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平野 孝(清水商業高校)高校サッカーヒーロー列伝

平野孝_清水商業

平野 孝(清水商業高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

爆発的なスプリント能力と、地を這うような強烈無比の左足キックで観衆を沸かせ、1998年フランスW杯にも出場した日本屈指のアタッカー。名門・清水市立商業高校(清水商)に進学すると、1年生時からその圧倒的なスピードと左足のパンチ力を買われ、名波浩、山田隆裕、大岩剛、望月重良らが揃う最強チームで背番号16を託された。

高校時代は、1年時の1990年度に宮城総体優勝と第2回全日本ユース選手権制覇、福岡国体優勝の全国3冠を経験。2年時の1991年度には鋭いサイドアタックを武器に主力WG(ウイング)として定着し、激戦の静岡県予選決勝・浜名高校戦では決勝ゴールとなるCKをアシストして優勝に貢献。第70回全国高校サッカー選手権の舞台でも眩い輝きを放った。3年時の1992年度にはU-19日本代表(日本ユース代表)としてAFCユース選手権1992に出場し、世界水準の左サイドアタッカーとして全国にその名を轟かせた。

卒業後は名門・名古屋グランパスエイトへ加入し、アーセン・ヴェンゲル監督のもとストイコビッチらと躍動。1998年フランスW杯では2試合に出場した。晩年は北米バンクーバーでもタイトルを獲得し、引退後もJクラブの強化責任者として手腕を振るっている。

所属チーム

清水市立商業高等学校(現・静岡市立清水桜が丘高等学校)

生年月日

1974年7月15日

サイズ(身長・体重)

180cm / 73kg(※現役時)

ポジション

MF / FW(左ウイング / 左サイドハーフ / 左サイドバック / フォワード)

出身チーム

  • 3種:清水市立飯田中学校サッカー部(静岡県清水市)
  • 4種:静岡市内小学校 / 清水FC

出場大会

高校

高校サッカー選手権
  • 1年時(1990年度・第69回):高校総体連覇&全日本ユース2連覇等の実績により推薦枠(県予選免除)で出場、全国大会 3回戦進出(※背番号16として登録メンバー入り)
  • 2年時(1991年度・第70回):静岡県予選 優勝(決勝:1-0 浜名高校 / 決勝点となるCKをアシスト)、全国大会 3回戦進出(1回戦:シード、2回戦:3-1 高松商業、3回戦:1-2 鹿児島実業高校)
  • 3年時(1992年度・第71回):静岡県予選 決勝トーナメント1回戦敗退(1-3 藤枝東高校 / 全国大会不出場、静岡県代表は静岡学園高校)
高校総体
  • 1年時(1990年度・宮城総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・大会連覇達成!)(※1年生登録メンバー、決勝:1-0 南宇和高校)
  • 2年時(1991年度・静岡総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場 / 静岡県代表は清水東高校、東海大一高校。全国優勝は清水東高校)
  • 3年時(1992年度・宮崎総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場 / 静岡県代表は清水東高校、全国優勝は徳島市立高校)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1990年度・第2回):東海地区代表、全国大会 優勝(全国制覇・大会2連覇達成!)
  • 2年時(1991年度・第3回):東海地区予選敗退(全国大会不出場)
  • 3年時(1992年度・第4回):東海地区予選敗退(全国大会不出場 / 全国優勝は徳島市立高校)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1990年・福岡国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝(全国制覇!)
  • 2年時(1991年・石川国体):静岡県選抜
  • 3年時(1992年・山形国体):静岡県選抜




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:U-19日本代表(1992年AFCユース選手権 第3位)
  • 都道府県選抜:静岡県選抜(1990年福岡国体少年の部 全国優勝
  • 日本高校選抜・Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

静岡県清水市出身。清水市立飯田中学校を経て清水市立商業高校へ進学。大瀧雅良監督のもと、卓越したスピードと高精度の左足クロス、強烈なミドルシュートに磨きをかけ、1年時から超高校級タレントがひしめく清商のトップチームに抜擢された。

高校1年時には静岡県選抜として福岡国体に出場し全国制覇を達成。高校3年時の1992年にはU-19日本代表(日本ユース代表)に選出され、UAEで開催されたAFCユース選手権1992に出場。アジアの強豪を相手にサイドアタックの切り込み隊長として躍動し、チームの第3位入賞に大きく貢献した。超高校級レフティとしてJリーグ各クラブから熱烈な争奪戦が繰り広げられた。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • 名古屋グランパスエイト(J1 / 1993年 – 2000年 / 天皇杯優勝2回[1995, 1999]
  • 京都パープルサンガ(J1 / 2000年 – 2001年)
  • ジュビロ磐田(J1 / 2001年 / 期限付き移籍)
  • ヴィッセル神戸(J1 / 2002年)
  • 東京ヴェルディ1969(J1 / 2003年 – 2005年 / 2004年度天皇杯優勝
  • 横浜F・マリノス(J1 / 2006年)
  • 大宮アルディージャ(J1 / 2007年 / Jリーグ通算350試合出場達成)
  • バンクーバー・ホワイトキャップス(北米USL / 2008年 – 2010年 / 2008年USL1部優勝・年間ベストイレブン、2011年1月現役引退)
  • J1通算352試合54得点

日本代表

国際Aマッチ 15試合4得点(1997年 – 2000年 / 1998年FIFAワールドカップ・フランス大会出場[アルゼンチン戦、クロアチア戦に出場]

引退後の活動・指導歴・役職

  • サッカー解説者・タレント
  • ヴィッセル神戸 アカデミー部部長兼スカウト部部長、スポーツダイレクター、アシスタントコーチ(2018年 – 2022年 / 2019年度天皇杯初優勝・クラブ強化)
  • SC相模原 スポーツダイレクター(2024年 – 現在)

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後の1993年、Jリーグ開幕に合わせて名古屋グランパスエイトへ加入。名将アーセン・ヴェンゲル監督のもと、ストイコビッチやデュリックスら世界的名手と共に左サイドのアタッカーとして定着し、1995年度および1999年度の天皇杯優勝に大きく貢献した。

1997年には加茂周監督率いる日本代表(A代表)に初選出。翌1998年には岡田武史監督のもと、日本が初出場を果たした1998 FIFAワールドカップ・フランス大会の登録メンバーに選出され、グループステージのアルゼンチン戦とクロアチア戦の2試合に途中出場した。国際Aマッチ通算15試合4得点を記録した。

国内では名古屋、京都パープルサンガ、ジュビロ磐田、ヴィッセル神戸、東京ヴェルディ1969(2004年度天皇杯優勝)、横浜F・マリノス、大宮アルディージャと渡り歩き、サイドハーフだけでなくボランチや左サイドバックとしても高いユーティリティ性を発揮。Jリーグ通算352試合に出場した。2008年からは北米USLのバンクーバー・ホワイトキャップスへ移籍し、初年度にリーグ制覇と年間ベストイレブンに輝くなど活躍。2011年1月に現役引退を発表した。

引退後はサッカー解説者として活動したほか、ヴィッセル神戸のスポーツダイレクターやアシスタントコーチ、SC相模原のスポーツダイレクターを歴任し、クラブ運営や後進育成に尽力している。




清水商業(ヒーロー列伝)