川口 能活(清水商業高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
鋭い反射神経と神がかり的なシュートストップ、気迫あふれるコーチングでゴールマウスに君臨した「日本サッカー史上最高峰の魂の守護神」。激戦区・静岡の名門である清水市立商業高等学校において1年時から名将・大滝雅良監督の抜擢を受け、正GKの座を獲得。冬の第70回全国高校選手権に出場し、早くから全国区の注目を集めた。
最上級生となった3年時(1993年度)にはキャプテンに就任。田中誠、小川雅己、鈴木悟、鈴木伸幸、佐藤由紀彦、安永聡太郎ら錚々たるタレントを最後尾から熱く鼓舞し、夏のインターハイで全国4強、秋の高円宮杯全日本ユース選手権で全国制覇を達成。そして冬の第72回全国高校選手権でも準決勝のPK戦ストップなど獅子奮迅の活躍を見せ、決勝で国見を下して日本一を奪還し、同年度の全国2冠を成し遂げた。
横浜マリノス入団後はJリーグ新人王を獲得し、アトランタ五輪での「マイアミの奇跡」、W杯4大会連続選出など日本代表の伝説的守護神として一時代を築いた偉大なレジェンドである。
所属チーム
清水市立商業高等学校(現・静岡市立清水桜が丘高等学校)
生年月日
1975年8月15日
サイズ(身長・体重)
180cm / 77kg(※現役時)
ポジション
GK
出身チーム
- 3種:東海大学第一中学校サッカー部(現・東海大学付属静岡翔洋中学校 / 静岡県静岡市清水区)
- 4種:富士市立天間小学校サッカースポーツ少年団(天間SSS / 静岡県富士市)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1991年度・第70回):静岡県予選 優勝、全国大会 3回戦敗退(背番号1を背負い1年生正GKとして出場。2回戦:3-0 初芝橋本、3回戦:1-2 鹿児島実)
- 2年時(1992年度・第71回):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1993年度・第72回):主将・正GKとして静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)&【大会優秀選手選出】(2回戦:2-0 洛南、3回戦:3-0 鵬翔、準々決勝:3-0 福山葦陽、準決勝:2-2 PK5-4 鹿児島実、決勝:2-1 国見)
高校総体
- 1年時(1991年度・静岡総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1992年度・愛媛総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1993年度・栃木総体):静岡県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)(2回戦:4-0 米子工、3回戦:5-1 韮崎、準々決勝:4-0 真岡、準決勝:1-4 鹿児島実)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1991年度・第2回):東海地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 2年時(1992年度・第3回):東海地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1993年度・第4回):東海地区代表として出場、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)(1回戦:1-0 帝京、2回戦:3-0 室蘭大谷、準決勝:6-2 富山第一、決勝:0-0 延1-0 鹿児島実)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1991年・石川国体):静岡県選抜
- 2年時(1992年・山形国体):静岡県選抜
- 3年時(1993年・東四国国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-16日本代表、U-17日本代表、U-19 / U-20日本代表(日本ユース代表 / 1992年AFCユース選手権、1993年FIFAワールドユース選手権等)
- 日本高校選抜:1994年選出(第72回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(国体少年の部出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
小学生時代からゴールキーパーとして卓越した素質を示し、名門・東海大一中を経て清水商業高校へ進学。高校1年時からU-16日本代表やU-17日本代表に選出され、世代別日本代表の正GKとして国際経験を積んだ。
高校2年・3年時にはU-19日本代表(日本ユース代表)にも飛び級で選出され、AFCユース選手権など世界大会予選を経験。3年時の第72回全国高校選手権で日本一に輝くと大会優秀選手に選ばれ、日本高校選抜の主将・守護神としてヨーロッパ遠征に参加した。当時から高校生のレベルを超越したコーチングと鋭敏なシュートストップを誇り、次代の日本代表を背負って立つ逸材として国内外から最大の賛辞を浴びた。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 横浜マリノス / 横浜F・マリノス(J1 / 1994年 – 2001年 / 1995年Jリーグ新人王、Jリーグ年間優勝)
- ポーツマスFC(イングランド / 2001年 – 2003年)
- FCノアシェラン(デンマーク / 2003年 – 2004年)
- ジュビロ磐田(J1 / 2005年 – 2013年)
- FC岐阜(J2 / 2014年 – 2015年)
- SC相模原(J3 / 2016年 – 2018年 / J通算500試合出場達成・現役引退)
日本代表
- 日本代表(A代表)国際Aマッチ 116試合出場(1997年 – 2010年)
- アトランタ五輪日本代表 主将(1996年 / 「マイアミの奇跡」)
- FIFAワールドカップ 4大会連続選出(1998フランス、2002日韓、2006ドイツ、2010南アフリカ)
- AFCアジアカップ 2大会連続優勝(2000レバノン、2004中国)
- 日本サッカー殿堂 掲額(2023年)
指導歴・役職
- 日本代表 GKコーチ(2019年 – 2021年)
- U-24日本代表 GKコーチ(東京五輪2020)
- ジュビロ磐田 GKコーチ(2023年 – 現在)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後の1994年、Jリーグの横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)へ加入。1995年にレギュラーに定着するとJリーグ年間優勝に貢献し、同年のJリーグ新人王を獲得した。
1996年のアトランタ五輪では主将として強豪ブラジルを完封し「マイアミの奇跡」を演出。その後、イングランドのポーツマスFC、デンマークのFCノアシェランで海外挑戦を果たし、ジュビロ磐田、FC岐阜、SC相模原で活躍してJ通算500試合以上に出場した。日本代表では国際Aマッチ116試合に出場し、1998年フランス大会から2010年南アフリカ大会まで4大会連続でワールドカップメンバーに選出。2000年・2004年のアジアカップ連覇にも守護神として絶大な貢献を果たした。
2018年に現役引退後は日本代表GKコーチやジュビロ磐田GKコーチを歴任し、2023年には日本サッカー殿堂入りを果たした。






















