田中達也(帝京 東京都)高校サッカーヒーロー列伝
寸評
小柄な体躯を爆発的な瞬発力と卓越したドリブル突破に変え、相手守備陣を切り裂いた韋駄天ストライカー。1982年11月27日、山口県徳山市(現・周南市)に生まれ、周陽スポーツ少年団から周陽中学校を経て、名門のセレクションを突破して単身上京し帝京高校へ進学した。同期には田村雄三らがいる。
高校時代は1年生時から強烈なインパクトを残し、第77回全国高校サッカー選手権大会では快足を飛ばして決勝進出に貢献し全国準優勝を果たした。2年時の第78回大会でもベスト8進出を果たすなど、カナリア軍団のエースストライカーとして全国の舞台で鮮烈な光を放った。抜群の加速力とゴールへ向かう鋭敏なセンスは、高校サッカー界屈指のタレントとして脚光を浴びた。
卒業後は2001年に浦和レッズへ加入し、J1リーグ優勝やAFCチャンピオンズリーグ制覇、ナビスコカップ優勝など黄金期を牽引した。その後はアルビレックス新潟でも長く愛され、日本代表やアテネ五輪代表としても国際舞台で活躍。現役引退後は指導者へ転身し、新潟のトップチームコーチやU-18監督を経て、浦和レッズのアカデミーおよびトップチームで後進の育成に尽力している。
所属
帝京高等学校(東京都)
生年月日
1982年11月27日
サイズ(身長・体重)
167cm / 63kg
ポジション
FW(フォワード)
出身チーム
- 3種(中学校/ジュニアユース):周南市立周陽中学校(旧・徳山市立周陽中学校)
- 4種(小学校/少年団/ジュニア):周陽スポーツ少年団(周南市立周陽小学校)
出場大会
高校サッカー選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)
- 1年時(1998年度・第77回大会):全国準優勝。2回戦の日章学園戦に3-1、3回戦の初芝橋本戦に3-0、準々決勝の丸岡戦に3-2、準決勝の青森山田戦に3-2と勝利し、決勝(1999年1月10日/国立霞ヶ丘陸上競技場)で東福岡に1-2で惜敗した。1年生ながら鋭いドリブルで攻撃陣を牽引した。
- 2年時(1999年度・第78回大会):ベスト8(準々決勝敗退)。2回戦の初芝橋本戦に2-0、3回戦の秋田商戦に2-0と勝利し、準々決勝で鹿児島実業に1-2で敗れた。
- 3年時(2000年度・第79回大会):東京都予選敗退(本大会出場なし。東京都代表は修徳と国学院久我山)。
- 個人表彰:第77回大会・第78回大会ともに大会優秀選手等に選出。
高校総体(インターハイ)
- 1年時(1998年):東京都予選敗退(全国大会出場なし)。
- 2年時(1999年):全国大会出場。
- 3年時(2000年):全国大会3回戦進出(ベスト16)。1回戦はシード、2回戦で大津に2-1で勝利、3回戦で国見にPK戦の末に敗れた。
- 個人表彰:確認できた記録なし
全日本ユース(高円宮杯)
- 1年時(1998年)〜3年時(2000年):全国大会進出記録なし(東京都・関東予選)。
国民体育大会(国体)
- 1年時(1998年)〜3年時(2000年):東京都選抜・少年の部等での全国上位進出記録なし。
代表歴
高校時代の代表/選抜歴:U-18日本代表候補、高校選抜候補など。
【高校時代の代表歴について】
田中達也の高校時代は、1年冬の選手権準優勝によってその規格外のスピードとアジリティが一気に全国区の評価を受けた。帝京の攻撃の柱として常に相手DFの警戒を集める存在となり、年代別日本代表候補や各種選抜の舞台でも注目を集めた。
卒業直後の2001年から本格的に年代別日本代表へ定着し、2002年のトゥーロン国際大会や2004年アテネオリンピック(U-23日本代表)で主軸を務める礎は、帝京での厳しい鍛錬と全国の舞台での実戦経験によって築かれた。
卒業後の進路
プロ・社会人
- 浦和レッズ(2001年〜2012年):J1リーグ優勝(2006年)、AFCチャンピオンズリーグ優勝(2007年)、天皇杯優勝(2005年、2006年)、Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝(2003年/最優秀選手賞・ニューヒーロー賞をダブル受賞)。
- アルビレックス新潟(2013年〜2021年):J1およびJ2で中心選手として長く活躍し、2021シーズンをもって現役引退。
- 通算成績:J1リーグ通算333試合66得点、J2リーグ通算54試合3得点。
- タイトル:J1リーグ優勝(2006年)、AFCチャンピオンズリーグ優勝(2007年)、ナビスコカップ優勝(2003年)、天皇杯優勝(2005年、2006年)、FUJI XEROX SUPER CUP(2006年)。
- 個人表彰:Jリーグナビスコカップ最優秀選手賞(2003年)、Jリーグナビスコカップ ニューヒーロー賞(2003年)、Jリーグ優秀選手賞(2004年)。
日本代表(国際Aマッチ)
国際Aマッチ16試合3得点(2003年〜2009年)。2003年7月31日の東アジアサッカー選手権予選・香港戦でA代表デビュー。2004年アテネオリンピック日本代表(背番号11、グループステージ全3試合出場)。
引退後の活動・指導歴・役職
2022年〜2024年にアルビレックス新潟トップチームのアシスタントコーチを務めた。2025年にアルビレックス新潟U-18監督を務めた。2026年より浦和レッズU-21チーム監督兼トップチームアシスタントコーチに就任した。
【卒業後のキャリアの総評】
2001年に浦和レッズへ加入した田中達也は、プロ入り直後から爆発的な加速力と果敢な仕掛けでサポーターを魅了し、「ワンダーボーイ」と称されて瞬く間にクラブの象徴となった。2003年のナビスコカップではMVPとニューヒーロー賞をダブル受賞してクラブ初タイトルをもたらし、2006年のJ1初制覇や2007年のACL優勝など数々の黄金期を牽引した。
度重なる大怪我に苦しみながらも不屈の闘志でピッチに戻り続け、2013年からはアルビレックス新潟へ移籍。新潟でも献身的な前線からのプレッシングと勝負強さで絶大な信頼を集め、40歳手前まで第一線で戦い抜いて2021年に惜しまれつつ現役を引退した。
引退後は新潟のトップチームコーチやU-18監督として卓越した指導力を発揮し、2026年からは古巣・浦和レッズのU-21監督兼トップチームアシスタントコーチとして次世代の育成とトップチームの強化に心血を注いでいる。高校時代から磨き抜いた「とんがった武器」を信じて戦い抜いたキャリアは、多くのサッカー少年の憧れであり続けている。
























