平瀬 智行(鹿児島実業高校 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
名門・鹿児島実業高校が生んだ日本屈指の本格派ストライカー。圧倒的なスピードとしなやかなポストプレー、そして大舞台の勝負どころで見せる一撃必殺の決定力を武器に、名将・松澤隆司監督のもとで鹿実黄金時代のエースとして全国にその名を轟かせた。
1年生(1993年度)にして名門のレギュラーを掴み取ると、同年の全国高校総体(栃木総体)で1年生ながら得点王を獲得し、全国準優勝に貢献。全日本ユースでも全国準優勝、冬の第72回全国高校サッカー選手権では城彰二、遠藤彰弘らと共に聖地・国立のピッチに立ちベスト4に進出。1年生にして大会優秀選手に選出されるという鮮烈な全国デビューを飾った。
2年時(1994年度)もインターハイ全国4強、選手権全国8強と世代トップを走り続け、最上級生となった3年時(1995年度)にはふくしま国体で鹿児島県選抜として全国制覇を達成。そして高校最後の冬となった第74回全国高校サッカー選手権では、3回戦の鵬翔高校戦、準々決勝の室蘭大谷高校戦で大会史上屈指の「2試合連続ハットトリック」を達成するなど計6得点を量産。静岡学園高校との壮絶な決勝戦(2-2延長引き分け)を戦い抜き、鹿児島県勢史上初となる悲願の選手権全国優勝(両校優勝)を成し遂げた。
高校卒業後は名門・鹿島アントラーズへ入団。ブラジルへのサッカー留学を経てストライカーとして本格開花し、2000年にはJリーグ史上初の国内3冠(Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯)達成に大きく貢献した。フィリップ・トルシエ監督率いるU-22/U-23日本代表では、シドニー五輪アジア予選で歴代最多となる17得点を叩き出し、2000年シドニー五輪本大会でも世界ベスト8進出の原動力となった。その後、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸、ベガルタ仙台で活躍し、仙台では2009年のJ2優勝・J1昇格の立役者となった。現役引退後はベガルタ仙台のクラブアンバサダーやコーディネーター、解説者として日本サッカーの発展に尽力している。
所属チーム
鹿児島実業高等学校
生年月日
1977年5月23日
サイズ(身長・体重)
184cm / 76kg(※現役時)
ポジション
FW(センターフォワード)
出身チーム
- 3種:鹿児島市立西陵中学校サッカー部(鹿児島県鹿児島市)
- 4種:鹿児島市立西陵小学校サッカー少年団(鹿児島県鹿児島市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1993年度・第72回):鹿児島県予選 優勝、全国大会 ベスト4(3位)!
1回戦:3-0 盛岡商業高校
2回戦:2-0 四日市中央工業高校
3回戦:1-0 武南高校
準々決勝:2-0 神戸弘陵学園高校
準決勝:2-2(PK 4-5)清水商業高校(国立競技場での死闘)
個人表彰:大会優秀選手に1年生で選出! - 2年時(1994年度・第73回):鹿児島県予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)!
1回戦:シード
2回戦:2-0 前橋育英高校(平瀬が2得点)
3回戦:1-0 南宇和高校
準々決勝:0-0(PK 3-4)帝京高校 - 3年時(1995年度・第74回):鹿児島県予選 優勝(予選全5試合で10得点)、全国大会 優勝(全国制覇・悲願の初優勝!静岡学園高校との両校優勝!)
1回戦:シード
2回戦:2-1 帝京高校
3回戦:5-1 鵬翔高校(平瀬智行がハットトリック達成!)
準々決勝:4-2 室蘭大谷高校(平瀬智行が2試合連続ハットトリック達成!)
準決勝:2-1 初芝橋本高校
決勝:2-2(延長 0-0・両校優勝)静岡学園高校
個人表彰:大会優秀選手に選出!
高校総体
- 1年時(1993年度・栃木総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会 準優勝!
※平瀬智行が1年生にしてインターハイ得点王を獲得!
1回戦:6-0 松江北高校(平瀬1得点)
2回戦:1-0 藤沢西高校(平瀬1得点・決勝点)
3回戦:2-1 南宇和高校(平瀬1得点)
準々決勝:3-1 水戸短大附高校(平瀬1得点)
準決勝:4-1 清水商業高校(平瀬が2得点! 川口能活・田中誠らの清水商を撃破)
決勝:1-2 国見高校(準優勝) - 2年時(1994年度・富山総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会 ベスト4(3位)!
1回戦:シード
2回戦:2-1 大宮東高校(平瀬1得点)
3回戦:3-2 韮崎高校(平瀬2得点)
準々決勝:2-0 富山第一高校(平瀬1得点)
準決勝:0-2 帝京高校 - 3年時(1995年度・鳥取総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会 3回戦進出
1回戦:シード
2回戦:5-1 富山第一高校(平瀬2得点)
3回戦:3-3(PK 5-6)茅ヶ崎北陵高校(平瀬2得点)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1993年度・第5回):九州地区代表、全国大会 準優勝!
1回戦:4-0 名古屋グランパスエイトユース
2回戦:2-0 南宇和高校
準決勝:1-1(PK 10-9)武南高校
決勝:0-0(延長 0-1)清水商業高校 - 2年時(1994年度・第6回):九州地区代表、全国大会 1回戦進出
1回戦:3-5 清水商業高校 - 3年時(1995年度・第7回):九州地区予選敗退(全国大会不出場)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1993年・東四国国体):鹿児島県選抜
- 2年時(1994年・愛知国体):鹿児島県選抜
- 3年時(1995年・ふくしま国体):鹿児島県選抜、少年男子の部 優勝(全国制覇・日本一!)
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:
・U-18日本代表候補(1995年) - 日本高校選抜:1994年、1996年選出(ヨーロッパ遠征参加)
- 都道府県選抜:鹿児島県選抜(1993年、1994年、1995年国体出場/1995年ふくしま国体で全国優勝・日本一)
- 個人表彰:
・第72回全国高校サッカー選手権 大会優秀選手(1993年度・1年時)
・平成5年度全国高校総体(インターハイ) 得点王(1993年・1年時)
・第74回全国高校サッカー選手権 大会優秀選手(1995年度・3年時) - Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
西陵中学校時代から鹿児島県内屈指のFWとして知られ、名門・鹿児島実業高校へ進学。入学直後の1年生時から全国高校総体で得点王に輝き、冬の全国選手権でも優秀選手に選出されるなど、世代の先頭を走り続けた。国体では鹿児島県選抜の絶対的ストライカーとして1995年ふくしま国体で全国制覇を達成。第74回選手権での2試合連続ハットトリック&全国制覇を経て高校選抜のエースとしてヨーロッパ遠征でも存在感を発揮し、ジーコが目を留める超高校級ストライカーとしてJリーグの複数クラブによる争奪戦の中心となった。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(J1 / 1996年 – 1998年、1999年 – 2002年、2003年 – 2004年)
- CFZ・ド・リオ(ブラジル留学 / 1998年 / 期限付き移籍)
- 横浜F・マリノス(J1 / 2002年 / 期限付き移籍)
- ヴィッセル神戸(J1・J2 / 2004年 – 2007年)
- ベガルタ仙台(J2・J1 / 2008年 – 2010年 / 2009年J2優勝・J1昇格貢献)
- Jリーグ通算301試合74得点(J1:223試合55得点、J2:78試合19得点)、公式戦通算385試合96得点
日本代表歴
- 日本代表 国際Aマッチ 2試合0得点(2000年)
- U-22 / U-23日本代表(シドニー五輪日本代表 / 1999年 – 2000年)
※シドニー五輪アジア予選で歴代最多の通算17得点を叩き出す大活躍。
2000年シドニーオリンピック本大会出場(世界ベスト8進出)。
引退後の役職・活動
- ベガルタ仙台 アンバサダー(2011年 – 2017年)
- ベガルタ仙台 クラブコーディネーター(2018年 – 現在)
- サッカー解説者、JFAこころのプロジェクト「夢先生」
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後の1996年、憧れのジーコが創設に関わった鹿島アントラーズへ入団。ブラジルのCFZ・ド・リオへの武者修行を経て成長を遂げると、2000年にはJリーグ史上初となる国内3冠(Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯)達成に大きく貢献した。同世代で構成されたトルシエ監督率いるシドニー五輪代表ではエースとしてアジア予選で前人未到の17ゴールを挙げ、本大会ベスト8進出に大きく寄与した。
その後、横浜FM、神戸を経て2008年にベガルタ仙台へ移籍。精神的支柱として前線を牽引し、2009年にはJ2優勝とJ1昇格を達成して仙台の英雄となった。2010年に現役を引退した後は、ベガルタ仙台のアンバサダーおよびクラブコーディネーターを務め、解説者やスクール指導を通じて東北をはじめとする日本サッカー界の発展に大きく貢献し続けている。























