高校・クラブユースのチーム紹介ページ▼

古島 清人(国見高校)高校サッカーヒーロー列伝

古島清人_国見

古島 清人(国見高校 長崎県)高校サッカーヒーロー列伝

総評

187cmの恵まれた体格と長いリーチ、強靭なフィジカルを誇り、国見高校サッカー部の創成期を支えた「国見の初代背番号1」。名将・小嶺忠敏監督が島原商業から国見高校へ赴任した1984年に1期生として入学し、過酷を極めた猛練習を耐え抜いて全国屈指の強豪へと駆け上がる礎を築いた。

高校2年時の1985年には山形インターハイ初出場と鳥取国体優勝を経験。高校3年時の1986年には、夏の山口インターハイで国見高校史上初となる全国制覇(初出場初優勝)を達成した。冬の第65回全国高校サッカー選手権大会では栄光の「背番号1」を背負って登録されたものの、チーム内での激しいポジション争いの末、本大会では同級生の林晃行が正GKを務め、古島は控えGKとしてベンチからチームを鼓舞し続けた。ピッチ内外で仲間を支え、初出場での全国準優勝に大きく貢献した。

高校卒業後は日本サッカーリーグのフジタ(現・湘南ベルマーレ)へ進み、プロの世界で才能を開花。元日本代表の小島伸幸と激しい正GK争いを演じ、JFL優勝や天皇杯優勝、J1昇格に貢献した。引退後も数々のJクラブでGKコーチを歴任し、名伯楽として育成に尽力している。

所属チーム

長崎県立国見高等学校

生年月日

1968年4月3日

サイズ(身長・体重)

187cm / 79kg(※現役時)

ポジション

GK

出身チーム

  • 3種:八代市立第四中学校サッカー部(熊本県八代市)
  • 4種:熊本県八代市内の少年サッカークラブ

出場大会

高校

高校総体
  • 1年時(1984年度・秋田総体):長崎県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1985年度・山形総体):長崎県予選 優勝、全国大会 出場(国見高校史上初のインターハイ初出場!)
  • 3年時(1986年度・山口総体):長崎県予選 優勝、全国大会 優勝(国見高校史上初の全国初制覇・初出場初優勝!)
高校サッカー選手権
  • 1年時(1984年度・第63回):長崎県予選 敗退(全国大会不出場)
  • 2年時(1985年度・第64回):長崎県予選 準決勝敗退(全国大会不出場 / 平戸高校に敗退)
  • 3年時(1986年度・第65回):長崎県予選 優勝(国見高校選手権初出場)、全国大会 準優勝!(※背番号1として登録メンバー入り。本大会では同級生の林晃行が先発正GKを務めたため出場機会はなかったが、控えGKとしてベンチからチームを支え初出場準優勝に貢献)
全日本ユース(高円宮杯)
  • 1年時(1984年度):該当なし(※大会創設前)
  • 2年時(1985年度):該当なし(※大会創設前)
  • 3年時(1986年度):該当なし(※大会創設前)
国民体育大会(国体)
  • 1年時(1984年・奈良国体):長崎県選抜
  • 2年時(1985年・鳥取国体):長崎県選抜のGKとしてサッカー少年の部 優勝(全国制覇!)
  • 3年時(1986年・山梨国体):長崎県選抜




代表歴

高校時代の代表・選抜歴

  • 世代別日本代表:U-19日本代表候補
  • 日本高校選抜:選出なし(※第65回大会優秀選手には国見から正GKの林晃行が選出)
  • 都道府県選抜:長崎県選抜(1985年鳥取国体少年の部 全国優勝
  • Jリーグ選抜:該当なし

高校時代の代表歴について

熊本県八代市出身で八代市立第四中学校を経て長崎の名門・国見高校へ進学。当時から187cmの恵まれた体格を誇り、小嶺忠敏監督の厳しい指導を受けて大型ゴールキーパーとしての基礎を固めた。

高校2年時の1985年には長崎県選抜のゴールキーパーとして国民体育大会(わかくさ鳥取国体)に出場し、見事に全国制覇を達成。3年時の第65回高校選手権では控えGKとしてチームを支えたため大会優秀選手や高校選抜への選出は見送られたものの、高校年代屈指のポテンシャルと体躯が評価され、卒業後すぐに日本サッカーリーグの強豪・フジタ工業へスカウトされるなどプロ関係者から熱い視線を集めていた。

卒業後の進路

プロ・社会人

  • フジタ工業 / フジタサッカークラブ / ベルマーレ平塚(JSL・JFL・J1 / 1987年 – 1995年 / 1993年JFL優勝・J1昇格達成1994年天皇杯優勝、J1通算87試合出場)
  • アビスパ福岡(J1 / 1996年 – 1997年)
  • 大宮アルディージャ(旧JFL / 1998年 / 26試合出場・J2参入の礎を築く)
  • NTT九州 / ロアッソ熊本の前身(九州リーグ / 1999年 – 2000年 / 選手兼任・現役引退)

日本代表

該当なし

引退後の指導歴・役職

  • 大宮アルディージャ 育成GKコーチ、トップチームGKコーチ(2001年 – 2003年、2010年)
  • ロアッソ熊本(ロッソ熊本)GKコーチ(2005年 – 2006年)
  • 湘南ベルマーレフットボールアカデミー GKコーチ(2007年 – 2009年)
  • ザスパ草津 / ザスパクサツ群馬 GKコーチ(2011年 – 2013年)
  • 徳島ヴォルティス GKコーチ(2014年 – 2015年)
  • カターレ富山 GKコーチ、ノジマステラ神奈川相模原 GKコーチ等を歴任

卒業後のキャリアの総評

高校卒業後の1987年、大学を経ずに直接日本サッカーリーグ(JSL)の名門・フジタ工業サッカー部(現・湘南ベルマーレ)へ加入。高校時代は控えに甘んじた悔しさを糧に実業団でめきめきと頭角を現し、元日本代表の小島伸幸とハイレベルな正GK争いを繰り広げた。1993年にはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)1部で優勝を飾り、J1昇格に大きく貢献。Jリーグ開幕後の1994年ベルマーレ平塚ではJ1リーグ戦39試合に出場し、同年度の第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会初優勝の立役者となった。

1996年にアビスパ福岡へ移籍後、1998年には旧JFLの大宮アルディージャへ移籍し、リーグ戦26試合に出場してクラブのJリーグ参入(J2参入)への礎を築いた。1999年からは故郷・熊本のNTT九州(現・ロアッソ熊本の前身)でプレーし、2000年シーズン限りで現役を引退した。J1通算87試合に出場した。

引退後は指導者の道へ進み、大宮アルディージャやロッソ熊本、湘南ベルマーレ、ザスパ草津、徳島ヴォルティス、カターレ富山、ノジマステラ神奈川相模原などでトップチームGKコーチを歴任。自身の挫折とプロでの成功体験を融合させた情熱的な指導で多くのゴールキーパーを育成し、実子の古島圭人もJリーガーとしてプロの舞台に送り出した。




鹿児島実業(ヒーロー列伝)

ヒーロー列伝