中田浩二(帝京 東京都)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
182cmの恵まれた体格と、左足から放たれる正確無比な長短のキック、そして優れた戦術眼で名門・帝京高校の中盤に君臨した大型ボランチ。鳥取県米子市立後藤ヶ丘中学校時代は強力なストライカーとして名を馳せ、名門・帝京高校へ進学後にボランチへと本格転向した。中盤の底から繰り出す正確な展開力と高い守備力、冷静沈着なゲームコントロールによって頭角を現し、強豪の要としてチームを牽引した。
帝京高校では2年時の1996年、3年時の1997年と2年連続で全国高校総体(インターハイ)準優勝を達成。最上級生となった3年時には主将を務め、冬の第76回全国高校サッカー選手権大会でも快進撃を牽引した。1回戦の大社戦に4-0、2回戦の星稜戦に2-0、3回戦の奈良育英戦に1-1(PK6-5)、準々決勝の八千代戦に4-1、準決勝の藤枝東戦に2-0で勝利して決勝へ進出。降雪の中で行われた東福岡高校との「雪の決勝」では1-2で惜敗したものの、大会を通じて圧倒的な存在感を示して全国準優勝に輝き、大会優秀選手に選出された。
卒業後は1998年に鹿島アントラーズへ入団。同期の小笠原満男、本山雅志らとともに「黄金世代」として黄金期を築き、数々のタイトル獲得に貢献した。その後はフランスの名門オリンピック・マルセイユやスイスのFCバーゼルへ移籍し、欧州の舞台でも活躍。日本代表としても2002年日韓W杯(フラット3の左センターバックとして全4試合フル出場)、2006年ドイツW杯に出場するなど国際舞台で輝かしい実績を残した。引退後は鹿島アントラーズのフットボールダイレクターなどを務め、クラブ運営の第一線で活躍している。
所属
帝京高等学校(東京都)
生年月日
1979年7月9日
サイズ(身長・体重)
182cm / 74kg
ポジション
MF / DF(ボランチ、センターバック、左サイドバック)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):米子市立後藤ヶ丘中学校
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):横浜市立南戸塚小学校、米子市立義方小学校
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1995年度・第74回大会):東京都予選敗退(帝京は本大会出場を逃す)。
- 2年時(1996年度・第75回大会):東京都予選敗退(帝京は本大会出場を逃す)。
- 3年時(1997年度・第76回大会):全国準優勝。1回戦の大社戦に4-0、2回戦の星稜戦に2-0、3回戦の奈良育英戦に1-1(PK6-5)、準々決勝の八千代戦に4-1、準決勝の藤枝東戦に2-0と勝ち上がり、決勝で東福岡に1-2で惜敗。主将としてチームを牽引した。
- 個人表彰:大会優秀選手(大会得点王は東福岡の金古聖司・河村優)。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1995年):東京都予選敗退(帝京の全国出場記録なし)。
- 2年時(1996年・山梨総体):全国準優勝。決勝で清水商業(静岡)に1-3で敗戦。
- 3年時(1997年・京都総体):全国準優勝。決勝で東福岡(福岡)に3-4で敗戦。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1995年・第6回):全国ベスト4(関東地区予選を突破して本大会進出。準決勝で横浜マリノスユースに3-4で惜敗)。
- 2年時(1996年・第7回):関東地区予選敗退(本大会出場を逃す)。
- 3年時(1997年・第8回):関東地区予選敗退(本大会出場を逃す)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1995年)〜3年時(1997年):東京都選抜等の出場記録は確認できず。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:日本高校選抜(1998年)、U-18日本代表候補など(高校卒業後の1998年よりU-19日本代表、1999年ワールドユース準優勝)。
【高校時代の代表歴について】
中学時代に中国選抜として頭角を現した中田は、帝京高校進学後にボランチとしての才能を開花させ、世代屈指の大型MFとして注目を集めた。3年時の第76回高校選手権準優勝後は大会優秀選手に選出され、日本高校選抜の一員として欧州遠征等に参加。同学年には小野伸二、本山雅志、小笠原満男、高原直泰、稲本潤一ら錚々たるタレントが揃う「黄金世代(79年組)」の代表格として評価を確立した。
高校卒業後は即座に年代別日本代表の主力に定着し、1998年のAFCユース選手権準優勝、そして1999年FIFAワールドユース選手権(現U-20W杯)ではフィリップ・トルシエ監督により左センターバックへコンバートされ、主力として世界大会準優勝という歴史的快挙に大きく貢献した。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 鹿島アントラーズ(1998年〜2004年):J1リーグ優勝(1998年、2000年、2001年)、天皇杯優勝(2000年)、Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝(2000年、2002年)などを達成。
- オリンピック・マルセイユ(2005年〜2006年):フランス・リーグ・アンへ移籍。
- FCバーゼル(2006年〜2008年):スイス・スーパーリーグ優勝(2007-08)、スイス・カップ優勝(2006-07、2007-08)。
- 鹿島アントラーズ(2008年〜2014年):J1リーグ優勝(2008年、2009年)、天皇杯優勝(2010年)、ナビスコカップ優勝(2011年、2012年)などを経験し、2014年に現役引退。
- 通算成績:国内リーグ戦通算337試合36得点(J1通算266試合33得点、リーグ・アン9試合0得点、スイス・スーパーリーグ62試合3得点)。公式戦通算407試合47得点。
- タイトル:J1リーグ優勝5回、天皇杯優勝2回、ナビスコカップ優勝4回、スイス・スーパーリーグ優勝1回、スイス・カップ優勝2回など。
- 個人表彰:Jリーグベストイレブン(2001年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ57試合2得点(2000年〜2007年)。2000年2月5日のメキシコ戦でA代表デビュー。2000年シドニーオリンピック(ベスト8)、2001年FIFAコンフェデレーションズカップ(準優勝)、2002年FIFAワールドカップ日韓大会(全4試合先発フル出場・ベスト16進出)、2004年AFCアジアカップ(優勝・2得点)、2006年FIFAワールドカップドイツ大会出場。U-23日本代表として3試合0得点、U-20日本代表として7試合0得点(1999年ワールドユース準優勝)。
引退後の活動・指導歴・役職
引退後は鹿島アントラーズのクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)に就任し、クラブの事業面や普及活動をサポート。テレビのサッカー解説者としても活躍。2024年10月には鹿島アントラーズのフットボールダイレクターに就任した。
【卒業後のキャリアの総評】
1998年に名門・鹿島アントラーズに入団した中田は、高卒1年目から出場機会を掴み、ボランチやセンターバックとして抜群の守備能力と左足の展開力を発揮した。2000年にはJリーグ史上初となる国内3冠(J1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯)達成に大きく貢献し、黄金期の中心選手として君臨した。
日本代表ではフィリップ・トルシエ監督のもとでフラット3の左ストッパーとして重用され、2002年日韓W杯では全試合フル出場を果たして初の決勝トーナメント進出に貢献。2005年からはフランスの名門マルセイユ、スイスの強豪FCバーゼルへと渡り、バーゼルではセンターバックとして守備の要となりリーグ優勝とカップ戦連覇に貢献した。
2008年夏に鹿島へ復帰した後は、豊富な経験と高いユーティリティ性でチームを支え、リーグ3連覇の一翼を担った。引退後も鹿島アントラーズの幹部としてフットボールダイレクターを務めるなど、日本サッカー界の発展に尽力し続けている。


























