中田 英寿(韮崎高校 山梨県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
圧倒的なフィジカルコンタクトの強さ、研ぎ澄まされた戦術眼、そして相手の急所を抉る鋭利なキラーパスで日本サッカーの歴史を大きく塗り替えた「孤高の世界基準プレーヤー」。名門・山梨県立韮崎高校において早くから規格外の才能を開花させ、激しいマークを受けながらも中盤に君臨してチームを牽引した。
高校2年時の1993年度には、夏のインターハイで全国16強(3回戦進出)に進出し、同年のFIFA U-17世界選手権(日本開催)ではU-17日本代表の主軸として世界ベスト8進出に貢献。冬の第72回全国高校サッカー選手権大会でも2年生司令塔として初戦突破を果たし、2回戦の前橋育英戦で激闘を演じた。3年時にもインターハイに出場するとともに、U-19日本代表としてAFCユース選手権準優勝を果たし、Jリーグ全12クラブ中11クラブからオファーを受ける争奪戦へと発展した。
ベルマーレ平塚からセリエAのペルージャ、ASローマへと渡り、ローマではスクデット(リーグ優勝)を獲得。W杯3大会連続出場など日本を世界の表舞台へと押し上げた不世出のスーパースターである。
所属チーム
山梨県立韮崎高等学校
生年月日
1977年1月22日
サイズ(身長・体重)
175cm / 72kg(※現役時)
ポジション
MF
出身チーム
- 3種:甲府市立北中学校サッカー部(山梨県甲府市)
- 4種:北登美サッカースポーツ少年団(北登美SSS / 山梨県甲府市・貢川小)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1992年度・第71回):山梨県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1993年度・第72回):山梨県予選 優勝、全国大会 2回戦敗退(1回戦:2-1 守山北、2回戦:2-3 前橋育英)
- 3年時(1994年度・第73回):山梨県予選 決勝敗退(全国大会不出場)
高校総体
- 1年時(1992年度・愛媛総体):山梨県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1993年度・栃木総体):山梨県予選 優勝、全国大会 3回戦進出(ベスト16)
- 3年時(1994年度・富山総体):山梨県予選 優勝、全国大会 出場
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1992年度・第3回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1993年度・第4回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1994年度・第5回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1992年・山形国体):山梨県選抜
- 2年時(1993年・東四国国体):山梨県選抜としてサッカー少年の部 出場
- 3年時(1994年・愛知国体):山梨県選抜としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:
- U-15日本代表(1991年)
- U-16日本代表(1992年)
- U-17日本代表(1993年 / FIFA U-17世界選手権日本大会 ベスト8進出)
- U-19日本代表(1994年 / AFCユース選手権 準優勝)
- 日本高校選抜:1994年選出(第72回大会優秀選手選考)
- 都道府県選抜:山梨県選抜(国体少年の部出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
小学生・中学生時代から全国屈指の逸材として注目を集め、中学時代にU-15日本代表に選出。韮崎高校進学後も各年代の日本代表の中心として世界を舞台に躍動した。
高校2年時の1993年には、日本で開催されたFIFA U-17世界選手権にU-17日本代表の主軸として出場し、世界ベスト8進出の快挙に大きく貢献。高校3年時の1994年にはU-19日本代表(日本ユース代表)としてAFCユース選手権に出場し、準優勝とともに翌年のFIFAワールドユース選手権(現・U-20W杯)の出場権獲得に決定的な役割を果たした。また、国体山梨県選抜としても活躍し、高校生の枠組みを遥かに超えたプレー強度と判断力は国内外のスカウトから絶大な評価を受けた。
卒業後の進路
プロ・海外
- ベルマーレ平塚(J1 / 1995年 – 1998年 / 1995年アジアカップウィナーズカップ優勝、1997年Jリーグベストイレブン)
- ペルージャ(イタリア・セリエA / 1998年 – 2000年)
- ASローマ(イタリア・セリエA / 2000年 – 2001年 / 2000-01セリエA優勝・スクデット獲得)
- パルマ(イタリア・セリエA / 2001年 – 2004年 / コッパ・イタリア優勝)
- ボローニャ(イタリア・セリエA / 2004年)
- フィオレンティーナ(イタリア・セリエA / 2004年 – 2005年)
- ボルトン・ワンダラーズ(イングランド・プレミアリーグ / 2005年 – 2006年 / 現役引退)
日本代表
- 国際Aマッチ 77試合11得点(1997年 – 2006年)
- アトランタ五輪日本代表(1996年 / 「マイアミの奇跡」)
- シドニー五輪日本代表(2000年 / ベスト8進出)
- FIFAワールドカップ 3大会連続出場(1998フランス、2002日韓・ベスト16、2006ドイツ)
- アジア年間最優秀選手賞 2回受賞(1997年、1998年)
- バロンドール(欧州年間最優秀選手)ノミネート 3回(1998年、1999年、2001年)
- FIFA 100(偉大なサッカー選手100人 / 2004年選出)
引退後のキャリア・役職
- 一般社団法人TAKE ACTION FOUNDATION 代表理事
- 株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANY 代表取締役
- 立教大学 経営学部 客員教授(2020年 – 現在)
- 公益財団法人日本サッカー協会(JFA)参与
卒業後のキャリアの総評
高校卒業時の1995年、Jリーグ11クラブによる争奪戦の末にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)へ加入。高卒1年目からレギュラーを掴み、アジアカップウィナーズカップ優勝やJリーグベストイレブン選出などトップスターへと駆け上がった。
1998年フランスW杯出場後、イタリア・セリエAのペルージャへ完全移籍。開幕のユベントス戦で衝撃の2ゴールを奪うと、2000年に移籍したASローマでは2000-01シーズンのセリエA優勝(スクデット)に決定的な貢献を果たした。その後パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、イングランド・プレミアリーグのボルトンで活躍。日本代表では国際Aマッチ77試合11得点を記録し、1998年、2002年(日韓・16強)、2006年とワールドカップ3大会連続出場。アトランタ五輪(マイアミの奇跡)やシドニー五輪(8強)でも主軸を務め、2006年ドイツW杯を最後に29歳の若さで現役引退を表明した。
引退後は世界中を旅したのち、一般社団法人TAKE ACTION FOUNDATIONの設立や、日本の伝統文化・工芸・日本酒の魅力を世界に発信するJAPAN CRAFT SAKE COMPANYの代表を務めるなど、多方面で世界的な影響力を発揮し続けている。





















