志(AC長野パルセイロ)
前川賢司(元MIOびわこ草津)
平石竜真(元AC長野パルセイロ)
田中雄大(北海道コンサドーレ札幌)
乾貴士(SDエイバル-スペイン)
荒堀謙次(モンテディオ山形)
村田和哉(清水エスパルス)
山田晃平(AC長野パルセイロ)
西口諒(AC長野パルセイロ)
坂本一輝(MIOびわこ滋賀)
中島依美(神戸レオネッサ)
美濃部寛貴(MIOびわこ滋賀)
望月嶺臣(京都サンガF.C.)
飯田貴敬(清水エスパルス)