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村田 一弘(国見高校)高校サッカーヒーロー列伝

村田一弘_国見

村田 一弘(国見高校 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

182cmの長身と力強い突破力、泥臭く前線を走り抜く献身性を武器に、国見高校の全国初制覇を前線から牽引した「国見黄金期の大型ストライカー」。名将・小嶺忠敏監督の薫陶を受け、二宮浩、立石敬之、中尾幸太郎、吉田裕幸ら同期の精鋭たちと共に、国見高校サッカー部を全国の頂点へと押し上げた偉大な立役者である。

高校2年時の1986年には、二宮浩との強力2年生ツートップで夏の山口インターハイを制覇し、国見高校史上初となる全国制覇(初出場初優勝)を達成。冬の第65回全国高校サッカー選手権大会でも初出場ながら準優勝に輝いた。そして最上級生となった1987年度には、夏の北海道インターハイで準優勝を収めると、冬の第66回選手権では前線の核として躍動。準々決勝の南宇和戦で値千金の先制アシストを決めるなど貢献し、決勝では前年敗れた東海大一を1-0で破って悲願の選手権初優勝(全国制覇)を成し遂げ、大会優秀選手に選出された。

プロ入り後はセンターバックへと転向し、セレッソ大阪のJリーグ昇格や天皇杯準優勝に大きく貢献。引退後も指導者としてセレッソ大阪U-18で南野拓実らを育成するなど、名伯楽として育成・トップ両面で活躍を続けている。

所属チーム

長崎県立国見高等学校

生年月日

1969年5月12日

サイズ(身長・体重)

182cm / 75kg(※現役時)

ポジション

FW / DF / MF(高校時代はFW / プロ入り後はセンターバック、ボランチ)

出身チーム

  • 3種:長崎県内の中学校サッカー部(※詳細非公表)
  • 4種:長崎県内の少年サッカークラブ

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1985年度・第64回):長崎県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1986年度・第65回):長崎県予選 優勝、全国大会 準優勝!(1回戦:5-0 市立船橋、2回戦:3-1 盛岡商、3回戦:6-1 暁星、準々決勝:3-0 四日市中央工、準決勝:1-0 室蘭大谷、決勝:0-2 東海大一 / 2年生FWとして全試合先発出場)
  • 3年時(1987年度・第66回):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(国見高校史上初の選手権全国初制覇!)&【大会優秀選手選出】(2回戦:3-1 徳島市立、3回戦:2-0 広島工、準々決勝:2-1 南宇和[先制アシスト]、準決勝:3-1 四日市中央工、決勝:1-0 東海大一[前年の雪辱を果たし初優勝])
高校総体
  • 1年時(1985年度・山形総体):長崎県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1986年度・山口総体):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(国見高校史上初の全国初制覇・初出場初優勝!)
  • 3年時(1987年度・北海道総体):長崎県予選 優勝、全国大会 準優勝!(決勝:1-2 市立船橋)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1985年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1986年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1987年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1985年・鳥取国体):長崎県選抜
  • 2年時(1986年・山梨国体):長崎県選抜
  • 3年時(1987年・沖縄国体):長崎県選抜としてサッカー少年の部 出場




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:U-19日本代表(日本ユース代表)
  • 日本高校選抜:1988年選出(第66回大会優秀選手・欧州遠征参加)
  • 都道府県選抜:長崎県選抜(国体少年の部出場)
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

長崎県内でサッカーを始め、小嶺忠敏監督率いる国見高校へ進学。1年時から鍛え抜かれた強靭なフィジカルと走力を武器に頭角を現した。

高校2年時および3年時には長崎県選抜の主軸として国民体育大会に出場。高校総体優勝・準優勝、高校選手権優勝・準優勝という圧倒的な実績を前線から牽引し、同世代屈指の大型ストライカーとしてU-19日本代表(日本ユース代表)に選出された。さらに第66回全国高校サッカー選手権終了後には大会優秀選手として日本高校選抜に選出され、ヨーロッパ遠征に参加。海外の屈強なディフェンダーを相手にも激しいボディコンタクトと空中戦で対等に渡り合い、高い評価を得た。

卒業後の進路

大学

中央大学(1988年 – 1989年中退 / 家計を支えるため1年次で中退し帰郷)

プロ・社会人

  • 三菱重工長崎(九州社会人リーグ / 1989年 – 1992年 / 仕事とサッカーを両立)
  • ヤンマーディーゼル / セレッソ大阪(JFL・J1 / 1993年 – 1997年 / 1994年JFL優勝・J1昇格達成、1994年天皇杯準優勝貢献)
  • 大分FC / 大分トリニータ(旧JFL・J2 / 1998年 – 2000年 / 現役引退)
  • ※J1通算61試合出場、J2通算44試合1得点

日本代表

日本ユース代表

引退後の指導歴・役職

  • 大分トリニータ U-18コーチ、サテライトコーチ、U-18監督(2001年 – 2009年)
  • セレッソ大阪 U-18ヘッドコーチ、トップチームコーチ、ヘッドコーチ、U-23監督(2010年 – 2020年 / 南野拓実らを育成、Jユースカップ制覇)
  • ファジアーノ岡山 U-18監督、フットボール本部アドバイザー(2021年 – 2023年)
  • AS刈谷(FC刈谷) 監督、ヘッドコーチ(2024年 – 現在)
  • JFA Proライセンス(公認S級コーチライセンス)保持

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後の1988年、中央大学へ進学。大学ではセンターバックやボランチを務めて守備のユーティリティ性を開花させたが、1年次に父親が逝去したため大学を中退して故郷の長崎へ戻り、一度はサッカーから離れて就職した。しかし周囲の熱い後押しを受けてサッカーを再開し、九州社会人リーグの三菱重工長崎で仕事と両立しながらプレーを続けた。

国体等での活躍が評価され、小嶺監督の推薦もあってヤンマーディーゼルサッカー部(現・セレッソ大阪)のセレクションを受験。大型センターバックとして見出されて1993年に入団した。セレッソ大阪へと改称した1994年には、パウロ・エミリオ監督のもと守備の柱としてJFL優勝と悲願のJ1昇格に大きく貢献。同年の第74回天皇杯では準決勝・横浜マリノス戦で貴重な先制ゴールを挙げて決勝進出の立役者となった。1998年に大分FC(現・大分トリニータ)へ移籍し、J2参入初年度などを支えて2000年シーズン限りで現役を引退した。J1通算61試合出場、J2通算44試合1得点を記録した。

引退後は指導者の道へ進み、大分トリニータU-18監督を経てセレッソ大阪へ復帰。U-18ヘッドコーチ・監督として南野拓実をはじめ数多くのプロ選手を育成し、2014年にはトップチームヘッドコーチを務めた。その後セレッソ大阪U-23監督、ファジアーノ岡山U-18監督などを歴任し、2024年からはFC刈谷監督、AS刈谷ヘッドコーチを務めるなど、JFA公認S級(Pro)ライセンス保持者として情熱的な指導を続けている。




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