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中口雅史(国見)高校サッカーヒーロー列伝

中口雅史_国見

中口雅史(国見 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝

寸評

鋭い得点感覚と高い技術、献身的なハードワークを兼ね備え、国見高校の攻撃を牽引したストライカー。1972年4月10日、徳島県徳島市に生まれ、中学時代から高いサッカーセンスを発揮すると、四国から九州の名門・長崎県立国見高校へと越境進学した。小嶺忠敏監督のもとで徹底的に鍛え上げられ、フィジカルと精神力、勝負強さを磨き上げた。

高校3年時の1990年度、第69回全国高校サッカー選手権大会でチームのエースとして躍動した。2回戦の上田東戦、3回戦の滝川第二戦、準々決勝の大宮東戦、準決勝の東海大五戦を勝ち抜き、史上初の九州勢同士の顔合わせとなった鹿児島実業との決勝戦に進出。互いに譲らぬ熱戦の中、延長後半に中口が劇的な決勝ゴールを沈めて1-0の勝利を収め、国見を3年ぶり2度目の全国制覇へと導いた。大会を通じて決定力の高さを示し、大会優秀選手にも選出された。

卒業後は大阪商業大学へ進学して関西の強豪で主力として活躍し、1995年にガンバ大阪へ入団。その後、佐川急便大阪SCへ移籍して関西サッカーリーグでベストイレブンに選ばれるなど長く活躍した。引退後は指導者として佐川急便SCやSAGAWA SHIGA FCを率いてJFL最優秀監督賞を歴代最多の3度受賞。MIOびわこ滋賀やJ3のヴァンラーレ八戸で監督を務めたほか、ガンバ大阪の強化部長やヴィッセル神戸のテクニカルダイレクターおよびU-21監督兼トップチームアシスタントコーチを歴任するなど日本サッカー界に多大な貢献を続けている。

所属

長崎県立国見高等学校(長崎県)

生年月日

1972年4月10日

サイズ(身長・体重)

175cm / 75kg

ポジション

FW / MF

出身チーム

  • 3種(中学校/ジュニアユース):徳島市内中学校(要確認)
  • 4種(小学校/少年団/ジュニア):徳島市内少年団(要確認)

出場大会

高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
  • 1年時(1988年度・第67回大会):登録メンバー外(チームはベスト8に進出し準々決勝で前橋商に1-2で敗退)。
  • 2年時(1989年度・第68回大会):登録メンバー外(チームは3回戦敗退。前年優勝の清水商に0-2で敗退)。
  • 3年時(1990年度・第69回大会):全国優勝。国体推薦により予選免除で本大会出場。初戦となる2回戦で上田東に3-0、3回戦で滝川第二に0-0(PK3-1)、準々決勝で大宮東に2-1、準決勝で東海大五に2-1と勝利。1991年1月8日に国立霞ヶ丘競技場で行われた鹿児島実業との決勝では延長後半に中口が劇的な決勝ゴールを決め1-0で勝利し3年ぶり2度目の優勝を果たした。
  • 個人表彰:第69回大会優秀選手に選出。
高校総体(インターハイ)
  • 1年時(1988年):長崎県予選敗退(長崎県代表は島原商が出場)。
  • 2年時(1989年):長崎県予選敗退(長崎県代表は島原商が出場)。
  • 3年時(1990年):長崎県予選敗退(長崎県代表は島原商が出場)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし。
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1988年):第1回大会開催前。
  • 2年時(1989年・第1回大会):1回戦敗退。1回戦で清水東に1-2で敗退。
  • 3年時(1990年・第2回大会):確認できた全国出場記録なし。
  • 個人表彰:確認できた記録なし。
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1988年・第43回京都国体):確認できた出場記録なし。
  • 2年時(1989年・第44回はまなす国体):少年男子・長崎県選抜(出場状況は要確認)。
  • 3年時(1990年・第45回とびうめ国体):少年男子・長崎県選抜(アジアユース等の影響に伴う代表選考対象)。
  • 個人表彰:確認できた記録なし。

代表歴

高校時代の代表/選抜歴:第69回全国高校サッカー選手権大会優秀選手、日本高校選抜候補。

【高校時代の代表歴について】

中口雅史の高校時代は、1990年度の第69回全国高校サッカー選手権大会における大活躍が象徴するように、全国トップクラスのアタッカーとして確固たる地位を築いた。アジアユース選手権との日程重複により国見高校が国体推薦校として選手権出場を果たしたシーズンにおいて、中口はチームの攻撃を牽引する大黒柱として全試合に先発出場した。

特に選手権決勝では鹿児島実業を相手に延長後半のワンチャンスを仕留める劇的な決勝点を奪い、全国制覇の立役者となった。その傑出した勝負強さと得点力が高く評価され、大会優秀選手に名を連ね、当時の高校年代を代表するタレントとして全国にその名を轟かせた。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 大阪商業大学(1991年〜1994年):関西学生サッカーリーグの強豪としてプレー。
  • ガンバ大阪(1995年〜1996年):Jリーグ所属。
  • 佐川急便大阪SC(1997年〜2001年):関西サッカーリーグ所属。1998年および1999年に関西サッカーリーグ1部ベストイレブン選出。
  • 通算成績:公式戦記録(Jリーグ0試合0得点、関西リーグ等で多数出場)。
  • タイトル:第69回全国高校サッカー選手権大会優勝(1990年度・国見高校)。
  • 個人表彰:関西サッカーリーグ1部ベスト11(1998年、1999年)。

日本代表(国際Aマッチ)

国際Aマッチ出場なし。

引退後の活動・指導歴・役職

2002年〜2005年:佐川急便大阪SC コーチ
2006年:佐川急便大阪SC 監督
2007年:佐川急便SC 監督(JFL優勝、JFL最優秀監督賞受賞)
2008年1月〜9月:SAGAWA SHIGA FC テクニカルディレクター
2008年10月〜2012年:SAGAWA SHIGA FC 監督(2009年・2011年JFL優勝、JFL最優秀監督賞受賞)
2013年〜2015年:ガンバ大阪 強化担当
2016年〜2019年:MIOびわこ滋賀 監督
2020年:ヴァンラーレ八戸 監督(J3リーグ)
2021年〜2021年8月:アイン食品株式会社サッカー部 ヘッドコーチ
2021年8月〜2023年:ガンバ大阪 強化アカデミー部 強化部長
2024年〜2025年:ヴィッセル神戸 テクニカルダイレクター
2026年〜:ヴィッセル神戸 U-21監督兼トップチームアシスタントコーチ

【卒業後のキャリアの総評】

高校卒業後に大阪商業大学へ進学した中口は、大学サッカー界で実力を磨いたのち、1995年にJリーグのガンバ大阪へと加入した。その後、佐川急便大阪SCへ移籍すると、関西サッカーリーグ屈指のミッドフィールダーとして攻守に存在感を示し、1998年と1999年には2年連続でリーグのベストイレブンに選出されるなどチームの躍進を支え、2001年の現役引退まで中心選手として活躍を続けた。

引退後は優れた指導力とマネジメント能力を発揮し、指導者として大きな成功を収めた。2007年に佐川急便SCの監督としてJFL優勝を果たし最優秀監督賞を獲得すると、SAGAWA SHIGA FCでも2009年と2011年にリーグ制覇を成し遂げ、歴代最多となる通算3度のJFL最優秀監督賞を受賞した。

その後もMIOびわこ滋賀やJ3のヴァンラーレ八戸で監督を務めて現場の指揮を執る一方、ガンバ大阪では強化部長としてクラブ運営や編成の重責を担った。2024年以降はヴィッセル神戸のテクニカルダイレクターやU-21監督兼トップチームアシスタントコーチを務めるなど、ピッチ内外で日本サッカーの発展に寄与し続けている。

国見(チーム紹介)

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