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則武洋平(桐蔭学園)高校サッカーヒーロー列伝

則武洋平_桐蔭学園

則武洋平(桐蔭学園 神奈川県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

桐蔭学園の右ウイング。スピード溢れる突破が武器で、関東大会を制して全国デビューを飾った2年時の1989年に、チームの躍進を最前線で支えた。インターハイでは1回戦の長崎日大戦で得点するなど3回戦まで勝ち進み、高円宮杯全日本ユース(プレ大会)では3位。選手権の第68回大会でも1回戦で山口に5-1、2回戦で岐阜工に5-0、3回戦で伝習館に4-0と3連勝を飾り、全国ベスト8に進出した。

準々決勝では前橋商と2-2の死闘を演じ、PK戦5-6で涙を飲んだ。司令塔・長谷部茂利(3年)、福永泰(2年)、左サイドバックの戸倉健一郎(3年)らを擁した1989年の桐蔭学園は、ガンガン得点機に絡むDF陣まで含めた攻撃サッカーで高校サッカー界に衝撃を与えたチームであり、則武はその右サイドを駆けるキーマンだった。

卒業後は明治大学を経て横河電機サッカー部へ進み、関東社会人リーグや全国地域リーグ決勝大会でプレーを続けた。Jリーグの舞台こそ経なかったが、高校サッカー史に残る1989年桐蔭学園の一片として、その名は確かに記録されている。

所属

  • 桐蔭学園高等学校(神奈川県)

生年月日

  • 1972年11月27日

サイズ(身長・体重)

  • 168cm / 63kg(現役時)

ポジション

  • MF(右ウイング)

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):確認できた記録なし(要確認)
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):確認できた記録なし(要確認)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1988年度):チームの全国大会出場はなし(桐蔭学園の選手権初出場は1989年度の第68回大会)。
  • 2年時(1989年度・第68回大会):全国ベスト8。1回戦で山口に5-1、2回戦で岐阜工に5-0、3回戦で伝習館に4-0で勝利(則武は3回戦で得点)。準々決勝で前橋商に2-2の末、PK戦5-6で敗退(優勝は南宇和)。
  • 3年時(1990年度・第69回大会):チームの全国大会出場はなし。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1988年):確認できた出場記録なし。
  • 2年時(1989年):全国大会3回戦敗退。1回戦で長崎日大に5-0(則武が得点)、2回戦で四日市中央工に2-0、3回戦で北陽に0-1で敗退。
  • 3年時(1990年):確認できた出場記録なし。
  • 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1988年):大会未創設。
  • 2年時(1989年):高円宮杯全日本ユース(プレ大会)で3位。1回戦で宮崎工に4-3、2回戦で広島工に2-1、準決勝で清水商に1-5で敗退。
  • 3年時(1990年):第1回大会。チームの出場記録は確認できず。
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1988年)〜3年時(1990年):神奈川選抜としての出場記録は確認できず。

代表歴

  • 高校時代の代表・選抜歴:確認できた記録なし。

【高校時代の代表歴について】

1972年生まれの世代は、世代別日本代表の整備が本格化する直前の世代にあたる。ユース代表は大学・実業団の選手が中心で、高校生が代表に選出される枠は現在よりはるかに小さく、全国大会での結果が実力証明の最大の舞台だった。

則武自身の代表・選抜歴として確認できる記録は残っていない。ただし在学中の1989年、桐蔭学園は関東大会優勝からインターハイ・全日本ユース・選手権の全国三舞台で躍進を遂げ、長谷部茂利や福永泰、戸倉健一郎など、のちにJリーグや日本代表で名を刻む選手を多数擁していた。その中で右ウイングを担ったこと自体が、全国トップレベルの評価を物語っている。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 明治大学(1991年〜1995年):大学サッカーでプレー(成績の詳細は要確認)。
  • 横河電機サッカー部(1996年〜):関東社会人リーグなど実業団でプレー。第21回全国地域リーグ決勝大会に出場。
  • Jリーグ公式戦出場記録なし。

日本代表(国際Aマッチ)

  • 出場記録なし。

引退後の活動・指導歴・役職

  • 確認できた記録なし(要確認)。

【卒業後のキャリアの総評】

則武の名が最も鮮やかに刻まれているのは、1989年の桐蔭学園というチームの中である。長谷部茂利が司令塔としてチームを牽引し、福永泰が得点を量産し、戸倉健一郎が左サイドを駆け上がる。技術と戦術で高校サッカー界に衝撃を与えた李国秀監督のチームで、則武はスピードを武器に右ウイングを務め、インターハイと選手権で得点を記録した。

卒業後は明治大学へ進学。大学での4年間を経て、1996年からは実業団の横河電機サッカー部でプレーを続け、第21回全国地域リーグ決勝大会にも出場した。関東社会人リーグの舞台で続けた現役生活は、同時期にJリーグへ進んだ旧チームメートたちとは異なる、もう一つのサッカー人生だった。

Jリーグの公式戦出場記録に則武の名はない。同世代の長谷部がヴェルディからバルセロナ五輪代表へ、福永がレッズへ、戸倉と林健太郎がヴェルディへと進んだ道と比べれば地味に映るかもしれない。だが、あの1989年の躍進を語るうえで右サイドの突破は欠かせない存在であり、その後の足跡を含めて、さらに情報を収集したい選手である。

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