城 彰二(鹿児島実業高校 鹿児島県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
並外れた身体能力と跳躍力、貪欲にゴールを狙い続ける闘争心と華麗なゴールパフォーマンスで高校サッカー界に旋風を巻き起こした「野生の怪物ストライカー」。名将・松澤隆司監督率いる鹿児島実業高校において、1年生時からスター軍団の主力として国立のピッチに立ち、鹿実の全国的な人気と黄金期を確立した象徴的存在である。
高校1年時の第70回全国高校サッカー選手権大会では、2学年先輩の前園真聖らと共に3回戦で前年王者の清水商業を撃破するなど快進撃を見せて全国ベスト8に進出。最上級生となった高校3年時には、夏の栃木インターハイで全国準優勝、秋の第4回高円宮杯全日本ユース選手権でも全国準優勝を達成した。そして冬の第72回選手権では、3回戦の武南戦での決勝弾や準々決勝・神戸弘陵戦での2得点などチームを牽引し、準決勝では川口能活を擁する清水商業と死闘を演じて2-2からのPK戦の末に惜敗したものの、全国ベスト4進出を果たして大会優秀選手に輝いた。
高校卒業後はジェフユナイテッド市原へ加入し、デビュー戦から4試合連続ゴールという不滅のJリーグ記録を樹立。アトランタ五輪では主将としてブラジル撃破に貢献し、1998年フランスW杯ではエースナンバー「9」を背負って戦った日本サッカー史屈指のレジェンドである。
所属チーム
鹿児島実業高等学校
生年月日
1975年6月17日
サイズ(身長・体重)
179cm / 72kg(※現役時)
ポジション
FW
出身チーム
- 3種:姶良市立加治木中学校サッカー部(鹿児島県姶良郡加治木町 / ※中1時に名古屋市立日比野中学校へサッカー留学後、中2夏に加治木中へ転入)
- 4種:加治木サッカースポーツ少年団 / 姶良市立加治木小学校(鹿児島県姶良郡加治木町)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1991年度・第70回):鹿児島県予選 優勝、全国大会 ベスト8進出!(1回戦:2-1 韮崎、2回戦:2-0 桐蔭学園、3回戦:2-1 清水市商、準々決勝:0-1 帝京)
- 2年時(1992年度・第71回):鹿児島県予選 優勝、全国大会 3回戦進出(ベスト16)(2回戦:2-1 登別大谷、3回戦:0-1 武南)
- 3年時(1993年度・第72回):主将として鹿児島県予選 優勝(3年連続出場)、全国大会 3位(ベスト4進出!)&【大会優秀選手選出】(1回戦:3-0 盛岡商[城1得点]、2回戦:2-0 四日市中央工、3回戦:1-0 武南[城1得点]、準々決勝:2-0 神戸弘陵[城2得点]、準決勝:2-2 PK4-5 清水商[川口能活との名勝負])
高校総体
- 1年時(1991年度・静岡総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会 2回戦進出
- 2年時(1992年度・宮崎総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会 ベスト8進出
- 3年時(1993年度・栃木総体):鹿児島県予選 優勝、全国大会 準優勝!(1回戦:6-0 松江北、2回戦:1-0 藤沢西、3回戦:2-1 南宇和、準々決勝:3-1 水戸短大附、準決勝:4-1 清水商、決勝:1-2 国見)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1991年度・第2回):九州地区代表として出場、全国大会 1回戦敗退(1回戦:2-5 徳島市立)
- 2年時(1992年度・第3回):九州地区予選 敗退(全国大会不出場)
- 3年時(1993年度・第4回):九州地区代表として出場、全国大会 準優勝!(1回戦:4-0 名古屋グランパスエイトユース、2回戦:2-0 南宇和、準決勝:1-1 PK10-9 武南、決勝:0-0 延0-1 清水商)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1991年・石川国体):鹿児島県選抜
- 2年時(1992年・山形国体):鹿児島県選抜
- 3年時(1993年・東四国国体):鹿児島県選抜としてサッカー少年の部 出場
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-16日本代表、U-17日本代表、U-18日本代表、U-19日本代表
- 日本高校選抜:1992年選出(第70回大会後)、1994年選出(第72回大会優秀選手・欧州遠征参加)
- 都道府県選抜:鹿児島県選抜(国体少年の部出場)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
鹿児島県姶良郡加治木中学校時代に全国中学校サッカー大会で頭角を現し、鹿児島実業高校進学後は1年生からU-16、U-17日本代表に選出されるなど世代別代表のトップランナーとして注目された。
高校2年時・3年時には鹿児島県選抜の主軸として国民体育大会に出場。全国高校選手権での鮮烈な活躍により、1992年および1994年の2度にわたり日本高校選抜に選出されてヨーロッパ遠征に参加した。高校卒業後はU-23日本代表のエース兼キャプテンとして1996年アトランタ五輪に出場し、「マイアミの奇跡」と呼ばれる歴史的勝利に大きく貢献。日本代表(A代表)としても1997年フランスW杯アジア予選のイラン戦(ジョホールバルの歓喜)で値千金の同点ヘディング弾を叩き込み、1998年フランスW杯本大会では背番号9を着けてスタメン出場するなど、高校時代に培った抜群の跳躍力と野生的な得点感覚を世界の大舞台で遺憾なく発揮した。
卒業後の進路
プロ・国内
- ジェフユナイテッド市原(J1 / 1994年 – 1996年 / デビュー戦から4試合連続ゴール、ルーキーイヤー12得点)
- 横浜マリノス / 横浜F・マリノス(J1 / 1997年 – 1999年, 2000年 – 2001年 / 1998年J1年間25得点)
- ヴィッセル神戸(J1 / 2002年)
- 横浜FC(J2 / 2003年 – 2006年 / 2006年J2優勝・J1昇格達成・現役引退)
プロ・海外
レアル・バリャドリード(スペイン・ラ・リーガ / 2000年 / 日本人初のリーガ出場&2得点)
日本代表
- 国際Aマッチ 35試合7得点(1995年 – 2001年)
- アトランタ五輪日本代表(1996年 / キャプテンとして「マイアミの奇跡」でブラジル撃破)
- 1997年フランスW杯アジア最終予選(イランとの第3代表決定戦で同点ヘディングゴール「ジョホールバルの歓喜」)
- 1998年FIFAワールドカップ フランス大会(日本史上初のW杯で全3試合「背番号9」でスタメン出場)
引退後の活動・役職
- サッカー解説者(日本テレビ系、WOWOW等でW杯や高校サッカー選手権中継を担当)
- 日本サッカー協会アンバサダー / Jリーグ百年構想メッセンジャー
- JFA公認S級コーチライセンス取得(2010年)
- 北海道十勝スカイアース 統括ゼネラルマネージャー(2019年 – 現在)
- 公式YouTube「JOチャンネル」運営
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後の1994年、Jリーグのジェフユナイテッド市原へ加入。高卒ルーキーながら開幕戦でプロ初ゴールを決めると、そこから驚異の「4試合連続ゴール」を記録し、ルーキーイヤーに新人最多タイ(当時)となる12得点を叩き出して瞬く間にJリーグの若きスーパースターへと駆け上がった。
1997年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)へ移籍し、1998年にはJ1年間25得点をマーク。2000年1月にはスペイン・ラ・リーガのレアル・バリャドリードへ期限付き移籍し、日本人FWとして初めてリーガ・エスパニョーラのピッチに立ち、1試合2ゴールを決めるなど歴史の扉を開いた。その後ヴィッセル神戸を経て、2003年からはJ2の横浜FCでプレー。2006年にはキャプテンとしてクラブ史上初のJ2優勝・J1昇格を置き土産に現役を引退した。
引退後は日本テレビ系列のサッカー解説者としてW杯や五輪、高校サッカー中継で分かりやすく熱い解説を展開。日本サッカー協会アンバサダーを務めるほか、北海道十勝スカイアースの統括ゼネラルマネージャーとしてクラブ強化や地域活性化に尽力している。




















