目次
監督総評
上野山信行は、Jリーグ創設期にパナソニックガンバ大阪(現・ガンバ大阪)の初代ユース監督に就任し、のちにJリーグ随一と称される育成組織「ガンバ大阪アカデミー」の礎を築き上げた日本サッカー育成界の偉大なるパイオニアである。
ヤンマーディーゼルでの現役引退後、釜本邦茂が主宰する「釜本FC」で育成指導のキャリアをスタート。1992年にガンバ大阪ユースの初代監督に就任すると、当時の日本サッカー界では画期的だった「勝たせる指導者より、成長させる指導者であれ」「目先の勝利ではなく、トップで通用する技術と判断力の育成」を一貫して追求した。1992年の第16回全日本クラブユース選手権でチームを全国準優勝に導き、1994年の第2回Jユースカップでは宮本恒靖を主将に据えて全国初制覇を達成。1996年の第4回Jユースカップでも全国準優勝に導くなど、強豪クラブとしての地位をいち早く確立した。
監督退任後も育成・普及部長や取締役としてアカデミー全体を統括。宮本恒靖をはじめ、稲本潤一、新井場徹、橋本英郎、二川孝広、大黒将志、安田理大、家長昭博、宇佐美貴史など、日本代表やトップチームで時代を築く至宝を次々と輩出した。「ガンバユースの父」と称され、Jリーグ技術委員長としても日本サッカー全体の強化育成に多大なる足跡を残した名伯楽である。
基本情報
- 氏名:上野山 信行(うえのやま のぶゆき)
- 生年月日:1957年(昭和32年)5月26日
- 出身地:大阪府摂津市
- 出身校:大阪府立摂津高等学校
- 指導チーム:釜本FC、パナソニックガンバ大阪ユース/ガンバ大阪ユース、ガンバ大阪サテライト、カマタマーレ讃岐、アサンプション国際高等学校
- 役職:元・ガンバ大阪ユース 監督、元・ガンバ大阪 取締役 育成・普及部長、元・Jリーグ技術委員会 委員長、元・カマタマーレ讃岐 GM兼監督、JFA公認S級コーチ
指導歴
- 1987年:釜本FC ジュニアコーチ
- 1988年 – 1992年:釜本FC ジュニアユースコーチ
- 1992年 – 1996年:パナソニックガンバ大阪/ガンバ大阪 ユース監督(初代監督)
- 1997年:ガンバ大阪 強化部長
- 1998年 – 1999年:ガンバ大阪 サテライトコーチ
- 2000年:ガンバ大阪 育成担当部長
- 2000年 – 2007年:ガンバ大阪 育成・普及部長
- 2008年:ガンバ大阪 取締役 育成・普及部長
- 2009年 – 2013年:公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)技術委員会 委員長
- 2014年1月 – 2014年3月:ガンバ大阪 アカデミー本部・強化本部担当顧問
- 2014年4月 – 2017年:ガンバ大阪 取締役 アカデミー本部・強化本部担当
- 2017年 – 2019年:ガンバ大阪 取締役
- 2020年:カマタマーレ讃岐 GM
- 2021年:カマタマーレ讃岐 GM兼監督(2021年3月末まで)
- 2022年 – :アサンプション国際高等学校 サッカー部 監督
大会の戦績
Jユースカップ(Jリーグユース選手権大会)
監督通算主な戦績(優勝1回、準優勝1回)
| 年度 | チーム名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1993年 | ガンバ大阪ユース | 第1回Jリーグユース選手権大会(初出場) | ベスト8 | Jリーグユース選手権初年度大会で決勝トーナメント準々決勝進出 |
| 1994年 | ガンバ大阪ユース | 第2回Jリーグユース選手権大会(2回目) | 優勝 | 大会初制覇。主将・宮本恒靖を擁し全国の頂点に立つ |
| 1995年 | ガンバ大阪ユース | 第3回Jリーグユース選手権大会(3回目) | 出場 | 予選リーグを突破し決勝トーナメント進出 |
| 1996年 | ガンバ大阪ユース | 第4回Jリーグユース選手権大会(4回目) | 準優勝 | 決勝進出。決勝でヴェルディ川崎ユースに1-2で惜敗、全国準優勝 |
日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会
監督通算主な戦績(準優勝1回、3位1回)
| 年度 | チーム名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1992年 | 松下FC大阪ユース | 第16回全日本クラブユースサッカー選手権大会(初出場) | 準優勝 | ガンバ大阪の前身チームとして出場。決勝で読売日本SCユースに0-1で惜敗、全国準優勝 |
| 1993年 | パナソニックガンバ大阪ユース | 第17回全日本クラブユースサッカー選手権大会(2回目) | 出場 | Jリーグ開幕初年度、全国大会出場 |
| 1994年 | パナソニックガンバ大阪ユース | 第18回全日本クラブユースサッカー選手権大会(3回目) | 出場 | 全国大会グループステージ参戦 |
| 1995年 | パナソニックガンバ大阪ユース | 第19回全日本クラブユースサッカー選手権大会(4回目) | 3位(ベスト4) | 準決勝進出、全国3位の好成績を残す |
| 1996年 | ガンバ大阪ユース | 第20回全日本クラブユースサッカー選手権大会(5回目) | 出場 | 監督最終年度に5年連続全国大会出場 |
高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会(関西地域予選)
監督在任期間における地域予選推移
| 年度 | チーム名 | 大会名(出場回数) | 成績・結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1992年 | 松下FC大阪ユース | 第3回全日本ユース(U-18)選手権 関西地域予選 | 予選敗退 | 高校勢中心の地域枠を争う。※当時の予選詳細記録は公式アーカイブ未掲載のため概要記載 |
| 1993年 | パナソニックガンバ大阪ユース | 第4回全日本ユース(U-18)選手権 関西地域予選 | 予選敗退 | 関西地域予選敗退。全国出場枠獲得ならず |
| 1994年 | パナソニックガンバ大阪ユース | 第5回全日本ユース(U-18)選手権 関西地域予選 | 予選敗退 | 関西地域予選敗退 |
| 1995年 | パナソニックガンバ大阪ユース | 第6回全日本ユース(U-18)選手権 関西地域予選 | 予選敗退 | 関西地域予選敗退 |
| 1996年 | ガンバ大阪ユース | 第7回全日本ユース(U-18)選手権 関西地域予選 | 予選敗退 | 監督最終年度。関西予選敗退 |
(※上野山氏が育成担当部長・育成普及部長・取締役としてガンバ大阪アカデミー全体を統括した1997年〜2008年の期間には、ユースチームが日本クラブユース選手権優勝3回[1998年、2006年、2007年]、Jユースカップ優勝3回[2000年、2002年、2008年]、高円宮杯全日本ユース全国3位[1998年]を達成しています)
選手経歴・選手総評
選手総評
上野山信行の選手キャリアは、大阪府立摂津高校から日本サッカーリーグ(JSL)の強豪・ヤンマーディーゼルへと進み、激しい競り合いと長身を生かした堅守のセンターバックとして戦い抜いた10年間にあった。
地元・摂津高校時代に頭角を現し、高校卒業後の1976年に日本リーグの名門・ヤンマーディーゼルサッカー部へ入部。釜本邦茂をはじめとする日本代表のレジェンドたちが並ぶハイレベルな練習環境の中で揉まれ、181cmの恵まれた体格と的確なカバーリング能力、統率力を武器にトップチームの守備陣を支えた。日本サッカーリーグ(JSL)通算56試合に出場し2得点をマーク。1970年代から80年代の日本リーグ黄金期を最前線で体感した。
1985年に現役を引退。実業団トップリーグで培った「高い基準」「勝負の厳しさ」と、選手引退後に痛感した「世界と戦うための基本技術の重要性」が、のちの指導者人生における強烈な原動力となった。ピッチ上で自らが経験したトップレベルの駆け引きと守備の原理原則は、ガンバ大阪ユースにおいて宮本恒靖をはじめとする名センターバックやインテリジェンス溢れる選手たちを育てる指導理論の礎として結実した。
選手経歴
- 高校時代:大阪府立摂津高等学校 サッカー部
- 社会人時代:
- 1976年 – 1985年:ヤンマーディーゼルサッカー部(日本サッカーリーグ JSL 通算56試合出場2得点)
指導哲学・育成理論
上野山信行の指導哲学の中核にあるのは、「勝たせる指導者より、成長させる指導者であれ」という確固たる信念である。Jリーグ開幕当初、多くの育成組織が目先の大会での勝利や結果を追い求め、フィジカルに頼った戦術や画一的な指示に陥りがちであった時代に、上野山は「育成年代の指導者の使命は、チームを勝たせることではなく、トップチームや世界で息長く通用する選手を育てることにある」と一貫して主張した。
その指導法は、指導者がすべてを指示・命令するトップダウン型ではなく、ピッチ上で選手自身が状況を認知し、判断し、決断する「自立した選手」を育てるアプローチを徹底した。トレーニングではボールを止める・蹴るという基本技術の質を極限まで追求しつつ、「なぜそのプレーを選択したのか」を問いかける対話を重視。選手がミスを恐れて消極的なプレーを選択することを最も嫌い、プレッシャーのかかる実戦の中で自らの意思で仕掛け、局面を打開する技術と判断力の習得を求めた。この哲学はのちにガンバ大阪アカデミー全体の普遍的なDNAとなり、日本サッカー界の育成モデルに多大な影響を与えた。
戦術とチーム作りの特徴
上野山信行がガンバ大阪ユースおよびアカデミーで構築したサッカーの基盤は、「インテリジェンス」「ボールポゼッション」「主導権を握るサッカー」である。個々のフィジカル能力やロングボール頼みのサッカーを排し、ショートパスをテンポ良く繋ぎながら相手陣内に侵入していく攻撃的スタイルを確立した。その戦術的特徴は以下の通りである。
- ボールコントロールと視野の確保:次のプレーを予測し、相手のプレッシャーを受けない位置にボールを置く「ファーストタッチの質」を徹底。常に首を振り、ピッチ全体の状況を把握する認知能力を叩き込んだ。
- 適切な距離感と三角形の形成:ボール保持者に対して常に2つ以上のパスコース(サポートの角度と距離)を作り続けるポジショニングを習慣化させた。
- 守備における原理原則の徹底:ボールを奪われた瞬間の即時奪回(プレッシング)と、守備ブロックの連動性を重視。単に力で奪いに行くのではなく、パスコースを限定し、チーム全体で狙いを持ってボールを刈り取る組織守備を指導した。
この戦術的アプローチによって、のちにガンバ大阪トップチームがJリーグやACLを制覇する「攻撃的パスサッカー」の原点となる選手たちがアカデミーから続々と供給されることとなった。
主な教え子・輩出選手
上野山信行がガンバ大阪ユース監督および育成責任者(育成・普及部長/取締役)として関わり、育て上げた主なプロサッカー選手の一覧。
- 宮本恒靖(DF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース(ユース1期生) → ガンバ大阪 → レッドブル・ザルツブルク(オーストリア) → ヴィッセル神戸
- 実績:元日本代表主将(2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯出場)、元ガンバ大阪監督、第15代日本サッカー協会(JFA)会長。上野山監督がユース立ち上げ時に熱心に指導し、チームの絶対的リーダーとして育成。
- 稲本潤一(MF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → アーセナルFC(イングランド) → フラムFC → ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン → ガラタサライ(トルコ) → アイントラハト・フランクフルト(ドイツ) → レンヌ(フランス) → 川崎フロンターレ → 北海道コンサドーレ札幌 → SC相模原 → 南葛SC
- 実績:元日本代表(W杯3大会連続出場、日韓W杯2得点)。高校在学中に当時のJリーグ最年少出場・最年少得点記録を樹立。
- 新井場徹(DF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → 鹿島アントラーズ → セレッソ大阪
- 実績:元日本代表候補。高い戦術理解度と正確な左足のキックを武器に鹿島アントラーズでリーグ3連覇に大きく貢献。
- 橋本英郎(MF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → ヴィッセル神戸 → セレッソ大阪 → AC長野パルセイロ → 東京ヴェルディ → FC今治 → おこしやす京都AC
- 実績:元日本代表。ガンバ大阪黄金期の中盤を支え、遠藤保仁、明神智和、二川孝広とともに構成した「黄金の中盤」の一角としてACL優勝やJリーグ制覇に貢献。
- 二川孝広(MF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → 東京ヴェルディ → 栃木SC → FCティアモ枚方
- 実績:元日本代表。卓越したボールタッチとキラーパスでファンを魅了したガンバ大阪のバンディエラ。J1通算400試合以上出場。
- 大黒将志(FW)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → コンサドーレ札幌 → グルノーブル(フランス) → トリノFC(イタリア) → 東京ヴェルディ → 横浜F・マリノス → 杭州緑城(中国) → 京都サンガF.C. → モンテディオ山形 → 栃木SC
- 実績:元日本代表(2006年ドイツW杯出場、アジア最終予選北朝鮮戦での劇的ゴール)。Jリーグ屈指のラインブレイカー。
- 丹羽大輝(DF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → 徳島ヴォルティス → 大宮アルディージャ → アビスパ福岡 → FC東京 → セスタオ・リーベル(スペイン) → アレナス・クルブ・デ・ゲチョ(スペイン)
- 実績:元日本代表。闘志あふれるディフェンスとコーチングで守備陣を牽引したセンターバック。
- 寺田紳一(MF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → 横浜FC → おこしやす京都AC
- 実績:元U-20日本代表(2005年ワールドユース出場)。高いテクニックと切れ味鋭いドリブル突破力を誇るアタッカー。
- 家長昭博(MF/FW)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → 大分トリニータ → セレッソ大阪 → RCDマジョルカ(スペイン) → 蔚山現代(韓国) → 大宮アルディージャ → 川崎フロンターレ
- 実績:元日本代表、Jリーグ最優秀選手賞(MVP)。高校生時代から圧倒的なキープ力と創造性で注目を集めた天才肌のMF。
- 安田理大(DF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → フィテッセ(オランダ) → ジュビロ磐田 → サガン鳥栖 → 名古屋グランパス → アルビレックス新潟 → ジェフユナイテッド千葉 → 松本山雅FC
- 実績:元日本代表、北京五輪代表。爆発的な走力と果敢な攻撃参加で2008年ACL制覇・大会MVPを獲得。
- 倉田秋(MF)
- 経歴:ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → ジェフユナイテッド千葉 → セレッソ大阪 → ガンバ大阪
- 実績:元日本代表。豊富な運動量と高い得点感覚を兼ね備え、ガンバ大阪の背番号10を背負う主力として長年活躍。
- 宇佐美貴史(FW/MF)
- 経歴:ガンバ大阪ジュニアユース → ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → FCバイエルン・ミュンヘン(ドイツ) → TSG1899ホッフェンハイム(ドイツ) → FCアウクスブルク(ドイツ) → フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ) → ガンバ大阪
- 実績:元日本代表(2018年ロシアW杯出場)。ガンバ史上屈指の才能と称され、高校2年生でトップデビュー。上野山氏が統括したアカデミー組織が生んだ最高傑作の一人。
名言・エピソード
- 「勝たせるコーチより、成長させるコーチ」
上野山信行が育成現場で最も口にし続けた言葉。目先の大会結果や勝利を優先して選手を型にはめる指導者を戒め、「指導者が評価されるべきは大会の優勝回数ではなく、どれだけ多くの選手をトップチームや日本代表に送り出し、息の長いプロサッカー選手に育て上げたかである」と説き続けた。 - 宮本恒靖の進路選択における説得
宮本恒靖が中学卒業時、伝統ある名門高校サッカー部への進学とガンバ大阪ユースへの昇格との間で真剣に悩んでいた際、上野山は「これから日本のサッカーを変えるのはプロの育成組織だ。世界基準の環境と指導で、必ず日本を代表する選手に育ててみせる」と熱心にビジョンを語りかけた。その熱意に応えてユースを選んだ宮本は、のちに日本代表の主将としてW杯を戦い、現在はJFA会長として日本サッカー界を統括するリーダーへと成長した。 - 稲本潤一の才能を見出し、最年少デビューを後押し
稲本潤一が中学生年代のときからその卓越した体幹とダイナミックな展開力に注目。飛び級での起用やサテライトチームでの実戦経験を積極的に積ませ、17歳6か月という当時のJリーグ史上最年少デビューへと導く育成プランを敷いた。 - Jリーグ技術委員長としての改革断行
2009年にJリーグ技術委員長に就任した際、「日本のユース年代にはヨーロッパのような天然芝・人工芝の専用グラウンドと、専任コーチの環境が決定的に不足している」と指摘。各クラブに対して育成組織の施設充実やアカデミー指導者の待遇改善を働きかけ、日本全国のJクラブが育成投資を加速させる契機を作った。
日本サッカー界への功績と影響
上野山信行が日本サッカー界に残した最大の功績は、「高校サッカー部が圧倒的主流であった日本において、Jリーグクラブの育成組織(アカデミー)という新たな育成モデルを確立・成功させたこと」にある。
Jリーグ創設期、多くのJクラブがトップチームの戦力補強に追われ、下部組織の整備が後回しにされていた中で、上野山はガンバ大阪においていち早くジュニア・ジュニアユース・ユースからトップチームへと直結する一貫指導体制を整備した。その結果、ガンバ大阪ユースは全国屈指の強豪へと成長しただけでなく、トップチームの主軸となる生え抜き選手を次々と輩出。2000年代中盤から2010年代にかけてガンバ大阪がJ1優勝、天皇杯制覇、ACL制覇を成し遂げた黄金期の主力の多くは、上野山が築いたアカデミーの出身者で占められていた。
さらに、上野山が育てた選手たちは選手としてピッチで輝いただけにとどまらず、宮本恒靖(現JFA会長)をはじめとして、引退後に指導者や日本サッカー界の要職に就く人材を多く生み出している。「人を育てる」という上野山の信念は、選手個人の技術向上にとどまらず、日本サッカー界の将来を支える強固な知的財産として今なお受け継がれている。






















