望月 重良(清水商業高校 静岡県)高校サッカーヒーロー列伝
総評
無尽蔵のスタミナとダイナミックな推進力、攻守の局面を一変させる高い戦術眼を備え、日本代表としてアジアカップ優勝決定ゴールを決めるなど勝負強さを誇った名ボランチ。名門・清水市立商業高校(清水商)に進学すると、1年生時から名将・大瀧雅良監督によってレギュラーに大抜擢。名波浩、山田隆裕、大岩剛ら錚々たる1学年上のスター軍団と共に中盤を構成し、「高校サッカー史上最強」と称された黄金世代の心臓部として君臨した。
高校時代はタイトル獲得の嵐であり、1年時の1989年度には高校総体初優勝と第1回全日本ユース選手権制覇の夏秋2冠を達成。2年時の1990年度にも夏の宮城総体で大会連覇を飾り、秋の第2回全日本ユース選手権連覇、福岡国体優勝と合わせて全国3冠を成し遂げた。最上級生となった1991年度にはキャプテン(主将)に就任し、激戦の静岡県予選を突破して第70回全国高校サッカー選手権に出場。攻守の絶対的支柱としてチームを力強く牽引した。
筑波大学を経て名古屋グランパスエイトへ加入し、名将アーセン・ヴェンゲルの薫陶を受け主力として活躍。日本代表でも2000年アジアカップ決勝で歴史的決勝点を挙げた。引退後は自らSC相模原をゼロから立ち上げ、クラブをJリーグへと導いた稀代のリーダーである。
所属チーム
清水市立商業高等学校(現・静岡市立清水桜が丘高等学校)
生年月日
1973年7月9日
サイズ(身長・体重)
176cm / 73kg(※現役時)
ポジション
MF(ボランチ / センターハーフ / 右サイドハーフ)
出身チーム
- 3種:清水市立第一中学校サッカー部(静岡県清水市)
- 4種:清水市立庵原小学校 / 清水FC(全日本少年サッカー大会優勝)
出場大会
高校
高校サッカー選手権
- 1年時(1989年度・第68回):静岡県予選 準決勝敗退(全国大会不出場 / 清水東高校に0-0 PK戦で惜敗)
- 2年時(1990年度・第69回):高校総体連覇&全日本ユース2連覇等の実績により推薦枠(県予選免除)で出場、全国大会 3回戦進出(1回戦:6-0 佐賀学園、2回戦:2-1 市立船橋、3回戦:1-1[PK 3-4] 大宮東高校)
- 3年時(1991年度・第70回):キャプテン(主将)として静岡県予選 優勝(決勝:1-0 浜名高校)、全国大会 3回戦進出(1回戦:シード、2回戦:3-1 高松商業、3回戦:1-2 鹿児島実業高校)
高校総体
- 1年時(1989年度・高知総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・初優勝!)(決勝:6-2 大宮東高校)
- 2年時(1990年度・宮城総体):静岡県予選 優勝、全国大会 優勝(全国制覇・大会2連覇達成!)(決勝:1-0 南宇和高校)
- 3年時(1991年度・静岡総体):静岡県予選 敗退(全国大会不出場 / 静岡県代表は清水東高校、東海大一高校。全国優勝は清水東高校)
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1989年度・第1回):東海地区代表、全国大会 優勝(全国制覇・初代チャンピオン!)
- 2年時(1990年度・第2回):東海地区代表、全国大会 優勝(全国制覇・大会2連覇達成!)
- 3年時(1991年度・第3回):東海地区予選敗退(全国大会不出場 / 全国優勝は徳島市立高校)
国民体育大会(国体)
- 1年時(1989年・北海道国体):静岡県選抜
- 2年時(1990年・福岡国体):静岡県選抜としてサッカー少年の部 優勝(全国制覇!)
- 3年時(1991年・石川国体):静岡県選抜
代表歴
高校時代の代表・選抜歴
- 世代別日本代表:U-19日本代表(日本ユース代表)
- 日本高校選抜:1992年選出(ヨーロッパ遠征参加)
- 都道府県選抜:静岡県選抜(1990年福岡国体少年の部 全国優勝)
- 個人表彰:第70回全国高校サッカー選手権 静岡県予選 優秀選手(1991年)
- Jリーグ選抜:該当なし
高校時代の代表歴について
静岡県清水市出身。清水市立庵原小学校3年時から選抜チーム・清水FCに選ばれて全国優勝を経験し、清水市立第一中学校を経て名門・清水商業高校へ進学。大瀧雅良監督のもと、1年生時から先輩の名波浩や山田隆裕らと共にピッチに立ち、攻守両面で類まれなセンスを磨いた。
高校2年時には静岡県選抜の中心として福岡国体で全国優勝を達成。同年からU-19日本代表(日本ユース代表)に選出され、国際舞台を経験した。高校3年時には主将として第70回全国高校サッカー選手権出場に導き、大会終了後には日本高校選抜に選出されてヨーロッパ遠征に参加。海外の強豪ユースチーム相手に堂々たるプレーを披露し、大学サッカー界やプロスカウトから熱烈な注目を集める存在となった。
卒業後の進路
大学
筑波大学蹴球部(1992年 – 1995年 / 関東大学リーグ優勝、全日本大学サッカー選手権優勝、1995年ユニバーシアード福岡大会金メダル獲得)
プロ・社会人
- 名古屋グランパスエイト(J1 / 1996年 – 2000年 / 1999年度天皇杯優勝、アーセン・ヴェンゲル監督のもと主力として活躍)
- 京都パープルサンガ(J1 / 2000年)
- ヴィッセル神戸(J1 / 2001年 – 2002年)
- ジェフユナイテッド市原(J1 / 2003年 – 2004年 / イビチャ・オシム監督のもとプレー)
- ベガルタ仙台(J2 / 2004年 / 期限付き移籍)
- 横浜FC(J2 / 2005年 – 2006年 / 2006年J2優勝・J1昇格貢献、2006年現役引退)
- J1通算205試合19得点、J2通算40試合1得点
日本代表
国際Aマッチ 15試合1得点(1997年 – 2001年 / 2000年AFCアジアカップレバノン大会 決勝サウジアラビア戦で優勝決定ゴールを記録)
引退後・現在の活動
- SC相模原 創設者・元代表・元会長(2008年にゼロからクラブを立ち上げ、JFL・J3・J2昇格へと牽引)
- 株式会社INTERNATIONAL SPORTS CLUB 代表取締役
- 実業家・サッカースクール運営
卒業後のキャリアの総評
高校卒業後の1992年、名門・筑波大学へ進学。中心選手として関東大学リーグ優勝や全日本大学サッカー選手権などで活躍し、1995年ユニバーシアード福岡大会では日本代表の金メダル獲得に大きく貢献した。
大学卒業後の1996年、Jリーグの名古屋グランパスエイトへ加入。名将アーセン・ヴェンゲル監督のもと、加入1年目からレギュラーを獲得。ドラガン・ストイコビッチら世界的名手と共にチームの黄金期を支え、1999年度天皇杯優勝などに貢献した。その後、京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸、ジェフユナイテッド市原、ベガルタ仙台、横浜FCでプレー。2006年には横浜FCのJ2優勝・J1昇格に貢献し、同年に現役を引退した。J1通算205試合19得点を記録した。
日本代表としては国際Aマッチ通算15試合1得点。フィリップ・トルシエ体制下の2000年AFCアジアカップ(レバノン大会)決勝・サウジアラビア戦では、日本をアジア王者に導く歴史的な決勝ボレーシュートを決めた。
引退後の2008年、自らクラブチーム「SC相模原」を創設。代表兼オーナーとして神奈川県社会人リーグからJ3、J2昇格へとクラブを育て上げ、現在は実業家・育成活動など幅広く尽力している。
























