阿部 敏之(帝京高校 東京都)高校サッカーヒーロー列伝
総評
長短自在の高精度な左足キックと広い視野、卓越したゲームメイク能力でカナリア軍団の黄金期を牽引した「帝京のファンタジスタ」。名将・古沼貞雄監督率いる帝京高校において、松波正信や時岡宏昌、由井仁志らと共に「1年生カルテット」として入学直後から主力に定着し、名門復活の原動力となった。
高校2年時の第70回全国高校サッカー選手権大会では、同級生エース松波との阿吽の呼吸で勝ち上がり、四日市中央工との伝説の決勝戦でも絶妙なロビングパスで勝ち越し点をアシストして両校優勝(全国制覇)を達成。3年時の第71回大会でも中盤の絶対的コンダクターとしてチームを牽引し、2年連続の大会優秀選手に選出された。
筑波大学を経て鹿島アントラーズ、浦和レッズなどで中盤の要としてタイトル獲得に貢献。鋭利な左足から放たれる芸術的ラストパスでスタジアムを魅了し続けた名レフティである。
所属チーム
帝京高等学校
生年月日
1974年8月1日
サイズ(身長・体重)
178cm / 71kg(※現役時)
ポジション
MF / DF
出身チーム
- 3種:浦和市立田島中学校サッカー部(現・さいたま市立田島中学校 / 埼玉県)
- 4種:田島サッカースポーツ少年団(田島SSS / 埼玉県浦和市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1990年度・第69回):東京都予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(1回戦シード、2回戦:0-0 PK3-1 岐阜工、3回戦:0-1 鹿児島実)
- 2年時(1991年度・第70回):東京都予選 優勝(決勝で同点ゴール)、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!四日市中央工と両校優勝)&【大会優秀選手選出】(1回戦:2-1 滝川第二、2回戦:2-1 真岡、3回戦:3-2 岐阜工、準々決勝:1-0 鹿児島実、準決勝:2-1 市立船橋、決勝:2-2 四日市中央工)
- 3年時(1992年度・第71回):東京都予選 優勝(予選4得点)、全国大会 3回戦敗退&【大会優秀選手選出】(2回戦:5-0 高松商で2得点、3回戦:0-2 南宇和)
高校総体
- 1年時(1990年度・宮城総体):東京都予選 準々決勝敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1991年度・静岡総体):東京都予選 優勝、全国大会 ベスト8(準々決勝進出)(2回戦:1-0 前橋商、3回戦:4-0 大淀、準々決勝:1-4 清水東。清水東戦で阿部が得点)
- 3年時(1992年度・愛媛総体):東京都予選 代表決定戦敗退(全国大会不出場)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1990年度・第1回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1991年度・第2回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1992年度・第3回):関東地区予選 敗退(全国大会不出場)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1990年・福岡国体):東京都選抜候補
- 2年時(1991年・石川国体):東京都選抜
- 3年時(1992年・山形国体):東京都選抜の主力としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-17日本代表、U-20日本代表候補(日本ユース代表候補)
- 日本高校選抜:1992年選出(第70回大会優秀選手)、1993年選出(第71回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:東京都選抜(国体少年の部出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
小学生・中学生時代から卓越した左足の技術で地元・埼玉で高い評価を受け、帝京高校進学後は1年生からカナリア軍団のゲームメーカーとして君臨。1990年からU-17日本代表候補や日本ユース代表候補に名を連ね、東京都選抜の主力として国民体育大会(山形国体等)でも存在感を示した。
高校2年時の第70回全国高校選手権で日本一に輝くと、2年生ながら大会優秀選手に選出。翌3年時の第71回大会でも2年連続で大会優秀選手に輝き、日本高校選抜の主軸としてヨーロッパ遠征に参加した。当時からプロのスカウト陣から「高校年代で最も美しい軌道を描くパサー」と絶賛され、高校サッカー界屈指の天才司令塔として名を馳せた。
卒業後の進路
大学
筑波大学体育専門学群(1993年 – 1994年 / ※中退)
プロ・海外
- 鹿島アントラーズ(J1 / 1995年 – 1996年)
- CFZ・ド・リオ(ブラジル / 1996年 – 1997年 / 留学)
- 鹿島アントラーズ(J1 / 1997年 – 1999年 / Jリーグ年間優勝、ナビスコ杯、天皇杯制覇)
- 浦和レッドダイヤモンズ(J2・J1 / 2000年 – 2002年 / 移籍初年度7得点でJ1復帰に貢献)
- ベガルタ仙台(J1 / 2002年 – 2003年)
- アルビレックス新潟(J1 / 2003年 – 2004年)
- 鹿島アントラーズ(J1 / 2005年 / 現役引退)
日本代表
日本代表候補(1998年)
引退後の指導歴・役職
- アヴェントゥーラ埼玉 コーチ(2006年 – 2007年)
- 明治学院大学サッカー部 コーチ(2010年 – 2011年)
- 名古屋経済大学サッカー部 監督(2013年 – 2019年)
- はやぶさイレブン 監督(2019年 – 2021年)
- 徳島ヴォルティス トップチームコーチ(2025年 – 現在)
- フットゴルフ選手(日本ツアー参戦)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後は大学サッカー界の強豪・筑波大学へ進学。1995年に大学を中退してJリーグの鹿島アントラーズへ加入した。
1996年にはジーコが設立したブラジルのCFZ・ド・リオへ留学して技術と勝負強さに磨きをかけ、復帰後の鹿島で主力ボランチ・左サイドハーフとして定着。1998年のJリーグ年間優勝やナビスコカップ、天皇杯制覇など鹿島黄金期のタイトル獲得に大きく貢献し、同年に日本代表候補にも選出された。2000年には故郷の浦和レッドダイヤモンズへ移籍し、初年度にリーグ戦7得点を挙げてJ1昇格の原動力となった。その後、ベガルタ仙台、アルビレックス新潟を経て2005年に古巣・鹿島へ復帰し、同年に現役を引退した。
引退後は明治学院大学コーチ、名古屋経済大学監督、はやぶさイレブン監督、徳島ヴォルティスコーチを歴任する一方、フットゴルフ選手として全国ツアーに参戦するなど精力的に活動を続けている。



























