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羽中田 昌(韮崎高校)高校サッカーヒーロー列伝

羽中田昌_韮崎

羽中田 昌(韮崎高校 山梨県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

しなやかで優雅なボールタッチ、相手の急所を突くスルーパス、そして決定的なフィニッシュで国立競技場を幾度も熱狂の渦に巻き込んだ「高校サッカー界不滅の天才ファンタジスタ」。名将・横森巧監督率いる山梨県立韮崎高校において1年時からエースの重責を担い、緑のユニフォームを纏って高校サッカー界の頂点へと駆け上がった。

全国高校選手権では1年時に全国3位(ベスト4)、2年時および3年時には主将として2年連続全国準優勝を達成。インターハイでも3年連続で全国4強(3位・準優勝・3位)入りを果たし、怪我や体調不良を抱えながらもピッチに立てば圧倒的な存在感で観衆を魅了した。

高校卒業直前の不慮の事故により車椅子生活を余儀なくされるも、不屈の闘志でサッカー界へ復帰。2006年に身体障害者として史上初となるJFA公認S級コーチライセンスを取得し、Jリーグや地域リーグ、高校の監督として情熱を注ぎ続ける伝説のフットボーラーである。

所属チーム

山梨県立韮崎高等学校

生年月日

1964年7月19日

サイズ(身長・体重)

167cm / 56kg(※現役時)

ポジション

FW / MF

出身チーム

  • 3種:甲府市立西中学校サッカー部(山梨県甲府市)
  • 4種:湯田少年団 / 春日少年団(山梨県甲府市)

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1980年度・第59回):山梨県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)(2回戦:4-1 御影工、準々決勝:2-2 PK4-3 広島工、準決勝:1-1 PK2-4 古河一)
  • 2年時(1981年度・第60回):山梨県予選 優勝、全国大会 準優勝&【大会優秀選手選出】(2回戦:1-0 金沢西、3回戦:2-0 帝京、準々決勝:2-0 秋田商、準決勝:2-1 清水市立商、決勝:0-2 武南)
  • 3年時(1982年度・第61回):主将として山梨県予選 優勝、全国大会 準優勝&【大会優秀選手選出】(1回戦:1-0 旭、2回戦:2-1 盛岡商、準々決勝:2-1 守山、準決勝:1-1 PK4-2 守山、決勝:1-4 清水東)
高校総体
  • 1年時(1980年度・徳島総体):山梨県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
  • 2年時(1981年度・神奈川総体):山梨県予選 優勝、全国大会 準優勝
  • 3年時(1982年度・鹿児島総体):山梨県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1980年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1981年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1982年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1980年・栃の葉国体):山梨県選抜
  • 2年時(1981年・びわこ国体):山梨県選抜
  • 3年時(1982年・島根国体):山梨県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:U-19日本代表(日本ユース代表 / 1982年AFCユース選手権等)
  • 日本高校選抜:1982年選出(第60回大会優秀選手)、1983年選出(第61回大会優秀選手・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:山梨県選抜(国体少年の部出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし(※Jリーグ開幕前)

高校時代の代表歴について

小学生時代から山梨県内で飛び抜けたテクニックを披露し、甲府市立西中学校3年時には飛び級でU-19日本代表候補合宿に招集されるなど、早くから「未来の日本代表エース」として全国に名を轟かせた。

韮崎高校進学後も日本ユース代表の主軸として1982年AFCユース選手権などで世界を見据えて躍動。全国高校選手権では2年時・3年時と2年連続で大会優秀選手および日本高校選抜に選出され、ヨーロッパ遠征に参加した。当時の日本代表選手や指導者たちからも「同世代で群を抜く至宝」と絶賛され、80年代前半のユース年代における象徴的スーパースターとして君臨した。

卒業後の進路

プロ・実業団

名門実業団への加入内定(※1983年春の不慮の事故により選手生活を断念)

日本代表

日本ユース代表

指導歴・役職

  • 山梨県庁 職員(1984年 – 1993年)
  • スペイン・バルセロナへコーチング留学(1993年 – 1995年)
  • サッカー解説者、スポーツエッセイスト
  • 暁星高校サッカー部 コーチ
  • JFA公認S級コーチライセンス取得(2006年 / ※身体障害者・車椅子生活者として日本史上初)
  • カマタマーレ讃岐 監督(2008年 – 2009年)
  • 奈良クラブ 監督(2012年)
  • 東京23FC 監督(2015年 – 2017年)
  • ブリオベッカ浦安 監督(2018年)
  • 山梨学院高校サッカー部 監督(2022年 / 第101回全国選手権出場)
  • 山梨県立韮崎高校サッカー部 コーチ(2011年、2023年 – 現在)

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)のトップチームへの加入が内定していたが、1983年春、卒業直前のバイク単独事故により脊髄を損傷し車椅子生活となる。

山梨県庁に勤務しながらサッカーへの情熱を燃やし続け、1993年のJリーグ開幕を機に指導者の道を志して県庁を退職。スペイン・バルセロナへ渡って現地の先進的な指導理論を学んだ。帰国後はサッカー解説者や執筆活動で高い評価を得る一方、2006年には車椅子生活者として日本サッカー史上初となるJFA公認S級コーチライセンスを取得。カマタマーレ讃岐監督(2008年 – 2009年)、奈良クラブ監督、東京23FC監督、ブリオベッカ浦安監督を歴任した。2022年には山梨学院高校監督として第101回全国高校選手権出場を果たし、現在は母校・韮崎高校サッカー部のコーチとして後進の育成に尽力している。




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