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小川 誠一(市立船橋高校)高校サッカーヒーロー列伝

小川誠一_市立船橋

小川 誠一(市立船橋高校 千葉県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

鋭い危機察知能力と抜群のスピード、粘り強いマンマークで市立船橋の代名詞である「堅守速攻」の礎を築いた名ストッパー。名将・布啓一郎監督が就任間もない市立船橋高校において1年生時からレギュラーの座を掴み、野口幸司や井尻明、新井二朗らと共に市船史上初の黄金期を牽引した。

高校2年時の1987年には、北海道インターハイに出場して市船史上初となる全国制覇(初出場初優勝)を達成。冬の第66回全国高校サッカー選手権大会でも全国ベスト4に進出した。翌1988年度の兵庫インターハイでも相手攻撃陣を圧倒して大会2連覇の偉業を成し遂げ、第67回選手権では決勝で清水商業に惜敗したものの堂々の全国準優勝に輝き、大会優秀選手に選出された。

高校卒業後はトヨタ自動車(現・名古屋グランパス)へ加入。アーセン・ヴェンゲル監督のもと左サイドバックとして2度の天皇杯優勝に貢献するなど、闘志あふれる守備でファンから絶大な支持を集めたレジェンドである。

所属チーム

船橋市立船橋高等学校

生年月日

1970年7月21日

サイズ(身長・体重)

170cm / 65kg(※現役時)

ポジション

DF

出身チーム

  • 3種:千葉市立緑が丘中学校サッカー部(千葉県千葉市)
  • 4種:千葉市立宮野木小学校(千葉県千葉市)

出場大会

高校

高校総体
  • 1年時(1986年度・山口総体):千葉県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1987年度・北海道総体):千葉県予選 優勝、全国大会 優勝(市船史上初の全国初制覇・初出場初優勝!)(決勝:2-1 国見
  • 3年時(1988年度・兵庫総体):千葉県予選 2位、全国大会 優勝(全国総体連覇達成!)(1回戦:3-0 都城農、2回戦:3-0 松江東、3回戦:2-1 北陽、準々決勝:1-0 岐阜工、準決勝:4-0 徳島商、決勝:5-0 古河一)
高校サッカー選手権
  • 1年時(1986年度・第65回):千葉県予選 優勝、全国大会 1回戦敗退(1回戦:0-5 国見
  • 2年時(1987年度・第66回):千葉県予選 優勝、全国大会 3位(ベスト4)(2回戦:1-0 高知、3回戦:3-0 作陽、準々決勝:1-0 旭、準決勝:1-2 東海大一)
  • 3年時(1988年度・第67回):千葉県予選 優勝、全国大会 準優勝&【大会優秀選手選出】(2回戦:2-1 和歌山工、3回戦:3-0 機山工、準々決勝:3-1 武南、準決勝:3-1 暁星、決勝:0-1 清水商)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1986年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1986年・山梨国体):千葉県選抜
  • 2年時(1987年・沖縄国体):千葉県選抜
  • 3年時(1988年・京都国体):千葉県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:U-19日本代表(日本ユース代表 / 1988年AFCユース選手権等)
  • 日本高校選抜:1989年選出(第67回大会優秀選手・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:千葉県選抜(国体少年の部出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

千葉市立緑が丘中学校時代から県内屈指の身体能力とスピードを誇るディフェンダーとして知られ、市立船橋高校進学後は1年生から全国大会のピッチを経験した。

高校2年時・3年時には千葉県選抜の主力として国民体育大会に出場。高校3年時の1988年には、高校総体連覇と選手権準優勝の原動力となった鉄壁のディフェンスが高く評価され、日本ユース代表(U-19日本代表)に選出されてアジアユース選手権などに出場した。さらに第67回全国高校選手権終了後には大会優秀選手として日本高校選抜に選出され、ヨーロッパ遠征に参加。屈強な海外選手に対しても鋭い出足とスピードで渡り合い、当時のユース年代屈指の本格派ストッパーとして全国にその名を轟かせた。

卒業後の進路

プロ・実業団

  • トヨタ自動車サッカー部(JSL / 1989年 – 1991年 / コニカカップ優勝等)
  • 名古屋グランパスエイト(J1 / 1992年 – 2000年 / 天皇杯優勝2回[1995年度、1999年度]、J1通算217試合6得点)
  • ※現役生活すべてを名古屋(トヨタ)で全うした「ワン・クラブ・マン」

日本代表

日本ユース代表

引退後の指導歴・役職

  • 名古屋グランパス 育成普及部コーチ(2001年 – 2005年)
  • 名古屋グランパス スカウト(2006年 – 2009年)
  • 名古屋グランパスU-18 監督(2010年 – 2011年)
  • アヴェントゥーラ埼玉 監督(2012年 – 2013年)
  • FC刈谷 監督(2014年 – 2015年)
  • wyvern(ワイヴァンFC)コーチ・監督(2021年 – 2022年、2024年 – 現在)

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後の1989年、日本サッカーリーグ(JSL)のトヨタ自動車サッカー部(現・名古屋グランパス)へ加入。加入当初はフォワード登録だったが、持ち前のスピードと強靭な対人守備力を買われて左サイドバックへとコンバートされた。

1992年のJリーグ発足後は名古屋グランパスエイトの創設期を支える主力選手として定着。名将アーセン・ヴェンゲル監督が指揮を執った1995年度の第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会では左サイドバックのレギュラーとしてクラブ史上初タイトルとなる天皇杯制覇に貢献し、1999年度の第79回天皇杯でも決勝で先発フル出場して2度目の優勝を果たした。J1通算217試合6得点を記録し、2000年シーズン限りで現役を引退。ひとつのクラブで現役生活を全うした「ワン・クラブ・マン」としてサポーターから深く愛された。

引退後は名古屋グランパスの育成普及部コーチやU-18監督、スカウトを務め、その後はアヴェントゥーラ埼玉、FC刈谷、wyvern(ワイヴァンFC)で監督を歴任し、情熱的な指導を続けている。




市立船橋(ヒーロー列伝)

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