大岩 剛(清水商業高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
高い戦術眼と対人守備の強さ、左サイドバックおよびセンターバックとして抜群の安定感を誇り、選手・指導者双方でアジアの頂点に立った名将。名将・大瀧雅良監督率いる清水市立商業高校(清水商)に進学すると、1年生時から能力を高く評価され、背番号4をつけて第67回全国高校サッカー選手権で全国制覇を経験。1年生ながら大会優秀選手に選出されるという鮮烈な全国デビューを飾った。
2年生となった1989年度には左サイドバックの定位置を不動のものとし、夏の高知総体で清水商業史上初となるインターハイ全国優勝を達成。同年秋に新設された第1回全日本ユース選手権でも初代王者に輝いた。最上級生となった1990年度には、名波浩、山田隆裕、薩川了洋らと共に「高校サッカー史上最強世代」の主力として君臨。夏の宮城総体で大会2連覇、秋の第2回全日本ユース選手権でも大会連覇を飾り、福岡国体でも静岡県選抜として全国制覇を達成した。
高校3年時の冬には、名波と共にU-19日本代表(アジアユース選手権)へ招集されたため静岡県予選が免除(推薦出場)となり、第69回全国選手権に出場。3回戦でPK戦の末に惜敗したものの、自身2度目となる大会優秀選手に輝いた。筑波大学を経て名古屋、磐田、鹿島でタイトルを総なめにし、指導者としても2018年ACL制覇や2024年パリオリンピック8強進出を果たすなど、日本サッカー界を牽引し続けている。
所属チーム
清水市立商業高等学校(現・静岡市立清水桜が丘高等学校)
生年月日
1972年6月23日
サイズ(身長・体重)
180cm / 75kg(※現役時)
ポジション
DF(左サイドバック / センターバック)
出身チーム
- 3種:清水市立第五中学校サッカー部(静岡県清水市)
- 4種:清水市立三保第二小学校サッカー少年団 / 清水FC
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1988年度・第67回):静岡県予選 優勝(決勝:2-1 清水東高校)、全国大会 優勝(全国制覇・日本一!)
※背番号4として登録メンバー入りし全国制覇に貢献。1年生ながら大会優秀選手に選出!(決勝:1-0 市立船橋高校) - 2年時(1989年度・第68回):静岡県予選 準決勝敗退(0-0 PK戦で清水東高校に惜敗 / 全国大会不出場)
- 3年時(1990年度・第69回):静岡県予選 免除(推薦枠で全国大会出場)
※名波浩、大岩剛が11月のAFCユース選手権(インドネシア開催・U-19日本代表)に出場したため県予選日程と重複し、県予選免除・推薦枠が適用。
全国大会 3回戦進出(1回戦:6-0 佐賀学園、2回戦:2-1 市立船橋、3回戦:1-1[PK 3-4] 大宮東高校)
個人表彰:大会優秀選手に選出!(※1年時の第67回大会に続き、出場した両大会で優秀選手選出)
高校総体
- 1年時(1988年度・山形総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場 / 静岡県代表は東海大一高校、全国優勝は市立船橋高校)
- 2年時(1989年度・高知総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・初優勝!)
※先発左サイドバックとして出場し、決勝の大宮東高校戦(6-2)をはじめ全試合で堅守を支え全国初制覇に貢献。 - 3年時(1990年度・宮城総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・大会2連覇達成!)
※主力左サイドバックとして出場し、決勝の南宇和高校戦(1-0)を完封してインターハイ連覇を達成。
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1988年度):該当なし(※大会創設前)
- 2年時(1989年度・第1回):東海地区代表、全国大会 優勝(全国制覇・初代チャンピオン!)
- 3年時(1990年度・第2回):東海地区代表、全国大会 優勝(全国制覇・大会2連覇達成!)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1988年・京都国体):静岡県選抜
- 2年時(1989年・北海道国体):静岡県選抜
- 3年時(1990年・福岡国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝(全国制覇!)
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-19日本代表(1990年AFCユース選手権・インドネシア大会出場)
- 日本高校選抜:1991年選出(ヨーロッパ遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(1990年福岡国体少年の部 全国優勝)
- 個人表彰:
・第67回全国高校サッカー選手権 大会優秀選手(1988年度・1年時)
・第69回全国高校サッカー選手権 大会優秀選手(1990年度・3年時) - Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
静岡県清水市出身。三保第二小学校、清水FC、清水第五中学校を経て清水商業高校へ進学。1年生時から大瀧雅良監督にその高い戦術眼と守備力を認められ、第67回全国高校選手権で優勝を経験し1年生にして大会優秀選手に選出された。
高校2年・3年時には全国高校総体連覇、全日本ユース連覇、福岡国体優勝の立役者となり、高校3年時の1990年には名波浩と共にU-19日本代表としてAFCユース選手権に出場。この代表遠征のため第69回選手権の静岡県予選は免除となった。全国大会敗退後も第69回大会優秀選手および日本高校選抜に選出されヨーロッパ遠征に参加。攻守に高い判断力と統率力を備えた超高校級DFとして、高校サッカー界に不滅の足跡を残した。
卒業後の進路
大学
筑波大学蹴球部(1991年 – 1994年 / 関東大学リーグ優勝、全日本大学選手権優勝、ユニバーシアード日本代表選出)
プロ・社会人
- 名古屋グランパスエイト(J1 / 1995年 – 2000年 / 天皇杯優勝2回[1995, 1999]、アーセン・ヴェンゲル監督のもとレギュラー)
- ジュビロ磐田(J1 / 2000年 – 2002年 / 2002年J1完全優勝[N-BOXシステム]、2001年Jリーグベストイレブン)
- 鹿島アントラーズ(J1 / 2003年 – 2010年 / 史上初のJ1・3連覇[2007-2009]、キャプテンとして常勝軍団を牽引、2010年現役引退)
- J1通算386試合10得点
日本代表
国際Aマッチ 3試合0得点(2000年)
引退後の指導歴・役職
- 鹿島アントラーズ コーチ、監督(2011年 – 2019年 / 2018年AFCチャンピオンズリーグ初優勝、2018年AFC年間最優秀監督賞受賞)
- JFAナショナルコーチングスタッフ / U-18日本代表監督(2021年)
- U-23日本代表 監督(2022年 – 2024年 / AFC U23アジアカップ2024優勝、2024パリオリンピック ベスト8進出)
- 日本代表(A代表)コーチ兼任 / U-21日本代表監督(2028年ロサンゼルス五輪へ向けて指揮継続)
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後の1991年、名門・筑波大学へ進学。大学屈指のセンターバックとして全日本大学選手権優勝などに貢献した。
1995年に名古屋グランパスエイトへ加入。名将アーセン・ヴェンゲル監督のもとでルーキーイヤーから定位置を掴み、天皇杯優勝に貢献。2000年夏にジュビロ磐田へ移籍し、黄金期の「N-BOX」を最後尾から支えて2001年Jリーグベストイレブン選出、2002年のJ1完全優勝に寄与した。2003年からは鹿島アントラーズへ移籍し、キャプテンとしてJリーグ史上初となるJ1・3連覇(2007〜2009年)の偉業を達成。J1通算386試合に出場し、2010年に現役を引退した。
引退後は鹿島のコーチを経て2017年に監督へ昇格。2018年にはクラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝をもたらし、アジア年間最優秀監督賞を受賞した。2021年からは年代別日本代表の指揮を執り、U-23日本代表監督として2024年のAFC U23アジアカップを制覇。同年のパリオリンピックではチームを準々決勝(ベスト8)進出へと導いた。現在も若き日本代表を率いる名将として、日本サッカー界の中枢で重責を担っている。























